slowly

Watabera Miscellaneous Notes

人生やめてません

字が汚い奴は、気も利かない

 

「あなたって、字が汚いのね」

 

 彼女が、頭のなかの文章を諳んじるのやめて、そう呟いた。

 

 彼女の目線は、僕の手元に注がれていた。原稿用紙には、僕の多動的な字で、さっき彼女の頭から溢れた言葉が羅列してあった。改めて見ると、それはたしかにお世辞にも上手い字とは言いがたかった。

 

「あぁ……うん。このパラダイムでは」

 

「インクミミズ職人が評価される世の中に期待するのね、馬鹿げてるわ」

 

「もういいから、はやく続きを頼むよ」

 

「…………止まっちゃった」

 

 彼女は、左の人差し指で自分の頭を小突いた。コンコン。そして、にっこりと口角を歪めた。

 

 どうやら、本当にもう出てこないらしい。自分の字が汚かったせいで、僕は貴重な欠片を手に入れ損ねた。今この時間の欠片は、今この時間にしか存在しないのだ。僕は永遠にそれを失った。

 

「初めて自分の字の汚さを恨むよ」

 

「初めて?」

 

「そうとも」

 

「あなたって野蛮な人なのね」

 

「どこが野蛮だ、社会の枠の外で自活する君のほうがよっぽど野蛮だよ」

 

 彼女は、僕の反論を無視して続けた。彼女の目線は、窓の景色のそのまた向こうにあった。

 

「他人に意味を伝えようとするのに、使うのがそのインクミミズでしょ。不躾すぎると思わない?」

 

「いやいや、他人に書類を書くなら丁寧に字を書くよ。もちろん、少しぎごちない字にはなるけどさ」

 

「上手く書けないって分かってるのに、変わろうとしないのね」

 

「そう言われたら、そうなるけども」

 

「ほら、野蛮で傲慢だわ!他人が不便を被るとしても改善しないのでしょう!あなたの地球にはあなたしか住んでないのかしらね」

 

 彼女の黒いスカートのレースが揺れた。

 

「おいおい、言いすぎだろ。それは拡大解釈だ」

 

「本当にそうかしら。あなたの言葉ってよくエゴが透けて見えてるわよ」

 

「どういうことだ」

 

 彼女は嘲るように見下すように、それでいて自分の正しさを疑っていない目をしていた。

 

「そのままの意味よ。そもそも、あなた自分の字読めるの?」

 

「……そりゃたまには読めないこともあるさ」

 

「ふふふ、最高。身勝手は最終的に自分の身を滅ぼすってこと!よく勉強になるわ」

 

 デスクが揺れた。僕が叩いたのだった。

 

「さっきから何様のつもりだ!誰が君の言葉を金に換えてると思ってるんだ!」

 

 カップが倒れてコーヒーがこぼれていた。僕はそれを放っておいた。彼女は見やりもしなかった。

 

「その金に換わる言葉、誰があなたに渡してあげてるのかしら」

 

「……」

 

「ごめんなさい、言いすぎたわ」

 

「……」

 

「そろそろ、帰っていいかしら。今日は多分もう何も出てこないから」

 

「あぁ」

 

 僕が目をあげたとき、すでに彼女は背を向けていた。鞄ひとつ持たない彼女は、その事実以上に身軽に見えた。

 

 僕は、なにか言おうと口を開こうとしたが、すぐに閉じた。今まさに口からエゴで出来たミミズが飛び出そうとしていた。僕はそれを必死にとめた。

 

 しかし、吐しゃ物が出口を求めて口腔をいっぱいにするように、エゴミミズは口中に広がって蠢いて、唇からにゅるりと這いずり出た。

 

「さっきのこと、僕は別に気にしてないから」

 

「………………また来てくれ、って?」

 

 なんて嫌な女なんだろうか。

 

 

ってことが最近あったので、字は綺麗に書こうと思います。

 

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