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ワタベラ雑記帳

メンヘラ雑記。生きづらさ考察、創作、本、映画、音楽。

Watabera Miscellaneous Notes

さよなら、鈍い感受性

(軽度)発達障害者に「気にするな」「誰でもある」と言わないで

 

 発達障害についての話。

 

 

 

発達障害と親子関係(メンヘラ.JPの記事より)

 

 今日、このメンヘラ.jpの記事を読んだ。内容は、タイトルの通り。母親に発達障害について相談しても認めてもらえず、逆に否定された、というもの。発達障害的な失敗に悩む部分と、発達障害をカミングアウトしたときの親の反応に共感できる部分が多かった。

 

 それで、今回は発達障害とカミングアウトについて書きたいと思う。

 

 まずは、うえの記事の内容の要約から(もし記事の内容と違うようであれば教えてください)

 

記事の内容

 記事の著者は、ADHD的な失敗を繰り返すたびに母親に叱られていた。そして、自分がADHDだと疑うようになり、それを母親に相談するも、相手にされなかった。

 

「あんたの悩みなんて大したことない」「(失敗なんて)みんなする。あんたは直す気がないだけ」と言われて育った。言われると実際そんな気もしてくる。本当のことなんてわからない中で、母親は正しいことを言っているように見えた。

 

 そして、著者は大学で発達障害診断用のIQテストを受ける。自分の社会不適合な部分が発達障害によるのか、ただの自身の怠慢なのか区別したかったのだ。結果、ADHDと診断された。

 

 著者は、母親にADHDの診断を伝えることにした。今までADHDを否定した母親に、事実を認めさせ、一言謝罪が欲しかったからだ。しかし、結局、母親はその診断を娘の「甘え」と一蹴して終わらせた。

 

最後に笑顔で聞かれた。
「それであんたは納得したの?」
私は関係ありませんよ、という顔だった。曖昧に笑って誤魔化した。

 

 著者は、母親に見切りをつけ、自分で生きていくつもりだ、と最後を閉めている。

 

発達障害を認めてほしい子、認めない親

よくあるパターン

  発達障害と向き合い、なんとか生きづらさに折り合いをつけようとする子どもと、子どもが発達障害だと認めずに「誰でもあることだ」「気にするな」と主張する親

 

 このパターン、軽度発達障害の子ども(青年)には多いのではないだろうか。

 

 子ども側は、今までの自分の失敗経験(や、それで親に叱られたこと)に発達障害の影響があった、と親に認めてもらうことで、楽になろうとしているのだ。なぜなら、「障害のせい」という不可抗力の存在を親に認めてもらうことで、今までの失敗の自分の責任が消え、自分を苦しめる低い自己評価から解放されるからだ。この「楽になろうとする行為」は、別に悪いことだと僕は思わない。ただ、発達障害で二次的に生じた認知のゆがみを直しているだけだからである。

 

 一方で、親側は子どもの主張をそう重く取り合わない。発達障害に関する知識が少ない、自分の子どもが「障害」だと認めたくない、など理由は色々ある。このパターンにおいて親は、「気にしすぎ」「その程度みんなある」「お前の甘えだ」というように、暗に「お前は発達障害じゃない」と子どもに伝えるだけで終わる。「お前の悩みは分かったが、それはよくあることで、わざわざ障害というほどのものじゃないから頑張れ」大体こんな感じが親の主張の終着点だ。

 

 そういう反応された子ども側のダメージは大きい。なぜなら、親が気づかないだけで、子どもからしたら「今までのお前の失敗は、発達障害が原因じゃなくて、お前自身が悪いだけだ」と言われたのと同じだからだ。さらに、自分が深刻に考えたうえで相談したことを軽くあしらわれたら、実の親に拒絶されたという記憶しか残らない。

 

 もちろん、親のほうも悪気がない場合がほとんどだろう。むしろ、自分の子どもに元気になってほしくて、障害を否定している場合もあるだ。しかし、それが大きなすれ違いを生んでいる。少なくとも、子どもは心に傷を負って終わる。

 

 ここでは、親と子どもについて書いたが、友人同士の発達障害のカミングアウトでも同じだと思う(そのことも記事の著者は書いている)。

 

悩みの受け手へのお願い

 相手(子ども、友人)はそれなりに深刻に考えたうえで、あなたを信頼して相談してきている。相手の悩みが取るに足りない誰にでも当てはまるようなものに見えても、最初から否定するのはやめてほしい。よければ、悩みを聞いてあげて、たしかにそういうところもあったかもしれないね、と曖昧にでも同調してあげてほしい。少なくともあなたが否定せずに言葉をかけてあげることで、きっと相手は救われる。ただ、もちろん発達障害診断は医療機関でしかできない。よって、未診断の人で、悩み続けるほど生活に影響がある人には、最終的に受診を勧めたほうがよい

 

僕の発達凹凸と親への相談

 最後に僕の話を。

 

 僕も大学に入ってから、「他人の会話への割り込み」「多動傾向」「暗黙の了解が理解できない」「動作が常にぎこちない」など、自分の発達障害を疑い、(それで二次的な障害が出たのもあって)、メンタルクリニックを受診し、WAIS-Ⅲ(発達障害診断用のIQテスト)を受けた。

 

 テストの結果を受けた主治医の判断は、「発達に凹凸があり、障害の傾向はあるが、典型例ではなく診断まではいかないグレーゾーン」だった。診断がつかず自分の生きづらさをどこにぶつけたらいいのだろうか、という思いと、それでも症状が重いよりは軽いことを自分個人については喜んでいいのではないかという思いで、しばらく混乱していた。しかし今は、ある程度の生きづらさを抱えても、なるべくそれに対応しながら生きていこう、と自分のなかではある程度まとまってきた。

 

 そのように自分のなかで整理がつく前、両親に相談したことがあった。親には話さまいと思っていたが、酒の席でつい親に相談したくなった。「今まで~~でしんどかったから、知能テストを受けた。結果はグレーゾーンで、診断はつかなった。でも、自分としてはやはり生きづらさがあって、これは障害だと思う」相談というより半ば愚痴だったのかもしれない。自分を育ててくれた親に、「たしかそういうとこもあったかもしれないな、それが原因だったのかな」などと、僕が生きづらさを抱えていると認めてほしかった。

 

 しかし、両親は(おそらく僕を心配させまいとして)、「そんなの私もあるし誰でもある」「考えすぎ」「それなら誰でも発達障害だ」と言った。両親が僕のことを思ってそう言ったのは分かっていた。それでもやはり僕は辛かった。自分が生きづらさを抱えていると親が認めてくれなかったこと、自分が深刻に考えたことを親が軽く流したこと、この2つが僕に与えたダメージは大きかった。ただただ、両親に拒絶されたような印象だけが残った。二度とこの件で親に相談しまい、と思った(結果、別のトラブルが生じたが)

 

まとめ

 最後にもう一度。発達障害診断済みの人、自分を発達障害かどうか悩んでいる人から相談されたら、誰にでもある悩みにみえても、「気にするな」「誰にでもあることだ」と言わないでほしい。相手のことが不快でなければ、その悩みに耳を傾けてあげてほしい。それだけで、相手の心は軽くなるのだ。

(ただ、個人でどうこうできる問題ではないので、最終的には医療機関に任せる)

 

 以上、ワタベラマナでした。ありがとうございました。

 

 

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