【オタク】果たしてTwitterは出会えるのか【出会い】
こんにちは、ワタベラマナです。
僕はいわゆるTwitterヘビーユーザーである。始めてから5.6年は経っているし、呟くこともないのにタイムラインを眺めているし、ごくたまにオフ会に参加したりする。
僕みたいなTwitterヘビーユーザーは、Twitter、とくに僕のアカウント(@homuty)のフォロワーにたくさんいると思う。ということは、そこまでさせる魅力がTwitterにはあるのだろう。
では突然だが、Twitterの魅力とはどのような点だろうか?
僕なりの考えになるが、Twitterの魅力(および便利な使い方)は、3つあると思う。
今回はその3つの魅力と、隠されたもう1つの危険な魅力(そして出会い関連)について書きたい。
Twitterの正常な魅力3つ
リア垢
1つは、現実の人間関係の範囲内で交流する(いわゆるリア垢)のに便利である点。
Twitterでは、現実の知り合いと実際に会わなくて交流できる。家にいても、出先でも知り合いの情報を得られる。昔の知り合いなど、距離の離れた人物とも交流できるわけだ。
また、LINEなどは特定の個人に向けて情報を発信するが、Twitterでは「知り合い」というぼんやりした概念に向かって自分の情報を発信する。特定の個人ではなく、「誰かしら」に向けて発信するため、他のユーザーはその情報を受け止めても流してもよい。その気軽さも、この使い方の魅力である。リプライを使えば、指向性のあるコミュニケーションも行える。
趣味の共有
次は、現実では関われない人たちと関われる点である。
現実の周囲にはいないけれど、関わってみたい人たち。Twitterではそれらの人と交流したり、彼らからの情報を受け取ることができる。Twitterに距離や現実のコミュニティ(学校など)は関係ないからだ。
たとえば、同じ趣味や環境を共有している人たちが周りにいなくても、Twitterなら関わることができる。アニメ好きならアニメ好きと、ミリオタならミリオタと。現実の知り合いとはできない話を彼らとすることができる。
僕は医大生なので、他の大学の医学科の人をフォローしている(あとメンヘラ界隈)。
他にも、自分の好きな表現者(アーティスト)の作品や情報を得ることができる。アマチュアの絵かきさんがTwitterで絵を発表していたら、その人をフォローしてその人の作品を楽しめる。アイドルや音楽アーティストの新曲やライブ情報も受け取ることができる。
僕でいえば、ラブライブの漫画を描いてるいなばさん(@kayotin_code10)などをフォローしているわけである。あとはツイートが魅力的な人なんかも。
インスタ女子め…インスタ映えする墓にいれてやろうか…
— 挽歌ちゃん (@banka_bunker) 2017年9月26日
表現の発信手段
最後の1つは、情報の発信手段として便利な点である。
漫画や絵、写真や音楽など、自分が表現、創作したものを他人に知ってもらう手段としてTwitterは有用である。リツイートによって多くの人に広がれば、一気に知名度が上がる。
たとえば、僕であれば、自分のブログを発信する手段の1つとしてTwitterを使っている。
親に禁止されたものは、反動で大学時代に無駄にハマる
— ワタベラマナ (@homuty) 2017年9月22日
#はてなブログ
【毒親】ゲーム禁止が引きこもりゲーマーを生み出すメカニズム【束縛】 - 綿箆雑記帳https://t.co/49HYKx1iJ6
小まとめ
まとめるとTwitterの大きな魅力は以下の3つである。
①現実の人間関係の交流手段として便利
②趣味などを共有する人間との交流が可能
③表現や創作や意見を発表する手段として便利
しかし、実は、Twitterには禁じ手の4番目の魅力がある。
危険な4番目の魅力となぜ危険なのか
4番目の魅力は、現実の人間関係を補填することができる点だ。
現実での欠けた人間関係を満たすツールとして、Twitterは機能する。
具体的には、現実で周りと上手くいってない人が、Twitterで友人や恋人(orセックスさせてくれる人)を探したり、Twitter上の馴れ合いで承認欲求を満たすのである。
だが、経験則として、現実の人間関係をTwitterで補填しようとしてもろくなことにならない。だから、Twitterのこの使い方はしないほうがいい。
その理由を以下に書く。
現実の人間関係が上手くいかない人は、Twitterでも上手くいかない
まず前提として、Twitterで人間関係を補填するのにはどのようなメリットがあるだろうか。
・顔や身だしなみなど外見が考慮されない
・立ち振る舞いの不自然さが分からない(キョドりがバレない)
・現実の周囲にはいない趣味や意見が合致する人と出会える(かもしれない)
・ネット上の人間関係だから失敗しても現実にダメージがない
この辺だと思われる。これらの理由があるから、多くの人が、現実というステージから逃げてTwitterで他人と触れ合おうとするのである。
しかし、これらのメリットは、「現実で上手くいかない人」には、ほとんど関係ない。だから人間関係を築く場所としてTwitterを選ぶのは優れた選択肢ではない。
まず上2つのメリットについて、現実で上手くいかない人は、Twitterでも現実と同じように、他人の気持ちを考えない行動をしてしまい、Twitterでも人間関係の構成に失敗する。そこに外見や振る舞いが隠されていることは関係ない。
