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Watabera Miscellaneous Notes

人生やめてません

食堂の冷水器、水だけ入れるか、氷も入れるか

 

 

冷水器について、悩みがある。

 

 

冷水器、水派?氷水派?

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冷水器とは、食堂やうどん屋にある、客がセルフでコップに水を汲む、あの機械である。
あの機械には、大体3つのボタンと、それによって設定されるモードがある。「氷」「氷水」「水」である。どれかのボタンを選んだ状態で給水部分のバーを押したら、コップに水やら氷やらが入る。そういう仕掛けである。
一部、ボタンを押しただけで水が汲めるタイプのやつもある。まぁ、それは今回の話には関係ない。

 僕が水を組もうとするとき、あの機械は大体「氷水」モードに設定されている。大体どころか、十中九九九ぐらいで「氷水」である。つまり、冷水機では氷水を汲むのが世の中のメジャーらしい。

では僕はというと、「水」派である。
氷がなくても十分に水は冷たいし、氷の分だけすぐ飲める水の量が減るし、氷水は冷たすぎて歯に沁みる。
だから、僕は毎回必ずボタンを「水」にしてから、コップに水を注いでいる。
まぁこれは個人の自由だ。水を注ごうと、氷水に決めていようと、どうでもいい。

 

 

「氷水」に直すべき??

 

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 悩みは、このあとである。

 僕がコップに水を注いだので、冷水機のモードは、「水」が選択されてある。
しかし、僕の前に「氷水」が選択されてあったように、どうやら世の中では、「氷水」が選択された状態が普通らしい。

そこでだ。
果たして僕は、「氷水」のボタンを押してから冷水器の前を去るべきなのだろうか?
これで毎回、給水のたびに悩んでいる。

どういうことか、以下に説明する。
 世間のメジャーが「氷水」である。しかし、僕が冷水器を使ったことあと、モードは「水」になっている。
つまり、その次の人は、僕のせいで、給水するのに「氷水」のボタンを押すという手間が増えてしまう。
そう思うと、「氷水」に直す義務が僕にはあるように思える。

しかし、「氷水」も「水」も、はてには「氷」でさえも、平等に提示された選択肢の一部である。差異は支持者の数だけであり、それ以外に差は存在しない。
よって、「氷水」支持者も、「水」支持者も、「氷」支持者も元々は平等な存在である。
なので、別に僕は「氷水」勢に気を使ってわボタンを押し直す必要がないようにも考えられる

 

 

「氷水」と「水」、マジョリティとマイノリティ

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この僕の悩みは、かなりしょうもない。
誰に話しても一笑に付されること間違いなしだ。好きにすればいいじゃん、と。
しかし、この問題を、「マジョリティ社会で、マイノリティとして生きていくことの難しさ」という拡大解釈をしてみる。
すると、この悩みは、いろいろな大きな問題と本質を同じにしているのだ。

 

 

マイノリティは二重苦を背負わなければならないのか?

 

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マイノリティはマジョリティに配慮して生活していかなければならないのか?
 「水」ボタン支持者は、食物アレルギーもちの人は、発達障害者は、あとLGBTの人たちなどは、マジョリティに気を使って生きていかなければならないのか。その選択や素質で他人に迷惑をかけてはいないのにもかかわらず、だ。
 世の中はマジョリティが生きやすいように設定されてある。
それは別に仕方ない。現実的な問題として、そうじゃないと社会の数字が回らない。

マイノリティは基本的にその不便を受容して生きている。
そのうえで、マイノリティとして生活するこが、マジョリティに迷惑をかける、もしくは不快にさせるなら、
マイノリティは、それに注意しながら生きていかなければならないのか?
そこまでする義務が、マイノリティには必要なのか?


 例えば、LGBTの人が自分の本来の性質を隠して生活を送るのは、決してその人にとってプラスではないはずだ。
かといって、カミングアウトしたら、それに対して「気持ち悪い」と考える人物がいるのも、今の社会においては事実だ。
では、そういう人たちに気を使って、カミングアウトせずに生活していく義務があるのだろうか。そこまでマジョリティ側に気を使うべきなのだろうか。

 他人への「思いやり」、もちろんそれをマジョリティに対する配慮を行う理理由にしてもよいかもしれない。
しかし、それだけで、マイノリティ側が、さらなる負担を強いられない理由になるだろうか。いや、そんなことはないはずだ。


マイノリティは、普段からマジョリティ社会で生きる負担を背負っている。
だったら、マイノリティとして堂々と生きる権利があってもよいのではないか。

 僕は、「氷水」ボタンを押しなおさないといけないのだろうか。分からないままだ。

 

 

watabera.hatenablog.com

 

 

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