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ワタベラ雑記帳

メンヘラ雑記。生きづらさ考察、創作、本、映画、音楽。

Watabera Miscellaneous Notes

さよなら、鈍い感受性

希死念慮の地層の上を歩いている

 希死念慮という言葉を大学に入ってから知った。要は死にたいと思うことらしい。初めて見かけたのはTwitterだったし、それ以降もTLでしか見たことがない。SNSで語られる大したことない「死にたい」も、希死念慮というと何だかとても高尚な響きがする。

 

 個人的に希死念慮に陥る時には段階がある。まず「何か失敗をして」、「それが自分の能力不足のせいだ」と判断する。そして「その能力は思春期を越える過程で身に着けるもので今更手遅れだ」と思う。そして「この人生もう修正効かないしダメじゃん。どうせ上手く行かないならもうやめようぜ」と諦めたくなる。パワプロくんでケガが重なったらサクセスをやり直すと一緒の感覚だ。これらはちょうど地層のようになっていて、精神が安定している時の僕は地表を歩いている。しかし、一度何か事件が起きるとその地面に穴が開いてしまう。それは思考のドツボだ。小さな穴なら飛び越えられるが、穴に足がハマってしまうと大変だ。地表の下の層は柔らかくて一度足を踏み入れるとずぶずぶと沈んでいく。悩み始めると思考は負の方向に加速していく。そうしてやがて希死念慮の層にたどり着く。希死念慮の層は思考の一番下にあって、僕はいつも最終的にそこに降り立つのだ。とは言っても現実問題僕は生きているし、人生放り投げたいと考える暇もない時がある。そうやって何も考えてないと上からまた徐々に土が積もっていってしばらくすると僕はまた地表に出ることが出来る。そしてまた何かあると地層を下っていく。それの繰り返しだ。

 

 考えなければしんどくないなら悩まなければよいのでは、と思い至ったことはある。しかし「悩む」ことで自分の欠点を知り次なるミスを防いでいる面もありそう簡単に捨てられない。じゃあ、「失敗の対策法を考えてもいいが悩んではダメ」というルールにすれば良いと考えた。妙案で、実際それがある種の正解のように思えた。しかしそう簡単に物事は運ばなかった。負の感情というものは勝手に湧き上がるのだ。反省するだけのつもりがいつの間にか僕は一番深い地層に足をつけて人生をリセットしたがっている。

 

 日本人の「死にたい」は「何もかも放ってハワイに行きたい」程度のニュアンスしかないという文を見かけたことがある。確かにハワイで一生何もせず暮らせるなら死ななくてもいいかもしれない。でも結局現実から逃げ出したという事実に耐えられなくなるような気もする。今中途半端なこと全て投げ出してもいきたいかと言われるとあんまりそう思わない。拗らせたって何もいいことはない、何もかも忘れてハワイで豪遊出来る人間の方が得に決まっている。

 

 でも、ハワイには行ってみたい。ハワイは火山帯だから地層は固いのだろうか。


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