日曜日の晩飯がまずい
GW最終日である本日もそろそろ終わろうとしている。明日からまた実習の日々が続く。スマホで午後四時を過ぎたのを確認してから憂鬱が深まってきた。ぼんやりとした心の重さがそろそろ峠を迎えようとしている。
今日の晩飯は焼肉だった。連休最終日の贅沢という訳である。タン、カルビ、ハラミ、ホルモン。オードソックスな注文を店員に告げた。やってきた肉たちを網に広げる。最速で焼きあがったタンをタレにつけ、せっかちに口へ放り込む(タンはタレ派、許せ)。美味い。美味いのだが、何かおかしい。求めていた肉の味は期待通りだった。しかし満足感がない。量の問題かと、もう一切れ口に運んでも同じだった。小瓶の練り唐辛子をタレに投与した。そしてタン三枚とカルビ二枚を喉に通した時に気づいた。肉が美味いのは分かるのだが、肉を味わう喜びが湧いてこないのだ。参った。肉を食う満足感、幸福感を得るために店にやってきた。しかし、どうもこのままだと叶いそうにない。いくら肉を食っても幸せになれない。時刻は午後八時すぎ、原因はこれらしい。明日からまた平日だと考えただけなのに、焼肉の悦びすら奪われてしまった。許さんぞ。結局予想より早めに満腹になった。残ったホルモンのくどさに苦戦したのち店を出た。空の暗さがまた濃くなって月曜日が近づいてきていた。
思い返せば、ここ数ヶ月、日曜日の晩御飯を楽しんだ記憶がほぼない。大体頭が重くて気だるげに過ごしていた気がする。贅沢な外食でも変わらない。夕食は楽しいイベントだ。しかし、それと同時に、日曜の夕食は月曜の接近を伝えもする。終わってしまえば、あとは怯えて次の朝を待つだけだ。平日に怯えるあまりに食事を楽しめなくなっていた。あと鉄腕DASHが怖くなった。
実際のところ悩んだところでしょうがないのだ。何をしようが月曜日の朝は来る。それなら、飯の最中に十二時間後を不安に思うより、デザートを何処のコンビニで買うか考えてるほうがよっぽど有意義だ。と、分かっててはいる。分かってはいるが、実行はなかなか難しい。今現在、「日曜の晩飯まずい問題」への解決策は思いつかない。
大体、考え込むとろくなことにならない。コンビニでアイス買ってきて、食べたらさっさと寝る。これがGW最終日、午後十時半の最適解だろう。アイスはいつ食べたって甘くて美味しいのだ。それぐらいは知っている。
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のんのんびより過激派
のんのんびより過激派。
2013年にアニメ「のんのんびより」が放送されて以降に増加した、地方(俗に言う田舎)を対象にテロ行為を行う人々の総称である。
中東に存在するテロ組織同様に非常に宗教色が濃く、のんのんびよりという作品(以下同作品)やそれに登場する人物などを過度に神格化しているのが特徴。
しかし、のんのんびより過激派はある一つのまとまった組織ではなく、前述の行為をする人々をまとめたカテゴリに過ぎない。
指導者の指示によってテロ行為が行われているのではなく、個々人が他人との連携なくスタンドアローンに破壊活動を行っているのだ。
勿論集団によるテロという例外もあるが、その場合はテロ実行の必要性に対してネット上等で招集がかけられるのであり普段から組織性のある行動はとっていない。
その為、同作品に対する神格化にも個人間によって様々な違いが見受けられる。
基本的にKADOKAWA メディアファクトリーから出版された同作品の漫画(原作)を聖典として扱うことは共通しているが、リミックスである同アニメを原作と同格で扱うかそれとも聖典によって産まれた二次教典として扱うかなど過激派内部でも派閥が分かれる。
どちらかと言うと前者の方が数が多く、後者を「原理主義者」という嘲称で呼ぶ風潮すらある。
これは同作品がネット上での知名度を獲得したのがアニメ放映後のことで、過激派の内多くがそこで作品を知った為アニメに重きを置いていることに由来している。
また、原作者の漫画家あっと氏に対する扱いもいくつかに大分される。
同作品を作り出したあっと氏こそが神であるという唯一神派、あっと氏はイスラムにおけるムハンマドの役割を果たしただけという預言者派などが存在する。
