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ワタベラ雑記帳

メンヘラ雑記。生きづらさ考察、創作、本、映画、音楽。

Watabera Miscellaneous Notes

さよなら、鈍い感受性

”僕にはなんにもない”なんて顔しないでよ

 

 最近、自分の幸せを再認識した。

 昔友人といった旅行の写真だとか、部活中に撮った動画だとか、ふと見てかえしてみて、自分の幸せな部分を確認した。

 具体的には、旅行の思い出、気の置けない友人のいること、部活でいい経験ができたこと、現在の部活に居場所があること。

 別にこれはマウンティングではない(意識の底ではそうなのかもしれないが)。

 こういう風に、自分の足りない部分ではなくて、自分が今持っているものに目を向けるのはとても大事だ、と僕は思う。

 例えば、僕に足りないものと言えば、コミュ力、社会性、文章力、語彙力、運動神経、自制心……etc、すぐに沢山挙げることができる。

 しかし、自分が今持っているもの、自分の幸せな部分を挙げるとなると、なかなか出てこない。

 なぜなら、普段から足りないものにばかり目を向けて既にもっているものには向き合っていないからだ。

 自分の欠点や足りてない部分を認識し、改善や対応策を考えていくのは、重要だ。しかし、欠落についてばかり考えていると、自己肯定感が低くなってしまう。

 ときには、自分の幸せや努力した過去を見つめてあげることも、自己肯定感や自己効力感の為によいのではないだろうか。

 そしてなにより、自分の幸せに向き合わないのはその幸せに対して失礼だ、と思う。

 自分は何も持ってませんみたいな顔をしていても本当に何もない人なんてごく少数だと思う。多くの人は、既に持っている幸せを見ないフリをして、「何にもない自分」を演じているのだ。

 それではあまりにも、自分が既に持っている幸せ、例えば思い出や親しい人に対して、失礼だ。それらを蔑ろにするのは、人として筋が通っていない。

 たまには、自分の幸せについて考えて、それに浸ってみるのも悪くない。精神衛生的にも、人間の筋としても、それは間違った行為ではないはずだ。

 

 

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