医学の勉強で最も難しいのはまず初めにペンを持つこと
先日、引越しを予約しろと父親に電話で急かされた。勉強中だったので後にしてと断ったが、父親も時間がないと引き下がらず、結果軽く喧嘩になった。
イライラしてたら112A21に汚いドレーンを突うずるっ込んでしまっていた。
たしかに四月から研修先付近に下宿先を移すのに、連絡が遅れて予約出来なかったら勤務初日から欠勤する羽目になる。信じて選んだ初期研修医がSSR級のヤバレジだったなんて可哀想すぎる。
引っ越しの予約は今のうちにするべきで、父親の忠告は当然と言えば当然だ。
ただ正直今は、何を新しい下宿に運ぶかとか、ダンボールは何個要るかとか考える気力が一切ない。
国試が大変というより、只々面倒なタスクに手が出す気が起きない。そういう怠惰の星の下に生まれた。そしてスクスク育ってしまった。挙句直す気がない。最悪。
でも多分、本当に問題なのは、ただ最初の一歩だけだ。一歩踏み出せば最後まで歩ける。だからまず一歩を踏み出せばいいはずなのだ。
国試勉強に集中する為には、ヤマトに一本電話すればいい。そもそもブログ書いてる暇があるのに、引っ越しの予約が出来ない道理などない。
だがしかしbut、けどけれどyet。その一歩が出せたならば、こんなブログは書いていないし、まずウダウダ言わずに行動してるし、この瞬間も医師国家試験の勉強をしているし、オタクは久しぶりにRADを聴くと涙が出てしまう。
そして、Dutyの一歩すら踏み出せず独り立ちできなければ、新しい世界は誰も迎えには来てくれない。
その証拠に、もう大学卒業直前なのにスタンド使いにもスクールアイドルにもなってない。肉塊だらけの世界でミーツガールもしていない。こんなの全然聞いてない。
ボーイミーツガールに感情移入出来なくなった時、オタクは初めて大人になれるのかもしれない。
だけどそれって酷すぎません?
いつまでお年玉貰うつもりだ医学生
いまだにお年玉を貰っている。
自分の年齢はもう二十〇歳。本来なら社会の一員だ。二次性徴はとうに終わり、背は伸びるどころか去年より0.7cm縮んだ。お年玉を貰うような体でも顔つきでもない。洗面所の鏡にはHIKAKINみたいなオタクが映っていた。流石にHIKAKINはお年玉貰っていないだろう。
しかし、自分はまだお年玉を貰っている。学生だから。
部の飲み会では一線を退いた老害のような飲み方になった。代謝が落ちて脂がつき始めたので、コーラはゼロに変えた。言動が父親に似始めた。遺伝子って怖い。
それでも、自分はまだお年玉を貰っている。学生だから。
何歳だろうが学生は金欠だ。部活と趣味は財布に悪い。野口英世はすぐに平等院鳳凰堂まで分解される。だからこそ、年に一度の正月ログインボーナスは必要不可欠なのだ。バイト出来ない高学年が奢るっておかしくない?
大学五年生の正月は緊張した。一般的な大卒ならお年玉を払う年になってしまったからだ。
けれど、僕はお年玉を譲る気はなかった。冬のラーメン遠征のせいで部の新年会費に払う金がなかったのだ。通帳からはバイト代の気配すら消え去っていた。
結局心配とは裏腹に、例年通りポチ袋が差し出された。学生なら顔がHIKAKINに似ていても、お年玉は貰えるらしい。ありがとうHIKAKIN。
貰ったら貰ったで悪いことをした気分になったが、家庭間での勢力調整か、年下のいとこ(就職済み)も正月実家ログボをゲットしていた。これは多分自分のお陰だろう。正月の善行は清々しかった。
国家試験に受かれば、流石に来年からは払う側になる。
別に金を払いたい訳ではないが、払う側にはいい加減なりたい。
今年に限っては、お金より勉強のやる気と集中力が欲しいかもしれない。
結界師の無道さん
精神科QAの映像講座で、明らかに幼少期〜青年期の傷体験が原因の症例に出会った。
無道さんという結界師のキャラを思い出した。
無道さんは漫画・結界師に出てくる異能者であり、裏会という組織で後続の異能者を育てていた。
多くの若者を指導する過程で、彼は「成長過程でついた傷は幾ら修正しても治らず、歪な形のまま人は成長する」ことに気づいてしまう。
色々あって彼は絶望し、「一度傷つけば完璧でなくなるなら、傷つくより前に若返ればいい」と、後輩達を殺して魂を奪い若返りを目論むようになってしまった。
(たしかそんな感じ)
幼少期の体験は取り返しようがないのに、後々の人生に与える影響は大きいらしい。人によっては、重大な不具合になる。
つまり、安定した性格で成人出来るかは、もう運試しなのだ。
ひと続きの人生、子ども時代の経験は色んな意味で一生モノ。ワンピース。
ずっと欲しかったゲームボーイとか、高校三年間一度も出来なかった彼女とか。人は大学以降で取り戻そうとする。そして僕は大学デビューに失敗した。
で、多分、歳をとって、お金を使って、それらを手中にしても過去の埋め合わせは出来ない。
ゲームボーイが欲しかったのは小五の時の彼で、ぼっちで修学旅行のナイトクルーズに臨んだのは高二の時の僕だからだ。悲しいなぁ。
方位……定礎……結
滅!!!!
