ざっき(殺伐!Twitter保育園!)
サイゼでコーヒー飲み過ぎて、眠れなくなった。世間はもう月曜日になって二時間が経過したのにロスタイムが終わらない…。
Twitterで何かを叩いたりイキってみたり、知り合いに異様にLINE送りたくなったりとか全部、結局は不安で不安でしょうがないから安心したい気持ちが色んな形をとっているだけ。かもしれないと今日思った。
つまり、イキりオタクもイキりオタク叩きオタクも、みんな実は不安だから安心させて欲しいだけなのだ。自分は優れているとみんなに喧伝しているのと、それを拡散してこいつは俺より劣っていると安心しているという違いだけだ。どっちも心細いから誰か助けてくれと叫んでいるのだ。実はTwitterは不安に泣き叫ぶ幼児だらけの巨大な保育園だったのである……。
ママがいなくて大泣きしている幼児たちが、優位性を確保したい為に言葉で殴り合う。幼児たちは常に叩ける相手を探している。誰を見下せば少しだけ安心するのだ。それらを止めにくる保母さんはいない。
生き残りたければ強くなれ……!!
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雑記(そのうち考えるのをやめた)
悩み事があるとよく考えてしまう。あーでもない、こーでもないと。暇な時間、授業中、休憩中、電車に乗っている時。考えていないと不安なのだ。考えないせいでとてつもないミスを犯してしまうのではないか。もっとしっかりと対応を練らなくてはいけないのではないか。うんうん……。いつか快刀乱麻の解決策を思い浮かぶと願って思考に耽る。時間がないと、布団に入ってから眠りにつくまでずっと考えている。あまり眠れない。
失敗があるとよく考えてしまう。あーでもない、こーでもないと。どうしてあんな風にしてしまったのだろう、言ってしまったのだろう。次からは同じことを繰り返したくない。何が必要なんだろう。本当に大丈夫なんだろうか。またミスを犯してしまわないだろうか。挙動不審にならないだろうか。グズグズ考えても不安はあまり薄れない。頭はグルグル回っている。やがて回り疲れて寝る。大した解決策もなく朝が来る。学校だ。
なかば強迫のように、僕は考える、悩むを日常に取り入れてきた。一つのことを延々と考えた。色んなことを同時に悩んで、思考が行ったり来たりした。ぼーっとしているように見えても、僕は必死に思考に潜り込んでいた。それで、生活が上手く行くように思えた。また、精神の安定も手に入れられると思った。
果たして本当だったか。考えて結論が出ない場合も多い。もしくは差し当たりの案で現実に対処する。悩んで悩んで黄金の解答を引き当てた記憶は実のところない。時間を費やした思考の数々が生活を豊かにしていたかは微妙なところだ。思考に持っていかれて、本当にこなさないといけないdutyを疎かにしたことも多々ある。
思考することによって、精神の落ち着かせられたか。答えはNOだ。思考中には、課題や失敗、将来の不透明さに向き合うことになる。辛い事実、記憶に晒される。心は思い切り揺さぶられるのだ。当然、安息なんてある訳ない。それどころか寧ろ不安を強化されたこともある。強迫思考は自傷行為だったのだ。あ ほ く さ。
僕には現在悩ましい課題がいくつかある。なんとか乗り越えたい。不安で不安でしょうがない。来る日が怖い。どうやったら上手く振舞えるだろう。失敗しないで済むだろう。そんな言葉ばかりが、頭の中にいっぱいに飛び回っている。が、今日は現実が少し忙しかったので、あまり考え込む暇がなかった。アワアワと過ごしていると時間は過ぎていった。そして気づいた。忘れていれば別に不安にならない。考えなければ、針むしろに登るような体験はしなくていい。不安に曝されなくてもいい。僕が悩もうが悩ままいが、時間は勝手に進んでしまう。課題は、放っておいても何らかの結末を勝手に迎えるのだ。考え込んでも大したメリットはないのなら無視しておけばいいのだ。無視。何かに到達した気がした。
勿論、考えることは無駄ではない。難題に無策で臨むよりはアイデアがあったほうがいい。失敗をきちんと反芻し自らに取り込むのは大いに意味がある。問題は、それが考えて意味のある課題なのかどうかである。思考しても自分に結論が出せないような状況なら無駄に深々と考えこんで傷つく意味はない。頭の中を整理したいから思考したいにしても、その思考で更にゴチャゴチャになるだけだ。整理したいなら文に落とした方がいかに効率的だろうか。
考えたって悩んだってしょうがないのだ。無視、無視!!!!
