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ワタベラ雑記帳

メンヘラ雑記。生きづらさ考察、創作、本、映画、音楽。

Watabera Miscellaneous Notes

さよなら、鈍い感受性

【社会人】飲み会のお作法やマナーは本当に必要なのか【上司】

 

 こんばんは、綿箆マナです。


 今回は、飲み会のお作法について、僕の考えを書こうと思う。

 

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飲み会のお作法は必要?不必要? 

 

 前も書いたが、医学生も高学年になると、実習や就活の関係で、現役のお医者さんと知り合う機会が増える。そうすると、仲良くさせていただいた先生に、飲み会へ連れていってもらったりする。

 

 そういう飲み会に参加するとなると、学生の身であっても(だからこそ)お作法を身につけておく必要がある。もちろんお作法以前に、マナーや常識として目上の人には敬語を使うとか、失礼な振る舞いをしないとかは大前提だが。

 

 いわゆる飲み会のお作法とは、

・目上の人には奥の席(上座)に座ってもらう

・目上の人のグラスが空いたらお酒が必要か確認する

・瓶ビールを注ぐ際はラベルの上にして両手で注ぐ

・目上の人と乾杯するときは自分のグラスを少し下げてグラスを当てる

などがあげられる。

 

 こうしたお作法は、社会人の飲み会では必須とされているしかしその一方で、全く意味がない、価値のない価値観の押しつけ、無駄なガラパゴス文化などの批判もある。飲み会のお作法などなくしてしまえばよいという意見もみられる。

 

 たしかに、ビールを注ぐときにラベルを上にしたからといって味が変わるわけでもない。そういう意味では無駄である。

 

 果たして、飲み会のお作法というものは、無駄で意味がない、排除してしまってもいいものなのだろうか。

 

 僕は、そうではないと思う。詳しく言うと、飲み会という社交的な場を運営するにあたって、お作法は便利な道具として使用できるため、無駄ではなく排除する必要もないと思っている。以下に詳しく述べる。

 

 

お作法は実用性より敬意の表現である

 

 現代において、飲み会のお作法の多くは、実用性よりコミュニケーションとしての意味の方が大きい。ビールのラベルの例のように、実用性の観点で見ればお作法にはほぼ意味をなしていないものもあり、不要だといって構わない。しかし、飲み会での上下関係を円滑にするための道具としては、非常に便利なのだ。

 

 たとえば、上座として目上の人に奥に座ってもらうのは、入り口から危険な人が入ってきたとき、目上の人がすぐに襲われないようにするためという、昔のしきたりである。実用性の観点でみれば殆ど意味をなさない。むしろトイレに行きやすい入り口のほうが便利なのではないか。

 

 しかし、上座のしきたりを後輩が行うことによって、先輩へ「私はあなたを目上として尊重しています」という意思表示になる。ここにこそ、上座のしきたりの本当の意味がある。上座が、実用性よりも、コミュニケーションの1つとして利用されているのがわかるだろう。

 

 つまり、こういった飲み会のお作法は、目上に敬意を示すための、パターン化されたコミュニケーションなのである。あなたのこと尊敬しています」とわざわざ言葉にしない代わり、簡単な行動でそれを伝えているのだ。


 お作法は実用性を元にしてはいるが、その実、相手に敬意を簡単に示すための便利な道具としてのほうが本質に近い。お作法は相手に悪い印象を与えることは決してなく、かつ簡単に相手の好意を引き出せる。そういう道具だと思えば、無理矢理捨てるほどのものでもないと思う。

 

 また、少し話は逸れるが、レストランのドレスコードやテーブルマナーも「自分はこの場に相応しい人間だ」と主張するための簡易的な手段である。

 

 まとめると、飲み会でのお作法は、上下関係を円滑にするためのコミュニケーションアイテムであり、無駄で意味のないものや、排除して構わないものではないのだ。

 

目上と目下のすれ違いを解決するには

 

 しかし、実は、お作法が無駄だ不必要だという主張は、実用性がなく無駄という点に端を発しているのではない。

 

 現在の社会において、目下がお作法を守ることは当たり前である。後輩は先輩に敬意を払うために実用性のない行為を強制されるのが普通、という状況なのである。

 

 現代のこのような状況への目下の立場の人間からの反発が、お作法無意味論争の原点になっているのである。結果、目上と目下のすれ違いが発生している。

 

 この問題を解決するには、目上の立場の人の意識に変化が必要だと思う。

 

 目上の立場の人に敬意を払うのは社会人として当たり前である。しかし、目下の人間は自分へ敬意を払うために、ひと手間をかけてくれているのである。そこへの感謝を目上の人は忘れてはいけないと思う(偉そうにすんません)。

 

 自分より立場上では下でも、相手は自分と同じ人間なのだ。当然、存在を尊重しなければならない。だから、自分への敬意を示すための手間をかけさせることを当たり前だとは思っていけない。

 

 具体的には、目上の人は、お作法ができていない後輩を叱ってはいけないと思う。お作法ができていないからといって、必ず相手のことを尊敬してないわけではないのだ。ただその表現の仕方を知らないだけかもしれないのだ。

 

 そういうとき目の上の人は、「お作法は便利なものだから覚えておいて損はないし、社会で必要だから今後はお作法を守った方が都合がいい」と伝えるのがよいのではないだろうか。

 

 また、お作法に沿って敬意を示してくれた後輩には、それを当たり前として扱うのではなく、その手間に感謝し、相手に尊重の意を示すことが必要だろう。

 

 たとえば(?)、僕が現役の医者の先生と飲み会に行って、(ほとんど気が利かないけど)たまに気が利いた振る舞いができたときには、先生方は学生の僕に対しても丁重にありがとうを言ってくださる。そう言ってもらえれば、とてもうれしい。

 

 互いの尊重は感謝は、決して人間関係を悪くはしない。

 

 以上より、僕はお作法に関する目上目下のすれ違いを解消するためには

・目上目下ともに、お作法はコミュニケーションのための手段という認識をもつ

・目下は、目上には敬意を払うという前提のもとで、お作法を便利な道具だと捉えて利用する

・目上は、目下が自分への敬意のために手間をかけていることを当たり前と思ってはいけない

・目上は、お作法に守る目下に対して、その敬意と手間に感謝の態度が必要である

以上の項目が必要だと思っている。

 

 

まとめ

 

飲み会のお作法はコミュニケーションのための便利な道具で決して無駄ではないが

 

目上がお作法を当たり前のものとして目下に押しつけるとすれ違いが生じてしまうので、

 

互いに歩み寄り尊重しあうことが大切なのである。

 

とは言ったけど

 飲み会お作法ではないが、個人的に、判子を上司に向けてお辞儀をするように斜めに押す、というお作法には生理的な嫌悪感を覚えてしまう……(というそんな作法本当に存在するのか。誰かが最近作ったんじゃなくて?)。

 

 あと、就活のESは必ず手書きという、敬意に対して手間や労力が釣り合っていないお作法もおかしいと思う。目上から目下への同じ人間としての尊重が存在していない作法の好例だ。

 

 就活をしたことないが、就活のお作法は、敬意と労力が釣り合っていないものが多い気がする。採用する側とされる側という立場があるから仕方ないのだろうか。それか全部リクルート系企業のマッチポンプなのだろうか????

 

ともかく

 まぁ飲み会のお作法に関してはそんな悪いもんじゃないってことでよろしく頼む。

 

 

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