P.S. 街中の定礎、全部定礎って読んでました。
国家試験まであと(多分)48日
毎日延々と国家試験の勉強していると、ふとした瞬間に過去の失敗がフラッシュバックしてきて困る。
その度にスマホをぶん投げて絶叫したい気持ちに駆られるが、勉強部屋には他に人もいるのでなんとか堪えている。
国家試験まであと五十日弱。
模試の成績は良くはないけれど、悪すぎはしないくらい。このまま勉強続けたら本番でえぐいミスしない限りなんとかなるのでは?ぐらいの感触。
ただ、そのえぐいミスを本番起こしそうな予感もする。
あっ、今嫌なこと思い出した。
医師国家試験は基本的に相対評価で九割の人間が合格する。しかし、特定の問題ブロックでは八割以上取らないと即不合格だし、"禁忌肢"と呼ばれる「選んではいけない選択肢」を四つ以上踏んでも不合格になる。
つまり、二月に受ける四百問のなかにはそれだけの地雷が埋まってる訳で、うっかり踏んでしまう可能性も(今までの人生を振り返るに)結構ある。
まず臓器別の知識すら怪しいのだけど…………
勉強するか……いや寝よう
どうしようもないことたち
私でも気づける真理が世の中にはある。それは大抵、私が気づけるからこそ、私にはどうしようもないことで、私一人のうちにその一生を終える。
退屈に駆られてTLを消費する癖がつくと、やがてTLを消費して退屈を生産することになる。スマホを捨てろ、人間と話せ。
欠点、自分で埋めようとすれば克せずともなにかを得るが、他人で埋めようとすると結局更に深い穴を掘ってしまう。容姿のコンプレックスから他人の外見に厳しくなると最終的に傷つくのは自分。5chでアイドルの顔面を叩いてる男は一度ソフマップデビューしてほしい。
明日が来なければいいと願っても、夜中に隕石が人類滅ぼしてくれたりはしない。朝は誰にでも平等にやってくるし、そしてそれは大抵私たちにとって残酷である。
すべて満たされ不安なく過ごせる日は未来永劫存在しない。かつて望んだモノを手に入れた今は新たな不安を怯えているし、かつて持っていた価値のないものを今私たちは必死で探している。
君子、Twitterで晒された悪者に"正義の鉄槌"を下さず。確かにその人は悪いことをしただろう。しかし裁く権利は貴方にはない。貴方がやってるそれは欲求を紛らわすための私刑である。
AV事後至高論
「おまえは今まで観たAVの枚数を覚えているのか?」
世のオタクたる者、二十数歳生きれば無数のAVを観ているものだ。或いは女優単体、或いはナンパもの。貪るようにAVを観るなかでオタクは自らの性癖を手で探り、そして変遷させてきたのである。
初めて本番行為を目に入れた日、その獣じみた所作に興奮絶頂、前後不覚になった。それも今や昔。画面越しに観た裸の数なら私文大学生の経験人数に並び、AVを観て興奮が最大値に至るシーンも移り変わっている。当然、それが本番だとは限らない。そんなオタクの一人たる私が賢者(モード)の知恵として今諸兄に授けるのが、AV事後至高論である。
「事後」とは、字の通り本番行為の後の時間であり、互いに無言で服を着ていくあの場面、或いは放心状態のところにカメラが寄ってコメントを求めるあの場面である。あの事後こそがAV中至高のシーンなのだ。
と言うと、スマホとプリッツを握りしめた中学生諸君は「男が情けなくティッシュで股間を拭いてるあのシーンのどこがいいんだ、僕は断然口淫派だね」と斜に構えてみせるだろうが、所詮は十代、二十余歳になってまでTwitterで非モテツイートを繰り返す私の感性には敵わない。暫く後には水飲み鳥のごとく私の主張に深く頷いているだろう。
さて、それにはなぜ事後が素晴らしいのか語らなくてはならない。
