slowly

Watabera Miscellaneous Notes

人生やめてません

吾輩は陰キャである

 

吾輩は陰キャである。コミュ力はまだない。

いつかこうだったかとんと見当がつかぬ。何でも小学校の時分に友達からハミられまいと怯えていた事だけは記憶している。

 

と言った風に、僕は生粋の、歴戦の、純粋培養の陰キャラである。陰さんなのだ。ヘケッ。

 

僕は陰キャであると同時に、アンチ陰キャでもある。陰キャは集団不適合な存在で、価値の低いものだ。自分の陰キャ加減をずっと負い目に思ってきた。とんだ原罪を背負ってしまった。

 

今までに何度か陰キャを脱出しようとした。陽キャの友達のノリに乗っかろうとしたり、大学デビューしようとしたり。しかし、一見上手くいった時も自分のなかの違和感は消えなかった。陽キャチックに振る舞っていると、どうしても無理をしている気がするのだ。どんな挑戦も結局は陰キャに収束してしまった。

 

ずっと陰キャな自分が嫌だった。みんなと一緒に盛り上がれるような人間になりたかった。会話に詰まったり、沈黙に怯えるのは卒業したかった。他人との比較などで自分が陰キャだと自覚するたびに凹む。余計にその場の陰キャ化が進行するハメになっていた。

 

しかし、どんなに嫌になっても、運動よりもインドアな趣味の方が好きだし、会話中気の利いた発言はそうそう出てこないし、大人数を巻き込めるようなスムーズな動きが出来る訳ではない。もはやこれは体質だ。後天的に獲得したものもあるが、今からどうこうできそうにもない。陰キャを脱出するには、自分の根本にメスを入れる必要がある。そんなことは時を巻き戻して別の精子に受精を譲らない限り不可能だ。

 

こうなると一つの結論が見えてくる。

 

陰キャは陰キャで別に構わないのである。陰キャそれ自体は誰に迷惑をかけているでもない。ただひっそりとしているだけであるし、その性質は本人の深いところから発生していて、そう変わらない。

 

逆に陰キャにできて、陽キャさんにはできないこともある(したくもないだけか)。

 

わたしが会話を始めても

ボソボソ喋るばかりだが

ベシャリが得意な陽キャさんは

(わたしのように)ブログをシコシコ書いたりしない

陽キャとパリピと それからわたし

みんなちがって みんないい

 

陽キャでない自分がダメな人間のように思えて自分をポコポコ叩いていた。しかし、陰キャなのは自分の特性でそう変えられるものではなく、陰キャだからこそ楽しめている趣味や特技がある。そう考え、自分を認めて楽になっていこうと思う。