いつまでお年玉貰うつもりだ医学生
いまだにお年玉を貰っている。
自分の年齢はもう二十〇歳。本来なら社会の一員だ。二次性徴はとうに終わり、背は伸びるどころか去年より0.7cm縮んだ。お年玉を貰うような体でも顔つきでもない。洗面所の鏡にはHIKAKINみたいなオタクが映っていた。流石にHIKAKINはお年玉貰っていないだろう。
しかし、自分はまだお年玉を貰っている。学生だから。
部の飲み会では一線を退いた老害のような飲み方になった。代謝が落ちて脂がつき始めたので、コーラはゼロに変えた。言動が父親に似始めた。遺伝子って怖い。
それでも、自分はまだお年玉を貰っている。学生だから。
何歳だろうが学生は金欠だ。部活と趣味は財布に悪い。野口英世はすぐに平等院鳳凰堂まで分解される。だからこそ、年に一度の正月ログインボーナスは必要不可欠なのだ。バイト出来ない高学年が奢るっておかしくない?
大学五年生の正月は緊張した。一般的な大卒ならお年玉を払う年になってしまったからだ。
けれど、僕はお年玉を譲る気はなかった。冬のラーメン遠征のせいで部の新年会費に払う金がなかったのだ。通帳からはバイト代の気配すら消え去っていた。
結局心配とは裏腹に、例年通りポチ袋が差し出された。学生なら顔がHIKAKINに似ていても、お年玉は貰えるらしい。ありがとうHIKAKIN。
貰ったら貰ったで悪いことをした気分になったが、家庭間での勢力調整か、年下のいとこ(就職済み)も正月実家ログボをゲットしていた。これは多分自分のお陰だろう。正月の善行は清々しかった。
国家試験に受かれば、流石に来年からは払う側になる。
別に金を払いたい訳ではないが、払う側にはいい加減なりたい。
今年に限っては、お金より勉強のやる気と集中力が欲しいかもしれない。