その理由とは、事後のシーンには本能と日常のギャップがあり、そのギャップこそが最も興奮を呼ぶからである。
『女性というものは、休んでからの事と、朝、起きてからの事との間に、一つの、塵ほどの、つながりをも持たせず、完全の忘却のごとく、見事に二つの世界を切断させていきている』
『休んでから』(性交中)と『朝、起きてから』とでは女性の振る舞いが全く違っている。即ち、性交中の本能に争わぬ態度と普段の理性的な態度との断絶について言及してあるのだ。この断絶が事後の魅力の源泉である。実際のAVの事後で例を挙げていきたい。
マジックミラー号の、お金に釣られた若い女性が街中で逆ナンしそしてセックスに至る草食系男子向けAV。当然、逆ナンされる男も草食系もとい童貞系男子である。彼らは互いに距離を測りながらも結局セックスする。肝心なのはこの童貞系早漏男子が正常位で早速イッてしまった後である。行為が終わり、他人行儀の会話を交わすなか、逆ナンした女性がふと腕で胸を隠す。ここに太宰の言う『切断』がある。彼女は相手の射精を機に本能と理性を切り替え、裸をやめ、服を着たのである。
また、ナンパして相手の家まで押しかけるタイプのAV。ナンパされた彼女の生い立ちを聞き、言い寄り、行為へと発展する。全てが終わったあと、彼女は笑顔で社交的な挨拶を交わしながら男優(兼カメラマン)を玄関から見送る。ここにも『休んでから』と『朝、起きてから』の『切断』が見える。
事後に起こる本能と理性とのスイッチング。彼女らは本能を表したあと、当然のように理性を羽織る。性行為と会話の完全な別離。しかし、社会的な会話の下には先程見た本能が獅子のように眠っている。この暗示が事後のエロさの肝腎要である。
つまるところ、本能と理性の切り替えはエロと日常の共存である。そしてエロと日常の共存はエロ単独より興奮を生む。全裸と裸で靴下どっちがいいかは明白であると一昔前のオタク談義にあるが、男は性的興奮という観点では全裸より一枚の薄いベールに票を投じるものだ。その点、事後はエロと日常の生々しい共存そのもので、性的興奮の最たる部分だ(キスに至る瞬間もエロと日常の共存だが、日常の存在感の点で事後に及ばない)。
やはりAVは事後が至高なのである。
ちなみに、男はどうなんだって話だが、男は単にしょうもない。繋がった線上でただ性欲が増すが減るかの差でしかない。行為を引きずり、相手が社会を羽織ったことも気づかず、この阿呆告白めいたことをした結果、あれよあれよと拒絶されるのがオチである。
Twitterは電子オナクラじゃない
⚠︎以下はショートショートでフィクションです。
スマホの画面をなぞるとタイムラインが沈み、少しの空白を置いて跳ねた。特に更新されるツイートはない。致し方なし。前回の更新は2秒前だったのだから。
「はぁ」と溜息をついてスマホをベッドに放った。半回転してケースのミッキーマウスと目がう。ディズニーランドに行った友人たちの土産だ。時間は、10時37分。30分強はスマホを眺めていたことになる。また時間を無駄にした。
そろそろ風呂に入らなくては。私は浴室に向かった。
私は大学入学直後にTwitterを始めた。私のフォロー欄には実名アカウントが並び、私はこれから青春を分かち合う彼・彼女らの日常が流れるのを楽しんでいた。
数ヶ月後、私は別のアカウントに篭っていた。フォロー欄にはアニメアイコンが並んでいる。大学生という肩書きは社交能力を上げる装備ではなかったのだ。インスタ色に光る彼・彼女らの日常から私は逃げ、同じにおいのする顔も知らない人間と馴れ合っていた。Twitterで男に絡まれ始めたのも、その頃である。
