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綿箆雑記帳

メンヘラ雑記。生きづらさ考察、創作、本、映画、音楽。

Watabera Miscellaneous Notes

さよなら、鈍い感受性

【医学生】指導医は千差万別で海千山千【病院実習】

 

 学生として病院実習をやってきたなかでの、ちょっとした不信について書こうと思う。

 

 

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あるタイプの指導医が苦手

 

 医療系の学生が病院実習行うときは、そこで働いている人が学生の指導をする。医学生なら医者が。看護学生なら看護師が、といった具合に。

 

 一口に指導といっても、指導する人によってそのスタンスは大きく違ってくる。

 

 勉強しやすいようタスクを用意する指導熱心な人もいれば、任主義で自由に勝手に勉強しろという人もいる。

 

 本当に千差万別だ。

 

 そんな中にたまに(不勉強な学生の立場で失礼な話だが)、少し不信感を覚えてしまう先生もいる。

 

 どんな先生かというと、自分の正義が確立されていて、学生の行動をその正義のなかに制限するタイプの先生だ。

 

 

どうして苦手なのか

 

 そういう先生は仕事ができて、自信を持っている。仕事に関して、その人なりの持論やルールが完成している。そして、それは大概正論だ。

 

 そのタイプの先生から指導を受けるとき、学生はその先生の正義やルールに則って実習しなくてはいけない。ルールから外れるような行為や状態は糾弾される。

 

 周りから見れば、未熟な学生が先生に叱られている図で、まったく問題ないように思える。もちろん、大概の場合は学生側に責任があり、指導する側にはなんの落ち度もない。その人の正しいと思う医療人の姿に学生を近づけようというのは、当然の手法である。

 

 しかし、学生の立場では、あまりにもその先生の正義を押しつけられ、自分の存在を尊重されないと、どうしても反発を覚えてしまう。この感情自体が学生のわがままだとは思うが……。

 

 たとえば、とくに不真面目なこともしていないのに、最初からどう答えても叱られるような質問をされる。場合によって言うことが変わりダブルスタンダードをとられ、どう行動したらいいか分からなくされる。人格否定するような言葉が目立つ、など。

 

 この人は本当に指導熱心なのだろうか。自分の正義を他人にも適応したいだけなのではないだろうか。現に、先生の質問にこちらが何を言っても、話題は相手の思った方向に矯正されている。実習としての正しさより先生が気にいるか気にいらないか、が全てのように思える。自分の思い通りにしたいだけで、学生個人についてはどうでもよいのではないか。

 

 なんて、思ったりする訳である。

 

 何度言うが、もちろん失態の原因は自分の未熟にある。こちら側は、勤務中の忙しい時間をもらって指導してもらっている立場である。しかし、この人は自分のことを本当は見ていないと思ったり、この人の正義に自分が押し込められていると感じたら、どうしても少しは不信感を抱いてしまう。

 

 

価値観は客観になり得ない

 

 ところで、殺人は犯すべからず、などのあまりに基礎的な部分は人類で教諭すべき価値観なのは異論ないだろう。

 

 しかし、個人の価値観というのは(いくら正しく見えても)あくまで1人の主観的な価値観にすぎない。

 

 医療に関する価値観について、現場の医師の方が学生より相対的に正しい価値観を持っているのは当たり前だ。

 

 しかし、その価値観もあくまで主観のひとつなのではないか。それを絶対だと思い込んで、一切変更の余地なく他人に押しつけるのは間違っているのではないか。

 

 現に、同じ地位の先生同士でも違う価値観になっている場面を多く見てきた。

 

 別に、医療現場の話に限らず、自分の価値観に一切の疑いを持たず、他人をそれに同調させようとするのは、間違っていると思う。

 

 

自信と傲慢の境界は

 

 自信があるのはいいことだ。

 

 自信があった方が生きやすい。自分に不信感を抱いて、生活上のタスクをこなしていくのはしんどい。自信があれば、無用な不安はない。

 

 自信がないと、なにをするにしても過去の失敗が頭をよぎり不安になる。不安になって行動がぎこちなくなってしまう。

 

 自信があれば、そんな思いをすることなく、スムーズな行動ができる。

 

 しかし、自信があるのと、自分を疑わないのはまた別だと思う。

 

 「自分は間違っていない」というのは自信ではなく傲慢だ。

 

 そして、それを他人に押しつけるのは、無自覚にしろ罪なのではないか。

 

 自分を一切疑わないのは、楽でいい(立場上それが可能なら)。そして自分の正義に他人を同調させるのも気持ちいい。

 

 でもそれは間違っている、と僕は思う。

 

 

まとめと謝罪

 

 相手の時間をいただいて、指導してもらっていることは重々承知である。けれども、その指導の仕方が、学生を眼中におかないその先生の正義だけが絶対視されるモノだと、少しは不信感が生まれてしまう。

 

 という話でした。

 

 まぁ、僕はゴチャゴチャ言う前にしっかり実習するべきだ。ちょっと思ったことを書いただけなので軽く流していただきたい

 

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