slowly

Watabera Miscellaneous Notes

人生やめてません

ジョジュツ オブ ザ デッド

 

「コウくん、あっち、ドア!!」

 

ミチルが叫ぶ。薄暗くてよくわからないが、たしかにミチルの指差すほうにはドアがあるようだった。そこから逃げられるかもしれない。

 

後ろを振り向く。廊下いっぱいの屍人がよろけながら近づいてきていた。見知った顔も混ざっている。ゾンビ、ゾンビ、ゾンビ。奥の方まで途切れなく群は続いていた。

 

ここに迷い込んでから三日、生きていると断言できるのはもう俺とミチルだけだった。一緒にきたサークルのメンバーは殆ど奴らに噛まれ、嘔吐発熱痙攣を経て、動く死体の仲間入りをした。途中でゾンビの群れに飲み込まれてそれ以来見ていない奴もいる。

 

「コウくん!!なにしてるの!!はやく!!」

 

ミチルに腕を引かれて我に返った。走る速度が遅くなったのか、俺はケーイチ(だったもの)に顔面を掴まれそうになっていた。持っていたパイプでケーイチの左腕を殴りつける。腕はありえない方向に曲がったが、もう痛みを感じないケーイチは右腕を伸ばしてきた。頭を低くしてそれをかわした。

 

ミチルに並んで走る。たしかに突き当たりにあるのはドアだった。小窓から光が入っているようにも見える。外に出られるかもしれない。しかし、そのドアの周りに逃げ場はない。アレが開けられなかったら終わりだ。ミチルもそれが分かったのか自分の選択を後悔しているようにも見えた。もう分岐点にはゾンビたちが来ている。今更戻れない。

 

屍人の群は足を引きずりながらこちらに迫っていた。先頭の一人がバランスを崩してこけた。その上を後から来たゾンビたちが唸りつつ踏みつけて通り過ぎる。踏まれたゾンビがノイズのような叫びを喉から漏らしていた。やがてその音が別のゾンビたちの鳴き声に埋もれた。

 

ミチルより一歩早くドアに着いた。ノブを捻る。固く、回らない。鍵がかかっている。それを見たミチルの顔が青ざめた。もう逃げ場はない。

 

「コウくん……」

 

「ミチル……蹴破るぞ!!」

 

ドアは古びてはいるが金属製だ。蹴破る前に俺の足が折れるかもしれない。しかし、もはやなりふり構っていられない。俺はできる限りの力でドアを蹴り込んだ。ガツンとあまりに重たい衝撃が踵の骨に伝わる。もう折れたぐらいに痛い。横でミチルも一生懸命ドアを蹴っている。しかし、ガツン、ガツンと鳴るだけで、ドアは動かない。

 

屍人たちが近づいてきていた。もう10メートルもない。

 

「クソッ!!」

 

鍵だけで破壊出来れば、とドアノブの周辺を蹴りつけた。少し感触があった。いけるかもしれない。

 

「オラッ!オラッ!開けよオラッ!」

 

蹴った、蹴った。蹴りに蹴りまくった。右足は痛みが響きすぎて、いつ蹴りがドアに当たったのかも分からなくなっていた。しかし、カギが壊れつつある感触は間違いない。あと少しだ。

 

「コウくん!!!!」

 

屍人がミチルに摑みかかろうとしていた。俺は右手だけの力でそのゾンビの頭にパイプを叩きつけた。そいつは痙攣して倒れたが、また別のゾンビが手を伸ばしてくる。

 

「ミチル!!ドアノブを捻りながら思いっきり押せ!!もうちょっとで鍵が壊れる!!」

 

青ざめた顔のミチルがドアノブを掴んで押す。嚙みつこうと口を開いたゾンビの頭をパイプで突く。右から俺に掴みかかろうとする奴にパイプのケツを叩きつける。頭蓋骨が砕ける音がした。

 

幸い、この廊下は狭くゾンビたちも一斉には襲ってこれない。しかし、次々手を伸ばしてくるゾンビを薙ぎ払うのに精一杯で、ドアはミチルに任せっきりだった。

 

「ミチル!!頼む!!」

 

「あとちょっと!!あとちょっと!!!!」

 

