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ワタベラ雑記帳

メンヘラ雑記。生きづらさ考察、創作、本、映画、音楽。

Watabera Miscellaneous Notes

さよなら、鈍い感受性

「ごめんなさい」じゃなくて「ありがとう」が言える人間になりたい

 

 「ありがとう」は、「ごめんなさい」を言うより難しい。僕はしばしば「ごめんなさい」に逃げてしまう。

 

 社会(学校等含む)で生きていると、どうしても他人の力を借りることになる。なにかを手伝ってもらうのはもちろん、自分の話を聞いてもらうなども、他人の力を借りる行為に含まれる。

 

 そういう時、力を借りた側である僕は、どうしても「ありがとう」より「ごめんなさい」や「すみません」を言いたくなってしまう。なぜなら、謝罪の言葉は、相手から「大丈夫ですよ」や「別にいいですよ」などの許しを引き出すことができるからだ。相手からの許しは「迷惑をかけてしまった」や「自分の行為は不快に思われたかもしれない」という罪悪感をやわらげてくれる。よって、僕は「ありがとう」より「ごめんなさい」を使いがちだ。

 

 しかし、「ごめんなさい」は、相手になかば許しを強要しているとも言える。「ごめんなさい」を聞いた相手に、許すという行為を無理やりにでも通過させることになる。負担を強いているのだ。

 

 謝罪じゃなくてもいい場面で、感謝でなく謝罪を選ぶのは、自分の罪悪感をやわらげたいエゴが含まれている。そして、謝罪の言葉は相手に許しを強要する。感謝は罪悪感の解消は得られないが、相手に負担をかけない。

 

 罪悪感解消のための「ごめんなさい」に逃げずに、感謝の「ありがとう」を使っていきたいと思う。

 

 まぁ。「他人の力を借りたあと」という文脈での「ありがとう」は多少なりとも謝罪の要素をもつので、「ごめんなさい」も「ありがとう」も変わらないという説もある。

 

 超眠いしんどい。