湯船をブラシで擦り、シャワーで流す。私の長い髪の毛が絡まり排水口へ滑り込んでいく。昨日まで私の一部だったそれが酷く汚いものに思える。ゴブッと鈍い音がして水が抜けた。排水口に栓をし、自動湯沸かし器のボタンを押す。エアコンの効いたリビングに戻ると、TwitterにDM(ダイレクトメッセージ)が来ていた。
動画が送られていた。アカウント名とフォロー欄を照らし合わせ、昨日フォローバックしたアカウントだと気づく。たしか「フォロバありがとう!よろしくマナちゃん!」などとリプライが来ていたはずだ。
肝心の動画。サムネイルがベッドのシーツらしき物だった時点で嫌な予感がしていたが、それは自慰行為ムービーだった。開始1秒、赤黒く充血した陰茎が画面下から登場し、堪え切れないとばかりに手で扱き始めた。野太い喘きがスピーカーから漏れる。ご丁寧なことに射精まで披露する始末だ。私は冷めた目で一部始終を眺めた。
そう、こんな事故はよくあることなのだ。
「Mana」という名前、ミニスカートと私の太もものアイコン。それが私だ。ネットに跋扈する羽虫のようなオスたちの大好物でもある。彼らは競って私のDMに群がる。「暇ですか」「何処に住んでる?」「いつが空いてる?」(ペニスの画像)「返事ないけど大丈夫?」 選り取りみどりでワンパターンな求愛行動の数々が届く。時折〈キミたちは現実の女にも同じ口説き方をするのかね?〉と彼らに問い詰めたくもなる。
それでも彼らをスクリーンショットで晒し首にし、タイムラインで有象無象の攻撃性の餌にしないのは、私がこの"姫カツ"を楽しんでいるからだ。誰かに手を伸ばされるのも、それを優位な立場から無下に扱うのも、悪い気分ではない。私がこのアリ地獄の主になってから1年が経ち、数多の求愛の嘶きを受けとった。つまりは、Twitterを電子オナクラと勘違いしたオタクたちが自慰動画を送ってくるなど日常茶飯事ということなのだ。
ふと、私は画面を見下ろした。
……あの陰茎、どこか見覚えがある。
先程の彼の陰茎は、特徴的な先窄み型でまるで鏃のようだった。その鏃を私はどこかで見たことがある。私は必死に記憶を洗い、そして思い出した。
谷丸友哉だ。
間違いない。私は確信した。あの陰茎は部活の同級生、谷丸友哉のものだ。
流石の私でも同期の自慰動画は堪える。しかも、谷丸は友人でもある。そんな情け無い姿は見たくないし、ネットの女に腰を振るなんて奇行はやめろと言ってやりたい。
しかし、そう簡単ではない。谷丸の痛ましすぎる青春の発露を方向性から正してやりたい気持ちはある。ただ私とてこんなアカウントが部活の同級生にバレるのは嬉しくない。
ところで谷丸はどれだけ馬鹿なのだろうか。谷丸が陰茎を送りつけたManaちゃんのアイコンのミニスカート。アレは、学祭のコスプレで私が履いてたやつだ。何より大喜びでその写真を撮って部活のLINEアルバムにアップしたのは他でもない、谷丸だ。
ここまでくると本当は谷丸が、Mana=私だと気づいているのではと疑いたくなるが、それはない。あの陰茎は間違いなく谷丸の本人のものだからだ。合宿中の飲み会で彼が暴れて全裸になりマネージャー部屋へ侵入しようと試みたときに、彼の股で揺れていたアレに間違いない。
私は、神に精巣と脳のサイズを間違えられた哀れな友人のことを思った。そして、アイコンを当たり障りない猫の画像に変え、彼にDMで「T丸先輩、こういうことはやめたほうがいいですよ」と送り、そっとブロックした。後輩マネージャーたちの顔が思い浮かんだが、一言謝ってすぐにかき消した。今ごろ谷丸は後輩に自慰動画を送ったと思い込み、自分の人権の行方に震えているに違いない。いや彼のことだから興奮に嘶いている可能性すらある。
『お風呂が、沸きました』
自動湯沸かし器が軽やかなメロディを流す。私はスマホをベッドに放り、深く溜息をついて脱衣所に向かった。
私もそろそろネカマのやめ時なのかもしれない。