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【映画】ロストパラダイス・イン・トーキョー 感想【白石和彌】

  ロストパラダイス・イン・トーキョーという映画の感想です。

  

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 監督は白石和彌さんで、『凶悪』や『彼女がその名を知らない鳥たち』で有名。僕は白石監督の『凶悪』が堪らなく好きである。なので、白石監督の長編デビュー作品であるこの映画を観るにいたった。

 

 

あらすじ

 マンションの電話営業会社で働く幹生は、両親の死をきっかけに、知的障害者である兄の実生と暮らし始める。ある日、実生の性欲処理のために幹生はデリヘルを呼んだ。やってきたのは根無し草のデリヘル嬢(かつアキバの地下アイドル)・マリン。マリンはすぐに実生と親密になり、幹生の想定よりも頻繁にアパートに出入りするようになった。さらに、マリンは自身の夢である「アイランド」に実生を連れていくことを約束する。最初は絵空事だと馬鹿にしていた幹生だが、マリンの言葉を聞き、幹生の本当の幸せを考え始め、本気で「アイランド」を手に入れようとする。奇妙だが幸せな3人の関係。しかし、社会はその平穏を許してはくれなかった……。

 

 以下若干本編の内容に言及しているので、気になる方はブラウザバックを。

 

 

よかったポイント

突きつけられる不条理

 この作品は、現実に存在する不条理から目を離さずに描いている。会社ではパワハラを受け、家では実生に手一杯な幹生の生活。それ以外にも普段は目につかない、しかし間違いなくこの世界に存在する不条理や不幸が、画面に提示されるのだ。ある種の問題提起のような作品でもある。胸がざわつきながらも、画面から目を離せなくなる。

 

 日常的なパワハラに苦しむ幹生、知的障害をもつ実生。デリヘル嬢や年増の地下アイドルとして社会に排斥されるマリン。彼らは不条理や「生きづらさ」に悩まされながらも、毎日を懸命に生きていく。例え褒められない形でも、そこに彼らなりの努力がある。この映画では不条理を叩きつけられると同時に、それに抗うキャラクターたちに心を焚きつけられる。

 

 白石監督の別の作品『牝猫たち』でも、社会的に困難な状況の女性たちの姿が描かれている。 これは日活ロマンポルノリブート作品で18禁だがおススメである。エロという材料を駆使して、不条理に抗い傷ついても前に進む主人公の姿が描かれている。

 

 

人は身近な幸せを見落としてしまう

 この映画は『青い鳥』系のストーリーとして、情感ある作品になっている。

 

 『青い鳥』系ストーリーとは、以下のような流れを辿るものである。

起)欠如を埋めるために目標を掲げる

承)目標のために努力する

転)目標を達成する、もしくは目標到達に失敗する

結)求めていたものは、既に手に入れていたことに気づく

展開や主人公の感情が大きく上下し、作品として見ごたえのあるものになる。この映画も上記のテンプレに当てはまり、心惹かせるストーリーになっている。

 

 ちなみに、本家『青い鳥』のあらすじは以下の通り。

2人兄妹のチルチルとミチルが、夢の中で過去や未来の国に幸福の象徴である青い鳥を探しに行くが、結局のところそれは自分達に最も手近なところにある、鳥籠の中にあったという物語。

wikipedia 青い鳥 より引用)

 

 『青い鳥』のテーマは「幸せは意外と身近にある」である。チルチルとミチルが鳥籠に青い鳥を見つけたように、身近なものを蔑ろにするなという教訓を含んでいる。「ここではない、よりよい何処か」を探すのは大抵徒労に終わるのだ。

 

 このテーマは古今東西繰り返されてきた(と言って上手な例えが出てこないが)。挙げるとするならば、『真夜中のカーボーイ』とか『明日に向って撃て!』とか。アニメ作品としてはまさに『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』が『青い鳥』系ストーリーの代表格である(安定で裕福な生活を求めて主人公ら鉄華団は発起するが、幾多の戦闘を経て最終的に鉄華団という存在こそが求めていたものだと気づく)。

 

 この作品でいう青い鳥は、マリンの夢である「アイランド」である。

 

 マリンは、南の島を購入すれば実生が自由に楽しく暮らせるようになると、幹生に説く。最初は馬鹿にしていた幹生もやがて、「アイランド」の購入を目標に掲げるようになる。

 

 「アイランド」さえ手に入れられれば、幸せな生活が手に入る。その目標を共有した幹生・実生・マリンの三人は奇妙は共同体を形成し、ともに生活しはじめる。幹生とマリンの給料で「アイランド」を購入するのだ。

 

 この「アイランド」、観客からすれば、どう見ても荒唐無稽な代物である。南の島を買ったところで、三人で生活していけるはずもない。にも関わらず、幹生とマリンは「ここではない、よりよい何処か」を目指して、「アイランド」を手に入れようとする。ひとつの現実逃避に違いない。しかし、叶うはずもない夢を一生懸命に追う二人の姿は、儚く刹那的で詩的な美しさに溢れている。

 

映画が提示するメッセージ

 最終的に幹生は、三人で夢を追った(世間的に)歪な生活こそが「アイランド」だと気づく。この展開は、悲歎で心掴むストーリーであると同時に、観客へのメッセージが提示される場面でもある。

 

 幹生とマリンはアイランドという非現実に逃避し、観客はこの映画という非現実に逃避している。それを踏まえると、「三人の本当の幸せは『アイランド』ではなく、日々の生活にあった」という展開は、「観客にとっての幸せは、映画(アイランド)ではなく画面の外にある」というメッセージを提示している。二重構造になっているのだ。

 

 幹生とマリンが普段の生活に本来の幸福を見出したように、我々も当たり前の事象に目を向けるべきなのかもしれない。

 

 

微妙だったポイント

長い

 後半になってからは怒涛の展開なので画面から目が離れたりしない。しかし、前半の「起」と「承」がかなり長いので正直だれる。

 

オチが拍子抜け

 ラストまでが現実の社会に忠実に描かれていた分、オチの突拍子のなさにあっけにとられてしまう。ワザとなのかもしれないし、よかったといえばよかったけど。

 

 

まとめ

  長さとかオチとか気になる部分はある。だが、この映画でひたすら描かれる社会の現実や、そのなかで生きる人々の姿は、今を生きる我々の感性を掴んで離さないだろう。さらにこの映画は、身近な幸せに気づけ、現実に目を向けろと叫んでいる。この気づきは、鑑賞体験以上のものをもたらしてくれる。欠点に余りある価値をもつ映画だと思う。