と言ったそばから、寧ろこれを書いたせいか。胸で不安が起きあがって、自分の今後について考え直せ、と騒いでいる。あー、しんどい。
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雑記(コンタクトの度数を変えようと思ったこと)
僕は医療系の学生なので、病院で実習している。数週間ごとに内科や外科、精神科…etc、様々な科を回っていく。俗に言うポリクリ、クリクラというやつである。ポリクリでは、学生に科ごと指導医がつくことが多い。GW明けの初日、そして科の初日、僕は新しい指導医の先生に会いに行った。パソコンでいそいそと仕事していた指導医は、黒髪を黒いシュシュでまとめた女医さんだった。バリバリの体育会系マンじゃなくて良かったと安堵。その時は見覚えのある指導医の顔をどこで見たのか思い出せなかった。挨拶もそのままに、指導医が採血に行くのについてまわることになった。学生なので病室の患者さんに挨拶して待機している。ぼーっとゴム手袋をつける指導医を見ていた。誰か……誰かに似ている。多分テレビで見たような……。
藤田ニコルだ。藤田ニコルが採血している。アルコール過敏性を確認し、消毒し、大腿から採血している。僕は至って真面目な顔をしたまま、目の前の藤田ニコル先生(仮)の仕事ぶりを見つめていた。たれ目、前に膨らんだ頬、うわ横顔がすごい似ている……。もう完全に目の前の女医さんがカリスマギャルにしか見えなくなっていた。圧迫止血するカリスマギャル、猫背で挨拶して病室を去るカリスマギャル。流石モデル、白衣の着こなしすらオシャレだ。詰所に戻っていくニコル先生を追いながらそう思った。別に藤田ニコルのファンでもないが、心なしか気分が明るくなっていた。
あとで藤田ニコルを画像検索した。正直、あんまり似ていなかった。
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日曜日の晩飯がまずい
GW最終日である本日もそろそろ終わろうとしている。明日からまた実習の日々が続く。スマホで午後四時を過ぎたのを確認してから憂鬱が深まってきた。ぼんやりとした心の重さがそろそろ峠を迎えようとしている。
今日の晩飯は焼肉だった。連休最終日の贅沢という訳である。タン、カルビ、ハラミ、ホルモン。オードソックスな注文を店員に告げた。やってきた肉たちを網に広げる。最速で焼きあがったタンをタレにつけ、せっかちに口へ放り込む(タンはタレ派、許せ)。美味い。美味いのだが、何かおかしい。求めていた肉の味は期待通りだった。しかし満足感がない。量の問題かと、もう一切れ口に運んでも同じだった。小瓶の練り唐辛子をタレに投与した。そしてタン三枚とカルビ二枚を喉に通した時に気づいた。肉が美味いのは分かるのだが、肉を味わう喜びが湧いてこないのだ。参った。肉を食う満足感、幸福感を得るために店にやってきた。しかし、どうもこのままだと叶いそうにない。いくら肉を食っても幸せになれない。時刻は午後八時すぎ、原因はこれらしい。明日からまた平日だと考えただけなのに、焼肉の悦びすら奪われてしまった。許さんぞ。結局予想より早めに満腹になった。残ったホルモンのくどさに苦戦したのち店を出た。空の暗さがまた濃くなって月曜日が近づいてきていた。
思い返せば、ここ数ヶ月、日曜日の晩御飯を楽しんだ記憶がほぼない。大体頭が重くて気だるげに過ごしていた気がする。贅沢な外食でも変わらない。夕食は楽しいイベントだ。しかし、それと同時に、日曜の夕食は月曜の接近を伝えもする。終わってしまえば、あとは怯えて次の朝を待つだけだ。平日に怯えるあまりに食事を楽しめなくなっていた。あと鉄腕DASHが怖くなった。
実際のところ悩んだところでしょうがないのだ。何をしようが月曜日の朝は来る。それなら、飯の最中に十二時間後を不安に思うより、デザートを何処のコンビニで買うか考えてるほうがよっぽど有意義だ。と、分かっててはいる。分かってはいるが、実行はなかなか難しい。今現在、「日曜の晩飯まずい問題」への解決策は思いつかない。
大体、考え込むとろくなことにならない。コンビニでアイス買ってきて、食べたらさっさと寝る。これがGW最終日、午後十時半の最適解だろう。アイスはいつ食べたって甘くて美味しいのだ。それぐらいは知っている。
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のんのんびより過激派
のんのんびより過激派。
2013年にアニメ「のんのんびより」が放送されて以降に増加した、地方(俗に言う田舎)を対象にテロ行為を行う人々の総称である。
中東に存在するテロ組織同様に非常に宗教色が濃く、のんのんびよりという作品(以下同作品)やそれに登場する人物などを過度に神格化しているのが特徴。