ミチルが半狂乱で叫ぶ。俺はその間にまた一つ頭を潰した。両手でパイプを横に払って、ゾンビ三匹の頭を一気に片付ける。また嫌な音がして、ゾンビの眼窩から血が吹き出る。足首に感触。下からすり寄ってきたゾンビが俺の足首を掴んでいた。マズい。ここまで来て噛まれてたまるか。

 

「この……クソ野朗がァ!!」

 

腐ったゾンビの頭に思い切りパイプを突き刺した。

 

「あっ」

 

抜けない。パイプがゾンビの頭から抜けない。なんで振り下ろさなかったんだ。気がついたら、別のゾンビの口が目の前に迫っていて、…………ハルコ先輩。

 

俺は後ろに引っ張られて吹っ飛んだ。

 

「コウくん!!!!起きて!!走るよ!!」

 

外だった。地面が頰の横にあった。ミチルがドアをこじ開けて、俺を引っ張ってくれたらしい。件のドアに目をやると、今まさにハルコ先輩のゾンビがそこから出てこようとしていた。

 

肩の力で全身を持ち上げた。右足は酷く痛むが我慢すれば走れそうだ。

 

「ミチル!」

 

俺はミチルのブラウスを掴んで裏手の森へと走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あれからいくら歩いただろうか。ようやく道路に出た。夏の日差しはあまりにも強く、照り返しに目が眩む。身体がかなりの脱水症状になっているのがわかる。ドアを蹴り続けた右足はもはや痛いのかも分からなくてなっていた。フラフラになりながら歩く。とりあえず下っていけば人に会えるはずだ。

 

さらに歩いた。100mくらい先に民家と畑が見えた。誰か住んでいそうだ。走ろうと思ったが、もう身体がついていかなかった。あえなくゆっくりと進む。

 

「お…………い、だれ……か」

 

建物から逃げ出すときに叫びすぎたのか、それとももう声帯に水分がないのか、掠れ声しか出なかった。よろけつつ民家に向かう。

 

そして、民家の裏から人影が出てきたのを見つけた。人影はこちらに気づいたようだった。一瞬驚いたが、ぼろぼろの俺の姿を見て慌てて駆け寄ってくる。

 

よかった。これで、助かった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

菊池正樹が自宅前の坂道を降りてくる人影を見たのは、一日の仕事を終え、リアカーを倉庫にしまった後だった。その人は、おぼつかない足取りで坂を降りてきていた。顔は逆光で上手く見れなかった。

 

正樹は疑問だった。どうしてこの人は徒歩でこんな夕方にここを通っているのだろう。近所連中(といっても300mは離れている)がここを通るなら、必ず原付か車のはずだ。妻の道枝なら運動のためにこの辺を散歩するが、道枝は一昨年脳卒中で死んだ。正樹ももう年寄りの部類だ。仕事以外で歩き回る元気もない。

 

「こんばんは、どうされました?」

 

正樹は呼びかけたが、若者(そのときようやく服装が分かった)は返事をしなかった。正樹は一瞬不気味に思った。

 

もしかしたら——交通事故にでもあったのではないか。正樹はそう考えた。一人でここらを歩いているのも、ふらついているのも説明がつく。それなら早く救急車を呼ばなければいけない。

 

「大丈夫ですか!?」

 

正樹は若者に駆け寄った。彼の肩に手をかけた。

 

その時ようやく若者の顔の様子がおかしいことに気がついたが、既に遅かった。左肩が急に熱くなった。すぐにそれが痛みだと気づいた。若者が肩に噛みついていた。若者は歯をギシギシ動かして、筋繊維をボロボロにし、正樹の肩から肉を引きちぎった。正樹は未だない痛みに声すら出なかった。

 

若者は更に正樹の首筋を噛みちぎった。意識がスーッと引いていった。若者は正樹の腹の肉を服ごと掴むと、音を立てて引き裂いた。腹から腸を引きずり出すと、若者は美味そうにそれを口にした。正樹にはもう痛みを感じるための意識はなかった。とうに屍人と化していた若者は本能のままに正樹の死体を漁っていた。 

 

 

 

 

 

 

 

よかった。これで、助かった……。よかった。よかった。助かった。助かった。よかった。よかった…………………………