夜景と高級ディナーの画像ばかりをTwitterにあげるやつは本当に富裕層か?
今日、僕のタイムラインに流れてきたツイート。
1歳娘がDSいたずらして夫のテトリス最高得点消しちゃって夫激怒。私は洗濯物をとりこんでいたんだけど、娘の手の届くところに自分がDSを置いておいたのはともかく「目を離したお前が悪い」って怒られちゃった…。妻として反省(泣)仲直りケーキ作ったよ☆ミ 喜んでくれるといいな! pic.twitter.com/7I3iyWNBb7
— ドラクエふじこ (@nihonnoakitainu) 2017年10月10日
娘のいたずらに激怒した夫に八つ当たりされたので、ケーキを作ってプチ反論した。という内容のツイート。直接言ったら喧嘩になることでも、子どもっぽくケーキに書くことでユーモアに変わる、と結構ウケてバズっている。
リプ欄には、奥さんのユーモアを称賛するツイートが殆どを占めている。たまに、奥さんのやり方を陰湿だと批難するものも見られたが、あくまでそれはほんの一部。ネットの民(この場合は既婚女性が有意に多い可能性があるが)の意見は、「夫の理不尽な怒りに、余裕をもった反論をする奥さんステキ!」という論調だった。
そのあとに流れてきたツイートがこれだ。
こんな陰湿な行為をSNSにアップしてRT稼ぐような妻だけは持ちたくないですね。
— 白饅頭(光属性) (@terrakei07) 2017年10月10日
ツイート主のページを見る限り、明らかに上のツイートに対しての批判である。ただし、このツイートには、奥さんのやり方が陰湿だ、という先ほどのリプ欄の批難ツイートにはなかった新たな視点が備わっている。それはなんだろうか。
その視点とは、「ネットに投稿されたものには必ずそれをアップした人間が存在する」というものである。この場合は、「1連の事件をネットにアップした奥さんの姿」に気づく視点である。
『こんな陰湿な行為をSNSにアップしてRT稼ぐような妻だけは持ちたくないですね。』
ここで、白饅頭さんは、「メッセージケーキでの反論」「それをわざわざSNSを投稿する行為」の2点で、前ツイートの奥さんを批難しているの。
ケーキでの反論の是非は、夫の八つ当たり度合いや普段の夫婦の関係にもよるので、なんともいえない。(ただ、1歳娘のいたずらという不可抗力といっても、テトリスの記録が消えたのは夫にとってショックだったはずなので、一生テトリスやってろという煽りは陰湿だと思う)(もちろん八つ当たりしていいわけではない)
しかし、「八つ当たりしてきた夫に対してメッセージケーキで反論した」というツイートをアップして、夫をネタにネットの反応を集めている姿は間違いなく滑稽そのものである。批難されても仕方ない。これをTwitterにアップして、多くの人に自分を褒めさせ、同時に夫をネットの人間に攻撃させるのは、よい憂さ晴らしになることだろう。しかし、それは褒められた行為だろうか。決してそうではないだろう。
このように、「ネットに投稿されたものには必ずそれをアップした人間が存在する」という視点は、ネットで騙されないために重要である。
SNSなどネットの投稿では、「こんなことがあったよ!」の「こんなこと」ばかりに焦点が当たりやすい。それを写真に撮ったり、文に書いたりして、ネットにアップしている人間の存在は、「こんなこと」の陰に隠れて見逃しやすい。そして、投稿の裏に隠された、それをネットにアップしている人間の姿は、非常に滑稽だったりする。
たとえば、インスタやTwitterに、オシャレな高級料理店の食べ物の画像がアップされたする。それに対して、アップされた情報のみに注目すると、お洒落だなぁとか美味しだなぁとかいいなぁ、などの感想が予想される。しかし、「ネットに投稿されたものには必ずそれをアップした人間が存在する」の視点からこの投稿を見てみると、高級料理店でスマホを取り出して料理の写真を取り出す人間の姿が浮かび上がってくる。「オシャレな高級料理の画像」はよいものだ。しかし、「SNSにアップするために高級料理店でスマホで写真をとる人間」の姿は、周囲からしたら笑いものである。高級料理の写真に騙されると、その人を品のある人だと思ってしまうかもしれない。しかし、実際は「高級料理の写真をネットにアップする人」でしかないのだ。
(くだけた話をすると、今日は六本木の~~でディナーとかいって、料理と夜景の写真を撮ってる人とかいるでしょ。白衣俳優の医者垢とか。アレ、ネットにあげるために、要は高級な店に通う俺を異性にアピールするために、オシャレな店でわざわざスマホ出して写真撮ってるんだよ。ダサくない?本当にそういうとこに通うのが当たり前な人は、そういうアピールする必要もないから、そんなことし)
2ch(5chか……)やTwitterの匿名の書き込みにも、当然それを書き込んでいる人間がいる。まっとうな主張のような顔を批難されると、その文面だけを受け取って、それが正論だと信じてしまいがちである。しかし、その書き込みも、現実にそれを入力した奴が存在する。そして、そいつが実際どのような人間なのかは分からないし、同時にその書き込みの信憑性や意図も不明である。愉快犯で嘘を書いているのかもしれない。ネットでよく見られるように、叩きたいから叩いてるだけかもしれない。そう考えると、不確実な情報に踊らされたり、批難に無駄に心乱されたりせずにすむ。
また、この視点は、自分がネット上の誰かを不快にさせないためにも重要である。Twitterではアイコンとツイートだけが連なって、その奥に生身の人間がいることをしばしば忘れてしまいがちである。「ネットに投稿されたものには必ずそれをアップした人間が存在する」と頭の隅に置いておけば、画面の向こうの人間を気遣うことができる。
「ネットに投稿されたものには必ずそれをアップした人間が存在する」という視点、ネット社会で過ごすには、非常に重要な知見ではないだろうか。
ワタベラマナでした、ありがとうございました。
↓↓クリックだけで、より多くの人に読んでもらえます。よろしくお願いします!↓↓