しかし、のんのんびより過激派はある一つのまとまった組織ではなく、前述の行為をする人々をまとめたカテゴリに過ぎない。
指導者の指示によってテロ行為が行われているのではなく、個々人が他人との連携なくスタンドアローンに破壊活動を行っているのだ。
勿論集団によるテロという例外もあるが、その場合はテロ実行の必要性に対してネット上等で招集がかけられるのであり普段から組織性のある行動はとっていない。
その為、同作品に対する神格化にも個人間によって様々な違いが見受けられる。
基本的にKADOKAWA メディアファクトリーから出版された同作品の漫画(原作)を聖典として扱うことは共通しているが、リミックスである同アニメを原作と同格で扱うかそれとも聖典によって産まれた二次教典として扱うかなど過激派内部でも派閥が分かれる。
どちらかと言うと前者の方が数が多く、後者を「原理主義者」という嘲称で呼ぶ風潮すらある。
これは同作品がネット上での知名度を獲得したのがアニメ放映後のことで、過激派の内多くがそこで作品を知った為アニメに重きを置いていることに由来している。
また、原作者の漫画家あっと氏に対する扱いもいくつかに大分される。
同作品を作り出したあっと氏こそが神であるという唯一神派、あっと氏はイスラムにおけるムハンマドの役割を果たしただけという預言者派などが存在する。
他にも、主人公である宮内れんげ至上主義者や前身読み切りの「とことこ」こそが真の聖典であると主張する者、声優を登場人物と同一視する者、キャラクター個人個人ではなく「のんのんびより」という作品そのものが我々に天啓を捧げる為の意思を持った存在なのだと主張する者など信仰の仕方は多岐に渡り、体系的な分類をするのは非常に難しい。
しかし、実際にテロ行為に走った者全てが同作品に対して異様な執着を見せており彼らのテロへの原動力もそこにある。
同作品のファンは、共に遊び時に協力し時にからかいながら成長していく美少女キャラを観ながら彼女たちが暮らしている"田舎"という舞台に少なくない好感と一種の憧れを抱いている。
多くの健常なファンはそれに留まるので何の問題もない。ここで、過激派たちに共通しているのは「実際に田舎を訪れる、もしくは田舎に移住する」という行為である。
ファンたちは作品中の理想郷を求めて、もしくは美少女キャラは存在しなくてもあんな長閑な世界が広がっているだろうと田舎を訪れる。
しかし実際の田舎は遠い、訪れても何がある訳でもないかもしれない。勿論作中の人物たちはそこにはいない。現地の住民が彼らに優しくしてくれるとは限らないし、寧ろぞんざいな扱いをされる可能性だってある。
とは言っても一度の田舎訪問でそこまで酷い思いはしないだろう。最ものんのんびより過激派への危険因子となるのは田舎への移住である。
交通の不便さ、少ない娯楽やお店、見つからない仕事、そして何より既に構成された密接な関係性に入れずに陰湿な排他行為を受けること。これらが重なることにより、同作品のファンは現実の田舎に絶望してしまう。
そこで田舎と離れるという選択肢を取らずに怒りの矛先を向けたのがのんのんびより過激派である。
のんのんびよりのように優しくない、いやそれどころか冷酷ですらある田舎など存在しなくてよい。自分の手で破壊してやる。
などと考えた過激派は各々の手段を用いて全国の田舎でテロを起こし始めるのだった。
以下に具体的な事件を紹介する。
2014年3月31日、岐阜県北部の寒村で放火が行われる。
21時頃に村内の十軒からほぼ同時に火の手が上がりうち三軒が全焼、五軒が半焼、二軒が部分焼という被害をもたらした。死者は逃げ遅れた老人が三人、軽症者が八人となった。
被害現場に時限装置のついた簡単な機械が残されており、犯人はこれを使ったものと推測された。
しかし、火の放たれた家屋は同じ村にある以外に共通点はなく無差別的な犯行で動機は見当もつかない状況が数日続いた。
同年4月5日22時、岐阜県美濃市の交番に私服の青年が現れ当番中の警官に「先日の放火は自分がやったことだ」と伝えた。
すぐに岐阜県内関警察署に任意同行された青年は犯行に使用した装置の材料や逃走経路等の犯人しか知りえない情報を述べた為、その場で逮捕。
青年は19歳の浪人生で、二度目の受験に失敗しておりそのストレスからの犯行かと思われたが自分が犯人だと証明して以降一切の供述をしなかった。
それはともかく犯人の身柄が確保された為、これからしばらく報道は加熱するだろうがやがて事件は終息へと向かうと思われた。
しかし翌々日の4月7日、SNS上に容疑者が投稿したのだと思われる文が発見され、ネット上で拡散される。
のんのんびよりという作品に対する異様なまでの肯定や絶対化、そして実際に田舎において受けた嫌がらせ、犯行の決意から当日の詳しい行動までが記されたその記事は瞬く間に広がり、ワイドショーの看板ニュースを数日間揺るぎないものにした。
