slowly

ワタベラ雑記帳

メンヘラ雑記。生きづらさ考察、創作、本、映画、音楽。

Watabera Miscellaneous Notes

さよなら、鈍い感受性

母親と私

 

うちの母親は過保護・過干渉である。

 

髪型とか服装とか食べものとか、会えば必ず彼女の思う「息子にとって正しい方」に矯正され(かけ)る。

 

僕個人としては、とうに成人しているのだし(まだ働いていないので親の金銭援助下であるが)、色々と自由にさせてほしい。犯罪でもしない限り、おおよそ自己責任の範疇でやらせてほしい。独立した一人の大人になりたい。とずっと思っていた。

 

しかし、僕がいくら年をとろうが、彼女にとって僕は息子なのだ。小さい頃から続けてきた「息子を正しい方に導く」習慣をやめはしないのだろう。むしろ、やめさせるほうが酷なのかもしれない。

 

逆にいえば、僕もすでに成人しているので、母親にお節介を焼かれても受け流すべきなのだろう。だが、僕は母親に彼女の考えを押し付けられると、反射的にかなり苛ついてしまう。

「僕はもう大人なのに、いつまで親の役割を手放さないつもりなんだ」

感情をコントロールできない。場合によっては彼女への言葉が荒くなってしまう。そして無駄な衝突を引き起こす。

 

母親に依存していた子ども時代から抜け出したい。なのに、母親はそれを許さない。そんな母親を認められない。長い間、そんな状態が続いた。しかし、しばらくして気づいた。僕は依存から抜け出したいと言いながら、それでいて母親に依存しきっていた。

 

本当に依存から抜け出したならば、(先に書いたが)母親になにを言われようと受け流せばよいはずだ。しかし、僕は「母親が僕を大人扱いしてくれない」と苛ついている。独立した大人になりたいと言いつつ、「母親にあなたはもう大人だ」と認めてほしがっている。独立した大人になったという自負があれば、母親に大人だと認められなくても構わないはずだ。しかし、僕はいつまでも「こども修了」のハンコを待っている。あんなに独立したいと思いながら、結局母親の承認を求めていた。

 

母親に対する態度を考え直さければならないかもしれない。大人なら、「母親が自分を大人だと認めてくれない」などと怒らずに、母親をまた別の独立の大人として尊重すべきなのだろう(親に自分を認めさせる役割を求めない)。過干渉状態でもそれをうまく受け流せるようになるべきなのではないか。

 

と考える一方で、「親の役割を放棄し、子どもを一人の独立した人間として承認する」ことが親の最後の役割なんじゃないか、とも思う。むしろそんな気がする。

 

なんにしろ、親との関係にはまだしばらく悩みそうだ。