他にも、主人公である宮内れんげ至上主義者や前身読み切りの「とことこ」こそが真の聖典であると主張する者、声優を登場人物と同一視する者、キャラクター個人個人ではなく「のんのんびより」という作品そのものが我々に天啓を捧げる為の意思を持った存在なのだと主張する者など信仰の仕方は多岐に渡り、体系的な分類をするのは非常に難しい。
しかし、実際にテロ行為に走った者全てが同作品に対して異様な執着を見せており彼らのテロへの原動力もそこにある。
同作品のファンは、共に遊び時に協力し時にからかいながら成長していく美少女キャラを観ながら彼女たちが暮らしている"田舎"という舞台に少なくない好感と一種の憧れを抱いている。
多くの健常なファンはそれに留まるので何の問題もない。ここで、過激派たちに共通しているのは「実際に田舎を訪れる、もしくは田舎に移住する」という行為である。
ファンたちは作品中の理想郷を求めて、もしくは美少女キャラは存在しなくてもあんな長閑な世界が広がっているだろうと田舎を訪れる。
しかし実際の田舎は遠い、訪れても何がある訳でもないかもしれない。勿論作中の人物たちはそこにはいない。現地の住民が彼らに優しくしてくれるとは限らないし、寧ろぞんざいな扱いをされる可能性だってある。
とは言っても一度の田舎訪問でそこまで酷い思いはしないだろう。最ものんのんびより過激派への危険因子となるのは田舎への移住である。
交通の不便さ、少ない娯楽やお店、見つからない仕事、そして何より既に構成された密接な関係性に入れずに陰湿な排他行為を受けること。これらが重なることにより、同作品のファンは現実の田舎に絶望してしまう。
そこで田舎と離れるという選択肢を取らずに怒りの矛先を向けたのがのんのんびより過激派である。
のんのんびよりのように優しくない、いやそれどころか冷酷ですらある田舎など存在しなくてよい。自分の手で破壊してやる。
などと考えた過激派は各々の手段を用いて全国の田舎でテロを起こし始めるのだった。
以下に具体的な事件を紹介する。
2014年3月31日、岐阜県北部の寒村で放火が行われる。
21時頃に村内の十軒からほぼ同時に火の手が上がりうち三軒が全焼、五軒が半焼、二軒が部分焼という被害をもたらした。死者は逃げ遅れた老人が三人、軽症者が八人となった。
被害現場に時限装置のついた簡単な機械が残されており、犯人はこれを使ったものと推測された。
しかし、火の放たれた家屋は同じ村にある以外に共通点はなく無差別的な犯行で動機は見当もつかない状況が数日続いた。
同年4月5日22時、岐阜県美濃市の交番に私服の青年が現れ当番中の警官に「先日の放火は自分がやったことだ」と伝えた。
すぐに岐阜県内関警察署に任意同行された青年は犯行に使用した装置の材料や逃走経路等の犯人しか知りえない情報を述べた為、その場で逮捕。
青年は19歳の浪人生で、二度目の受験に失敗しておりそのストレスからの犯行かと思われたが自分が犯人だと証明して以降一切の供述をしなかった。
それはともかく犯人の身柄が確保された為、これからしばらく報道は加熱するだろうがやがて事件は終息へと向かうと思われた。
しかし翌々日の4月7日、SNS上に容疑者が投稿したのだと思われる文が発見され、ネット上で拡散される。
のんのんびよりという作品に対する異様なまでの肯定や絶対化、そして実際に田舎において受けた嫌がらせ、犯行の決意から当日の詳しい行動までが記されたその記事は瞬く間に広がり、ワイドショーの看板ニュースを数日間揺るぎないものにした。
奇しくも犯人が自首した翌日の4月6日はアニメのんのんびよりの二期の発表がTwitterでされた日であり、多くのファンが喜び再びあの世界を観ることが出来ると胸を躍らせていた。
だが、凶悪放火犯の犯行動機として名前は出されなくてもほぼそれだと分かるようにマスコミに報道された同作品は二期の製作中止を余儀なくされ、4月9日にそれを発表した。
待望の二期の製作中止というニュースは同作品のファンを憤らせ、結果的にこれがさらなる過激派の登場を生むことになった。
同年5月23日、島根県南部で同様の放火事件が発生。
今度は一軒だけで部分焼に終わり死傷者も出なかったが、事件後すぐにTwitter上に犯行声明がアップされた。