奇しくも犯人が自首した翌日の4月6日はアニメのんのんびよりの二期の発表がTwitterでされた日であり、多くのファンが喜び再びあの世界を観ることが出来ると胸を躍らせていた。
だが、凶悪放火犯の犯行動機として名前は出されなくてもほぼそれだと分かるようにマスコミに報道された同作品は二期の製作中止を余儀なくされ、4月9日にそれを発表した。
待望の二期の製作中止というニュースは同作品のファンを憤らせ、結果的にこれがさらなる過激派の登場を生むことになった。
同年5月23日、島根県南部で同様の放火事件が発生。
今度は一軒だけで部分焼に終わり死傷者も出なかったが、事件後すぐにTwitter上に犯行声明がアップされた。
犯人はそこで自らを「のんのんびより過激派」と称しており、以後その呼び名が使われるようになる。
犯人は同作品を見て大阪から地元に戻ったフリーターだったが、働き口が見つからずニートとして生活していた。
同年5月28日、愛媛県の地方でバスジャック。
乗客は犯人の他に老婆一人で、最終的にパトカーに周りを囲まれ人的被害もなく身柄を確保された。
その際に「れんちょんはどこ!!!」と連呼する様子がテレビカメラに捉えられ全国のお茶の間を震えさせた。
同年5月30日、アニメの公式サイトにおいて原作者のあっと氏からのメッセージが掲載された。
自分や作中のキャラクター共に他人を傷つけることは望んでいないこと、もう二度とこのようなことは起こさないで欲しいことが主だった内容だった。
これを受けてネット上でののんのんびより過激派の勢いは多少衰える。
特に前述したあっと氏こそが唯一神であると考える派閥はその怒りを収めていった。
しかし、一部はあっと氏のこの行為をのんのんびよりという作品に対する裏切りと捉え、脅迫状を送る者もいた。
結局以降も散発的に同様の犯行が起こり、2015年にのんのんびよりは戦後の日本国憲法下で初の発禁図書に登録されたのだった(飽きた
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元同級生の風俗落ちで盛り上がっても、客にはなれない
「お前、ココちゃん知ってる?」
「誰」
「……いや、知らないよな」
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ツイ廃は青い鳥の夢を見るのか
こんにちは、今日も今日とて意味もなくTwitterを眺めているオタクです。
こんなブログを覗いている貴方、そう貴方もかなり重度のインターネット暇つぶしマンですよね。Twitter、2ch、まとめブログ、ソシャゲ。日々の時間を画面に注いでいることでしょう。気が付いたらもうこんな時間、てことも何度もあるはず。
でも、僕らってホントにTwitterが見たくてアプリを開くんでしょうか? そんなにTLを追うのが楽しくてしょうがないのでしょうか?
勿論、面白い画像やツイート、記事がTwitterやまとめブログにはあります。SNSには顔も知らない誰かと交流する楽しさがあり、ソシャゲにはもちろんゲームの面白さがあるでしょう。
しかし、思い出してください、僕たちは別に何を求めている訳でもないのにインターネットに繋がっている時があるはずです。寝る前に開いたTwitterだとか、テスト勉強で点けたパソコンで見るまとめブログとか。ネタツイ目当てでスマホ触る訳じゃないですし、セコママへの仕返しを見る為にニュースアンテナ巡りはしません。そして、そういう時こそ、我々は真にネットで時間を無駄使いしていないでしょうか。
じゃあ、僕らは画面の向こうにいったい何を求めているのか?
そりゃあ、もう……
現実逃避、一択!!!!
ネットに触れておけば、画面の世界に入り込める。特に自分を傷つけない情報が無限に存在しているから、抜け出さなくても困らない。一時的ではあっても目の前の困難や障害から目を逸らすことが出来る。別に僕らはTwitterを見るのがそんな楽しみな訳じゃない、まとめ周回が趣味な訳でもない。現実逃避に便利だから使っている、ただそれだけ。インターネットは僕らを傷つけない、ただそこで勝手に流れて撫でていくだけ!!だから、視界から辛い現実を外そう、今日も僕らは画面を凝視!!!!
しかし、現実を無視なんてできない。ネットで時間を浪費した分、現在の障害は余計にしんどさを増す。残るのはまた無駄に生活を削ったという自己効力感の喪失だけ。無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァ!!!!
つまり……
何の目的もなくネット見ててもロクなことがないからやめろ!!後で辛い思いするのはお前だぞ!!
という訳で……
まずはこのブログを閉じろ!!!!
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