slowly

綿箆雑記帳

メンヘラ雑記。生きづらさ考察、創作、本、映画、音楽。

Watabera Miscellaneous Notes

さよなら、鈍い感受性

おちんちんがすきだ。

おちんちんがすきだ。おちんちんという言葉が好きだ。おちんちんという言葉が持つ社会からの解放が好きだ。おちんちんと言っている間だけ俺は社会から解放される。おちんちんと言う俺は社会のルールから解放されている。
だから、辛いときはおちんちんと言えばいい。社会のルールに、暗黙の了解に飽きたならば、おちんちんと叫べば君は社会性から解放される。社会のしがらみから逃げたれば、おちんちんと叫ぶがよい。君は社会のつまらないルールから遠く離れた存在になるのだ。おちんちんと叫ぶような無法者になるのだ。ルールの外だ。無頼漢だ。君は今社会を捨てたおちんちん野郎だ。


……
………
…………おはよう。僕は今、致命的な宿酔状態でパソコンに残された走り書きと向き合っている。上の文章は、昨日(今朝)酒に大敗を喫し、酔いに酔った状態で書かれたものらしい。
 
 昨日は学科の同級生と居酒屋で飲んだあと、僕の部屋が二次会会場になった。僕の部屋で部活の伝統がどうだとか、本当に受け継ぐべきはなにかなど、やけに真面目な話をしていた記憶がある。
 
 そこから記憶がしばらく飛んで、部屋のなかでおちんちんおちんちんと叫んでいたような気がする。おそらくその前後に書かれた文なのだろう。
 
 20を過ぎて何よりも先におちんちんが出てくるのが恥ずかしくてならない。
 
 しかし、せっかく書いてくれていたので、昨日(今朝)の僕の遺志を汲み取ろうと努力してみる。
 
 
 
 要は、社会集団のなかで規律を守り正常な人間として生きるのに疲れても、おちんちんというお下劣な言葉を叫ぶことで一時的にそこから逃れられる、と言っているらしい。
 
 おちんちんと叫ぶような人間は、社会の枠から大きく外れた異常者だ。お下品な言葉を叫んでしまうような人間は、社会性がないと言わざるを得ない。当然だ。
 
 しかし、敢えてその異常者の立場に自ら身をおくことによって、正常者のひしめく社会の籠から逃げ出すことができる。窮屈極まりない社会から魔法の言葉一つで脱出できると上の文は言っている。
 
 異常者たちの世界は広い、平らな草原が無限に続いている。空はもちろん青い。社会のなかのように人だらけで窒息したりしない。そして自由だ。なんのルールもない。しがらみによる不便も、暗黙の了解による強制も存在しない。
 
 おちんちんと叫ぶだけで、広くそして自由な世界があなたを待っている。
 
 
 
 これはおちんちんに限った話ではない。幼児退行気味のお下劣な言葉ならなんでもいい。
 
 ただ、おっぱいはちょっとお上品すぎるし、中学レベルの下ネタになってくると社会の臭いがしてしまう。
 
 となると、やっぱりおちんちんが一番適任なのかもしれない。
 
 
 
 そして、別に僕が言わなくても、このような現象はTwitterでもよく見られる。
 
 ご存知のように、意味もない下ネタをTLに書き連ねている奴はたくさんいる。あいつら(あなた?)はみんな、社会のルールの内側で生きるのに疲れているのだ。そして、異常者の世界へと脱北しようとしている奴なのだ。
 
 だから、彼らを見たときには気持ち悪いとか言ってはいけない。必死で奮闘している彼らにこそ、優しい言葉をかけるべきだ。彼らだって、意味もなく無意味な下ネタを言いたいわけではない。うんこもりもり森鴎外は、助けを求める叫びにほかならない。
 
 
 
 現実世界だってそうだ。赤ちゃんプレイするおっさんも、街中でおっぱい出して踊っているねえちゃんも、みんな異常者の世界に逃げたがっているのだ。
 
 「普通の人間」の顔をして生きていくのが嫌なのだ。あの人たちはみんなTwitterでうんこちんこまんこセンキューとか言っている人種と同じ人種だ。
 
 我々は仲間なのだ。互いに寛容になろう。Twitterの下ネタも赤ちゃんプレイもセーフなのだ、セーフ。社会に疲れた人間が異常者になろうとする、正常な反応なのだ。
 
 もちろんおっぱいの露出が元よりセーフなのは、言うまでもない。
 
 
 
 社会は窮屈だ。大勢の人間がそのなかで生活を送らないといけないからである。
 
 我々は物を食べて屋根の下で寝る生活を維持しなくてはならない。そのためには社会という巨大なシステムを回す必要がある。そしてその社会を運営する過程には、個の自由を制限し、ルールのなかで人が生きることが必要不可欠だ。
 
 だから、我々が生きていくうえで完全な自由でないこと、つまり社会が窮屈であることは、仕方ないのだ。
 
 だがしかし、動物として個、個の本能はそんなこと知ったこっちゃない。もっと自由でいたいし、なんの束縛も受けたくない。
 
 それでも社会のなかで生きる限り、個は抑制され、わがままな本能は無視される。個は苦しみ続ける。
 
 この社会から脱出したい、束縛から逃げたい。その叫びが、お下劣な言葉の連呼である。心がおちんちんと叫びたがってるんだ。社会のなかで生きるとき、個の精神は常に抑圧されているのだ。
 
 
 
 結局我々は社会から抜け出すことはできない。社会から逃げ出すと物が食えずに死んでしまう。社会ナシでは生きていけない身体なのだ。
 
 だから、せめて精神だけでも社会から逃してあげよう。
 
 精神を歯車のなかに突っ込んで放っておいたらやがて摩滅する。魔法の言葉を叫んで、一時的にでも精神を逃がしてあげよう。
 
 そして、互いの奇行にやさしくなろう。我々は社会のなかで戦う仲間なのだ。少々の奇行は互いに許していこうではないか。
 
 もちろん暴走族のように明らかに他人に迷惑をかけてはいけない。ただ、おっさんがシャツの下にブラジャーをつけてるとか、自分の車のなかで変顔して奇声をあげてるとか、そういう小さな奇行に寛容になろう。彼らは心を社会から解放してあげているのだ。
 
 自分の精神にも他人の精神にも優しくなろう。その点でもやっぱりあの言葉は素晴らしい。おちんちんがすきだ。

 

 


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