【ビョーク】映画 ダンサー・イン・ザ・ダーク 感想【ミュージカル】
ダンサー・イン・ザ・ダークを観ました。
3大鬱エンド映画のひとつ
『ミスト』や『セブン』と並んで、鬱エンド映画として有名です。
まぁ評判に違わぬ悲しい終幕で、恥ずかしながら涙を流して嗚咽してしまいました。
けれど、ただ悲しいだけではなくて、悲劇のなかにも救いがあります。悲しみも救いもひっくるめてとてもよかったです。
マツコ・デラックスの人生を変えた映画のひとつらしく、ラジオで紹介しています。
主演はアイスランドの歌姫、ビョーク
この映画の主人公セルマを演じるのは、アイスランドの女性歌手、ビョークです。
僕は全く知らなかったのですが、世界的に有名な方らしく、グラミー賞を何度も獲っているのだとか。
エモい。
映画本編でも、ビョークの歌唱力は存分に活かされています。
あらすじ
チェコからの移民でシングルマザーのセルマは、工場で働きながら息子のジーンを養っていた。生活は貧しくても、セルマにはよい友人たちがおり、趣味のミュージカルに取り組みながら、楽しい日々を送っていた。しかし、実はセルマは重大な病気で視力が低下しつつあり、今年中に失明してしまうほど病状が悪かった。さらに、セルマの病気は遺伝性であり、息子のジーンもやがては失明する運命にあった。セルマは、工場と内職で得た賃金を、ジーンの手術代として必死で貯蓄していた。そんななか、彼女の希望を打ち砕く事件が起きてしまう。
ひたすらに続く理不尽のなかで、母親がただ息子のことだけを想い、生きていくストーリーです。
視力の病気というだけで、次から次へとセルマに不幸が襲いかかります。物事がどんどん悪いほうへ転がっていくので、正直観るのがつらいです。
ただ、連続する圧倒的な不幸のなかで息子への愛を抱き続けるセルマの姿があればこそ、この映画を観た人の心は(良くも悪くも)大きく動かされるのです。
ちなみに、人によっては拒否反応が激しく、「最悪の映画だ!!」となる人もいるらしいので、注意が必要です。しかし、人生で観たなかで大きな存在感を示す映画になるのは間違いないでしょう。
未視聴の方はぜひ観てみてください。以下、ネタバレ込みの感想です。
セルマを襲う理不尽
ある日、低下した視力とミュージカルの空想をする癖のせいで、セルマは事故を起こして工場をクビになってしまう。仕方なく、すでに溜まった費用で息子の手術を依頼しようとするが、帰宅すると隠していた貯金がなくなっていた。セルマは貯蓄のことを唯一教えていた大家のビルのもとへと向かった。しかし、ビルによってセルマは盗人に仕立て上げられ、通報されてしまう。さらに、お金を返さないビルに手をかけざるを得ない状況になり殺してしまう。なんとかお金を医者に預け、手術の予約をしたセルマだったが、結局捕まってしまう。セルマは、息子になんとしてでも手術を受けさせるため、裁判で本当のことが言えない状況にあった(医者に預けた手術費用を取り上げられる可能性があった)。また、ビルが妻に隠し事をしていたことを秘密にするために、ビルの行為についても断片的なことしか言わなかった。そんな状況で、国選弁護士しかついていないセルマは、検察のいいようにされてしまう。そして、最終的にセルマに下った判決は、死刑だった。
息子を想い続け、さらに他人にも思いやりを持ってしまったせいで、セルマの状況はどんどん悪くなっていきます。
観ている側としては、「もう少し自分勝手になってもいいのに!!」と中盤以降非常にもどかしい思いをします。
セルマの自己犠牲の態度がけっこうかたくななので、この映画が苦手な人はそこがダメなのかも。
息子のために自分を犠牲にして不幸の坂を転がり落ちていくセルマ。なにに対してかも分からない、悲しみとも怒りともつかない感情を覚えました。
ミュージカル要素
そんなセルマの唯一の娯楽がミュージカルでした。
劇団の練習に参加する一方で、日常の雑音からリズムを感じてその場を舞台にしたミュージカルを空想していました。
