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人生やめてません

ラピスラズリ、紹介

 

 山尾悠子さん(以下敬称略)のラピスラズリという小説を読んだ。今まで読んだことのない種類の小説で、なおかつ読み応えがあったので、紹介したいと思う。

 

ラピスラズリ (ちくま文庫)

ラピスラズリ (ちくま文庫)

 

 

 

 分かる(wikipediaの)範囲で作家を紹介したい。

 山尾悠子幻想文学作家で、硬派で緻密な表現で幻想世界を描いた、難解かつ詩的な作品が評価されている(らしい)。

 

 もともとSF畑でデビューし、結婚子育てで十数年休業したのちに、99年から創作活動を再開した。ラピスラズリは2003年の作品である。

 

 

 このラピスラズリのあらすじだが……、

 

冬のあいだ眠り続ける宿命を持つ〈冬眠者〉たち。一人眠りから目覚めてしまった少女が出会ったのは、「定め」を忘れたゴーストで――『閑日』

秋、冬眠者の冬の館の棟開きの日。人形を届けにきた荷運びと使用人、冬眠者、ゴーストが絡み合い、引き起こされた騒動の顛末――『竈の秋』(裏表紙より引用)

 

 個人的には「冬眠者」「目覚めてしまった少女」「人形を届けにきた荷運び」など幻想的なワードが散らばっていてワクワクする。

 

 

 しかし、正直これではどういう話なのか全然掴めない。一、二章については、つぎにまとめてみたので、読んでほしい。

 

 一章「銅板」は、”わたし”が深夜営業の画廊で三枚の腐食銅版画を眺めているシーンから始まる。

 

 銅版画には冬眠者のものがたりが描かれていると、“睡眠不足で赤い目をした画廊の店主”は言った。

 

 特権階級の冬眠者、使用人の反乱、人形、落ち葉枯れ葉。

 

 わたしと画廊の店主は、銅版画の世界について考察を交わしていく……。

 

 二章「閑日」、三章「竈の秋」は、一章の銅版画の世界での物語である。

 

 二章「閑日」。冬眠者の少女が年の終わりに目を覚ましてしまう。

 

 少女はいま、冬眠者が冬を越すための搭にいて、一切の食べ物もなく暖をとる手段もない。搭の出入り口は施錠され、少女は結果的に閉じ込められていた。

 

 危機的な状況になりながらも、はじめての〈冬〉を眺めていた少女は、窓のむこうに朧げに光るゴーストを見つける……。

 

 三章以降は、説明が非常に難しいのでまとめきれなかった……おにいさんゆるして。

 

 

 物語は五章構成である。

 それぞれ、「銅板」「閑日」「竈の秋」「トビアス」「青金石」というタイトルを与えられている。

 

 全ての章が、冬眠者(冬になると眠り、春まで起きずに過ごす。その間の食事は必要なく、成長も老化もしない)の存在する世界の幻想物語だ。

 

 

 特徴的なのは、五つの章は連続しておらず、物語は一章ずつ完結することだ。

 さらに舞台が一、二章ずつ転々と変わってしまう。

 

 冬眠者、人形などのワードが共通する、時代も場所も違うお話が展開される(例えば、先に書いた”わたし”と”冬眠者の少女”は別人である)。

 

 「銅板」と「トビアス」は、人口減少によって社会崩壊間近の近未来日本。

 「閑日」と「竈の秋」は、冬眠者が貴族である中世ヨーロッパのシャトー。

 「青金石」は、十三世紀のイタリア、聖フランチェスコという実在の人物の晩年。

 

 中世ヨーロッパの物語が終わったら近未来日本へ、近未来日本が終われば別の中世ヨーロッパへ、景色、時代、使われる名詞も突然様変わりする。

 

 基本的には一章ずつ独立して、表面上関係ない話が完結するので、章ごとの意味や全体としてどういう物語なのかは語られない。自分で理解、想像するしかないのだ。

 

 

 ここまででなんとなく察せられると思う。この本は非常に内容が難しい。

 先に書いたように、物語の全体像をつかみ取るのも一筋縄ではいかない。

 

 また、単純に読みにくい。硬派な文体での充実した情景描写は、逆手にとれば初心者お断りの雰囲気もなくはないのだ。

 