たとえば、女性ツイッタラーにキモいDMを送ったり、反応もないのにうっとおしいリプライを送りつけたりしてしまうのである。他には、絵かきの人にただでアイコンを描けと迫ったりするやつとかも好例であろう。
というわけで、たとえ外見や立ち振る舞いの欠点を隠せても、そもそもの人間性に問題があるので、現実の人間関係に問題がある人はTwitterでも結局他人と上手くやっていけない。むしろ、自分の欠点が隠れたせいで、無駄に他人に対して強気になっている節すら見られる。なので、外見や振る舞いを隠せるという上2つのメリットは大体意味がない。
また3つめのメリットについて、現実にはいない趣味があう人とTwitterで出会えても、それだけでは人間関係を構成はできない。人間性が必要なのだ。よって、根本的な解決にはならない。
唯一のまともなメリットは、4番目の「ネット上の人間関係だから失敗しても現実にダメージがない」ぐらいしかない。面を合わせた会話が苦手な人が、ネット上でまずは文字だけのコミュニケーションから始め、失敗しながら最終的にその経験を現実にフィードバックするにはいいかもしれない。
結局、Twitterで現実の人間関係を補填するメリットはあまりない。それゆえ、現実で上手くいかない人はTwitterでも上手くいかないといえる。
現実でセックスできない奴はネット通してもセックスできねぇよ。
仮に関係が築けても、いずれ崩壊し、大きな傷跡を残す
仮にTwitterで承認を得たいやつ同士が出会って、需要と供給が一致したとしよう。一見、なにもかもが上手くいきそうにみえる。
ただし、そういう場合、相手もただ承認を得たい人間である。なので、相手は、こっちの人格を考慮していない。つまり、互いに機械的に承認を与え合うだけの歪な人間関係になってしまう(それでいいならいいけど)。
さらに最も重要なのは、相手はこちらを生身の人間として捉えていないので、こちらの承認欲求が重いと感じたらすぐに切り落としてくることだ。そのときの自分の受けるダメージは計り知れない。
たとえば、君は相手のことをネットで出会った運命の人と思っていた。毎日連絡を交換していたし、互いに愛情を確認していた(気になっていた)。ところが、ある日突然連絡が途絶えてしまう(相手が飽きた)。きっかけはLINEがちょっと面倒だったとか、そんなことだ。どうやっても返事がない。捨てられてしまったようだ。その相手に酷く依存している君はどれくらい傷つくだろうか。
ネットで互いの需要が一致して、共依存になった場合、簡単にその依存が深いところまでいってしまう。大分ずぶずぶになったところで片方が飽きて共依存からサッと抜け出す。残された一方は、相手がいないまま、泥沼の底に置いていかれるわけだ。
ネットで出会えても、相手も自分と同じ他人の気持ちの考慮できない人間の可能性が高く、結果簡単に捨てられ、心に大きなダメージを負うことになる。よって、Twitterで人間関係(とくに恋愛)を築くのはおすすめできない。
もちろん自分が相手に傷を負わせるパターンもある。
根本的なコンプレックスの解決にはならない
Twitterで人間関係が築けても、その関係を現実生活に持ち込めるようになるのは、ごく少数である。結局、Twitter内の人間関係はTwitter内にとどまる。
とはいえ、Twitter内の人間関係も自分の承認欲求を少しは満たしてくれるため、どうしてもそれに依存しがちである。擬製の承認で生き長らえるわけである。
しかし、そもそもTwitterに人間関係を求めるようになったのは、「現実の人間関係がうまくいかなったから」である。Twitterの人間関係に閉じこもっていては、結局大元の問題は解決せず、コンプレックスは解消しない。
たとえば、Twitterではネタツイートで有名に、フォロワーも多く、彼らとの交流に満たされている。……ように見えても、結局現実に友達が一人もいなかったら、満たされないのは想像に難くない。
Twitterの人間関係を足掛かりして、現実にフィードバックし、現実生活での周囲との関係を改善しようとするのならば、また別だ。それに関しては、僕はTwitterのある種正しい使い方だと思う。
しかし、そうでないのなら、Twitterで人間関係を構築しても、大元のコンプレックスは解消されずに苦しみ続けることになる。
仮にオフパコできてもお前の身体から童貞臭は消えない。
まとめ
以上3つの理由により、現実の人間関係の補填をTwitterで行おうとするとろくなことにならないので、やめたほうがいいと言える。
Twitterは、一番最初にあげた3つの魅力に沿って使えば、便利なツールである。しかし、人間関係を求めて使うとろくなことにならないのだ。
「キモいDMきた!」といって晒されたり、メンヘラに依存されていると思ったいたらこっちが依存してしまった挙句捨てられたり、Twitterに籠っていつまでも現実に踏み出せなくなったりしたくなければ、Twitterに人間関係を求めるのはやめたほうがいい。
……というのを、僕の長いTwitterr歴のなかでひしひしと感じたのでした(非常に痛い目を何度もみた)。
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