【イキリオタク】実録!こうして私は医キリオタクになった!【マウンティング】
医学部系の記事はウケがいいので、味をしめた。
という訳で、医キリオタクについて書きたいと思う。
医キリオタクって?
『医キリオタク』はTwitterで使われてワードで、元ネタのイキりオタクの医学生verである。
イキりオタク
イキりオタクとは、「イキがるオタク」の意のネットミームである。
「俺オタクだけど彼女いるし」「俺キレたら記憶なくなって、DQNとかボコボコにしちゃうんだよね」
異性関係や自分の外見など、様々なステータスを鼻にかけてイキがるオタクのことを、イキりオタクと言う訳である。
(本当にそのステータスや自信があるなら、そんなことをわざわざ主張する必要もない。にも関わらず、自分から主張しているところに自信のなさが現れているのが、面白みである)
イキりオタクツイート参考記事。イキリオタク構文作って遊んでたらさっそく本物のイキリオタク見つかって爆笑してる
医キリオタク
その医学生版が、医キリオタクである。
医学生という看板を振り回し、ネットでマウンティングをする人たちの総称である。
医学生は、ただ受験に合格しただけである。別に人のために働いている訳でもない。将来人を救うために勉強している途中なのである。だから、なにも他の学生にたいして優位性はない。
それなのに、(受験の成功からか)医学生の立場が偉いような勘違いをして、暗に医学生であることを匂わせるようなツイートなどをして、周囲にマウンティングするのが医キリオタクである。
医学生の名札を使って、不特定多数に対して、自分の優位性を主張して自尊心を満たそうとしているのである。
〇〇医はマウンティングなのか
例えば、Twitterのハンネを、「◯◯医」(こわ医とかきも医みたいなゴロあわせ)にする人たちは結構いる。
他の医学生と絡むのに便利だからとか、単に何も考えてないとか、そういう理由は理解できる。
しかし、わざとらしく医学生ということを強調してるのだったら、しょうもないと思う。(個人の感想ね)
どうして医キっちゃうのか
現実では、医学生の周りには医学生が大量にいる。そこでは、医学生の名札はなんのマウンティングにもならない。
だから、そうではないネットで、医学生という看板を掲げてイキってるのだろう。
しかし、現実で不足している人間関係や承認を、医学生の看板を使ってネットで手早く手に入れようとしても、ろくな結果にならないと思う。
現に、医キリオタクは痛いと思われているのだし。
Twitter医学生の人、あなたはどうだろうか。医キリオタクではないだろうか。
医キリオタクが生まれるまで
なんでこんなことを書いたかって、それはもちろん、僕自身が医キリオタクだからだ。
医学部ではみんな医学生だった
高校時代、勉強がそこそこできることが、アイデンディティの一部だった。『勉強ができる自分』が、ある意味僕を支えていた。
そして受験生時代、努力の甲斐あって希望の大学に合格できた。合格ときは、それだけでなんて全能感って思いだった。
しかし、大学に入ってみると、当然周りには医学生しかいない。『医学部に入れる頭』は周囲の人間との比較で、なんの自尊心も満たしてくれなくなった。
さらに、勉強だけなく、色々な部分で秀でた部分を持っている人が大勢いた。スポーツ、楽器、コミュニケーション、色々だ。
一方、僕はなにか誇れるものもなかった。むしろ苦手なことばかりであった。そして別段人と上手くやっていける訳でもなかった。
自信を失った。
その時に自分に残った成功体験は、受験を乗り越えたことだけだった。
だから、バイトも家庭教師とか塾講とか受験関連のものにした。年下相手に受験の経験でイキってるときは気分がよかった。
"医学生"になれるTwitterに逃げた
自分の協調性や自信のなさから、現実では色々上手くいかなくなった。
承認不足を覚えた僕は、Twitterに新しいアカウントを作った。プロフィールを医学生とわかるようにして。
今で言う医クラ(医学クラスタ)になった訳である。
他の大学の医学生や色々な大学生と関わってみたいという目的もあった。しかし、今思えば、『医学生の立場でそれ以外の人と絡みたい』という醜い願望も底にはあったように思う。
(昔からTwitterで関わってくれている人、不快にしてしまったらすみません。今は、ネットを通じてではあっても、知りあえてよかったと思える関係ができたことに感謝しています)
僕は受験の合格を、『努力の結果、大きな壁を乗り越えた』ではなく、『努力の結果、偏差値の高い学部に入った』と捉えていた。
つまり、受験で人より優位性を得たことを、自己肯定感の糧にしていた。
同じ条件をすでにもっている学部の人のなかでは、その自己肯定感は生まれない。
だから、その自己肯定を実感するために、医学生じゃない人もいるコミュニティに自分を突っ込んだのである。愚かな所業だ。
立派な医キリオタクの誕生である。
眠れる医キリオタク
でも、なにか売りにできるもない僕が、ネット上とはいえ、承認ほしさに医学生の看板を振り回したところで、空回りするばかりだった。
何度か痛い目をみて、または他人が同じことをしているのをみて、自らの行為のしょっぱさ、短絡さ、無意味さに気づいて、医キリオタク卒業を決意した。
今ではそんなに恥ずかしい医キリはしていない、と(自分では)思う。
しかし、なにが怖いって。まだ自分のなかに医キリオタクが眠っていることである。
再度繰り返すが、医学生はまだ人の役にたつ働きをしている訳でもなく、ただ受験に通っただけでなにも偉くない(かと言って医者が他の職種より偉い訳ではない、聖職者ではあると思うけど)。
だから、受験時代の成功を、しかも自分の優位性を主張するような形で、アピールしてマウンティングするのは、恥ずかしい行為である。
そのようなことはやめようと思っている。
なのに、どこか自分のなかに『受験で人より優位性をとったこと』で自己肯定感を得ようとする部分があるのだ。また、その優位性を他人に振りかざそうとする自分がいるのだ。
その意識は簡単には消えてはくれない。
医キリそうになったらどうすれば
自信がない医学生は医キリオタク予備軍だ。
僕の考えでは、自信のない医学生は、過去の受験に置ける成功を『他人よりいい順位をとって合格を手にいれた』ではなく、『自分の力で成功を手にいれた』と捉えて、自己肯定感の糧にするべきである。
受験の成功を、他人との比較で喜ぶのではなく、自分の力として自分のなかで完結する成功体験として認識するのだ。
そうすると、受験の経験は他人に振りかざして優位性を主張するものではなく、自分のなかからじんわりと力を与えてくれるものになるはずだ。
まとめ
医学生の名札に優位性があると勘違いして、不特定多数にマウンティングする人を医キリオタクという。
医キリオタクは、受験を他人の上に立った経験としかみていない(医者の卵とかいうアカウントあったな)。
だから、いざ入学して周りが医学生だらけになると、自尊心が保てなくなる。
そうして、Twitter等で、医学生の立場を鼻にかけて、だれかに優位性を示そうとする。
しかし、医キリ行為は他人からすれば痛いだけで、結局彼の欲しい承認は手に入れられない。
医キリは誰も幸せになれないので、やめるべきだ。
とは言いつつも、やはりまだ僕のなかにも医キリオタクが眠っている。
そう簡単に消すことは出来ないので、少しずつ薄めて消していきたい。
まぁ、こんな記事自体が医キリ記事になっている説はあるけどね。
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