 三章には広く複雑なお屋敷が登場するが、どういう構造で、どこで事件が起こっているかは、初見ではわからなかった。

 

 ほかにも人、時、場所が章のなかですら転々とするので、どういうストーリーが進行しているか読み取りにくい。だれが、いつ、どこで、なにをしているか分からないのだ。

 

 一回読むだけで物語を理解するのは、なかなか難しい。自分は三回読んだが、正直まだこの物を理解しきっていない……。

 

 

 しかし、それを踏まえても、この本を読む価値あるものにしている点が二つある。

 

 一つは、この物語が超高級スルメ本である点である。

 

  一回読むだけでは小説の詳細も全体もぼんやりしている。

 

 しかし、繰り返し読むごとに徐々に霧が晴れて物語が見えてくる。読めば読むほどおもしろくなってくる。まるで噛めば噛むほど味が出るスルメのような本なのだ。

 

 二回目のほうが真に迫ってくる事件の情景。

 

 実は以前に示されていた、ある人物の行動の意図。

 

 明示はされないが、ある人と別の章の人は同一人物であること。独立した各章が、深い部分でどうつながっているのか。

 

 四章までとは雰囲気の違う五章の、ラピスラズリという物語全体における意味とは。

 

 こういうことだったのか!と、いわゆるアハ体験をすることができる。

 

 さらに、これを何度も楽しめる。なんたって難解だから、ちょっとやそっとでは秘密は明らかにならないのだ。

 

 

  次は、なんと言っても、幻想作家の情景描写の美しさである。

 内容はてんでわからなくとも、描かれた情景を読み取る”絵本”として価値があるくらいだ。

 

 一章は、深夜営業の画廊。

 二、三章は、中世のシャトー。

 四章は、滅んでいく日本。

 五章は、また別の中世の、聖人の庵。

 

 全く別の風景を、現実的な感覚に即した言葉で、描写していく。

 

 そういったリアリティある描写で構築された景色が、全体でみれば浮世離れした幻想世界になっているのだから、これはまさに職人芸というしかない。

 

 個人的には四章の情景が好きだ。

 

 四章は日本の話で、割と身近な言葉で描かれている。それでいて、章全体に斜陽感、先に待っている滅びやもう抜け出せない諦めが、漂っている。

 

 世界全体が夕暮れていく雰囲気がたまらない。

 

「その頃わたしは古い運河に潮のにおいが混ざる地方の廃市で暮らしていて」

「備蓄ぶんが残りわずかになっているガソリンを使用できる階級は限られていたのだということすら」

 

 やっぱり四章は神、はっきりわかんだね。

 

 裏表紙にも冬、秋や冬眠者と書いてあるように、季節の描写も多い。それらもまた目前に迫る物がある。

 

 冬の晴れ日の寒いけれど澄み切った空気と景色。

 逆に吹き抜ける雪と風で凍えてしまうような冬の夜。

 食物が豊富で皆が活気付いている秋と、その中に感じる冬の訪れ。

 

 自分自身の肌の感覚とともに、物語の季節を体験できる。

 

 また、一章、三章、四章は物語の要素に”滅び”が入っている。

 

 美しい細工をいくつも精密に組み合わせて、著者が作り上げた世界を、自らの手で崩壊させてしまう。

 

 幼い子が小さな感情の起伏で、目の前のものを薙ぎ払ってしまう、そんな衝動性がこの本から感じ取れる。

 

 緻密な表現のうらの衝動性にまた惹かれる。

 

 山尾悠子本人も「絵画から小説のイメージを得ることが割合多い」らしく、納得の描写力である。ぜひこの小説を手に取って”文を観賞”してほしい。

 

 

 なかなかとっつきにくい作品ではあるが、読み込んでいくとツボにはまってしまう本だったので、紹介させてもらった。

 興味が湧いた方、ぜひ美しい絵の謎を解いていくような読書を味わってほしい。

 

 

 あ、全然関係ないけど、絵の謎を解くといえば、楽園のカンヴァスもおもしろかった。

 

楽園のカンヴァス (新潮文庫)

楽園のカンヴァス (新潮文庫)

 

 


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