そのため、この映画ではミュージカルシーンが多数挟まれています。ビョーク自慢の歌声もここで披露されています。
ミュージカルシーンはほとんどがセルマの妄想なので、現実ではありません。最初急に工場の職員たちが踊り始めたときはびっくりしました。
このミュージカルシーン、制作側からしたらかなりの推しポイントみたいなのですが、個人的にはそこまで好きではなかったです。「いいから早く話進めて!!」とか思ってました(よくない癖です)。
ただラスト3つ(”最後から2番目の歌”から前3つ)のミュージカルは、現実の追い詰められた状況と妄想の幸せな様子のギャップがよかったです。ミュージカルシーンが終わった瞬間にどうしようもない現実に引き戻される感覚は、悲痛そのものでした。
そして、最後から2番目の歌へ
裁判の後、友人のジェフは、セルマがジーンのために貯金していたことをつきとめた。この事実があれば減刑されるはずであった。そこで、親友のキャシーは裁判所に再審請求し、優秀な弁護士をつけようとした。しかし、セルマはその弁護士を雇う費用がジーンの手術費から出ていることに気づき、再審請求をやめて死刑を受け入れてしまう。とうとう絞首台に乗せられたセルマだったが、死への恐怖から取り乱し、ジーンの名前を呼んで泣き叫んでしまう。刑の執行を見届けに来ていたキャシーは、警備を振り切り、セルマにジーンの眼鏡を渡した。ジーンの手術は成功した(眼鏡が不要になった)のだった。それを知ったセルマは落ち着きを取り戻し、"最後から2番目の歌"を歌い始める。しかし、歌の途中で刑が執行されると、床が開く音と同時に身体が投げ出され、セルマの歌声は途切れた。
この、”最後から2番目の歌”というのは、昔セルマがミュージカルを見に行っていたころに、ミュージカルの終わりを見るが嫌で最後から2番目の曲で帰っていた、というエピソードからきています。セルマは、最後の曲を観なければ自分のなかでミュージカルは永遠に続くのだ、と言っていました。
死刑が執行され自分の命は終わってしまうが、この歌は最後の歌ではない。自分が終わらせない限り、私と私の息子のミュージカルは続く。それが最後から2番目の歌でした。
自分の死が目前なのに、ジーンの目を治すことができた喜びでいっぱいで幸せそうに歌うセルマ。ずっと理不尽続きだった彼女へ最後に訪れた幸運に僕もひたすら共感して、よかったよかった……と泣いていました。
だからこそ、ガコン!!と鳴った瞬間、セルマの歌が途切れて沈黙が訪れたあとは、さらに涙が止まらなくなりました。直前まで彼女が幸せそうだったにしろ、実際に彼女の死という現実的を突きつけられると、やはりその理不尽と不幸を再確認して泣く以外にどうしようもなかったです。
最後の彼女は救われていたし、彼女の一途な母性愛は美しい。けれど、やはりこんな理不尽があっていいのだろうか、という悲しさに襲われてしまう。そんなエンディングでした。
まとめ
息子のため、まさに盲目に走り続ける母親が、理不尽にあい、最終的に自分の命を奪われてしまう。しかし、本来の目的を達成した彼女の心は救われていた。
(けれど、観ている側からしたら全然救われない)
ダンサー・イン・ザ・ダークはそんな映画です。
最後にもうひとつだけ好きな部分を挙げます。
死刑が決まったあとに、捕まっているセルマに友人ジェフが会いにきます。そのやり取りのなかでジェフは、遺伝すると分かっていて何故ジーンを産んだのだ、と聞くシーンがあります。
セルマはすこし微笑みながら、この手に赤ちゃんを抱きたかったの、と答えます。
セルマの人生最大の我が儘は、息子を産んだことだったのでしょう。その代償にセルマは自分の命を落とすことになってしまいました。
けれども、息子と過ごした時間は、その代償以上の幸せを彼女に与えたことでしょう。
プラスな側面から彼女の息子愛が確認できるこのシーンがとても好きです。
(それを踏まえてもあの結末は悲しすぎる……)
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