犯人はそこで自らを「のんのんびより過激派」と称しており、以後その呼び名が使われるようになる。
犯人は同作品を見て大阪から地元に戻ったフリーターだったが、働き口が見つからずニートとして生活していた。
同年5月28日、愛媛県の地方でバスジャック。
乗客は犯人の他に老婆一人で、最終的にパトカーに周りを囲まれ人的被害もなく身柄を確保された。
その際に「れんちょんはどこ!!!」と連呼する様子がテレビカメラに捉えられ全国のお茶の間を震えさせた。
同年5月30日、アニメの公式サイトにおいて原作者のあっと氏からのメッセージが掲載された。
自分や作中のキャラクター共に他人を傷つけることは望んでいないこと、もう二度とこのようなことは起こさないで欲しいことが主だった内容だった。
これを受けてネット上でののんのんびより過激派の勢いは多少衰える。
特に前述したあっと氏こそが唯一神であると考える派閥はその怒りを収めていった。
しかし、一部はあっと氏のこの行為をのんのんびよりという作品に対する裏切りと捉え、脅迫状を送る者もいた。
結局以降も散発的に同様の犯行が起こり、2015年にのんのんびよりは戦後の日本国憲法下で初の発禁図書に登録されたのだった(飽きた
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元同級生の風俗落ちで盛り上がっても、客にはなれない
「お前、ココちゃん知ってる?」
「誰」
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ツイ廃は青い鳥の夢を見るのか
こんにちは、今日も今日とて意味もなくTwitterを眺めているオタクです。
こんなブログを覗いている貴方、そう貴方もかなり重度のインターネット暇つぶしマンですよね。Twitter、2ch、まとめブログ、ソシャゲ。日々の時間を画面に注いでいることでしょう。気が付いたらもうこんな時間、てことも何度もあるはず。
でも、僕らってホントにTwitterが見たくてアプリを開くんでしょうか? そんなにTLを追うのが楽しくてしょうがないのでしょうか?
勿論、面白い画像やツイート、記事がTwitterやまとめブログにはあります。SNSには顔も知らない誰かと交流する楽しさがあり、ソシャゲにはもちろんゲームの面白さがあるでしょう。
しかし、思い出してください、僕たちは別に何を求めている訳でもないのにインターネットに繋がっている時があるはずです。寝る前に開いたTwitterだとか、テスト勉強で点けたパソコンで見るまとめブログとか。ネタツイ目当てでスマホ触る訳じゃないですし、セコママへの仕返しを見る為にニュースアンテナ巡りはしません。そして、そういう時こそ、我々は真にネットで時間を無駄使いしていないでしょうか。
じゃあ、僕らは画面の向こうにいったい何を求めているのか?
そりゃあ、もう……
現実逃避、一択!!!!
ネットに触れておけば、画面の世界に入り込める。特に自分を傷つけない情報が無限に存在しているから、抜け出さなくても困らない。一時的ではあっても目の前の困難や障害から目を逸らすことが出来る。別に僕らはTwitterを見るのがそんな楽しみな訳じゃない、まとめ周回が趣味な訳でもない。現実逃避に便利だから使っている、ただそれだけ。インターネットは僕らを傷つけない、ただそこで勝手に流れて撫でていくだけ!!だから、視界から辛い現実を外そう、今日も僕らは画面を凝視!!!!
しかし、現実を無視なんてできない。ネットで時間を浪費した分、現在の障害は余計にしんどさを増す。残るのはまた無駄に生活を削ったという自己効力感の喪失だけ。無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァ!!!!
つまり……
何の目的もなくネット見ててもロクなことがないからやめろ!!後で辛い思いするのはお前だぞ!!
という訳で……
まずはこのブログを閉じろ!!!!
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幽体離脱するまとめキッズ
貴方は最近まとめブログを読んでいるだろうか。
まとめブログは、2chやおーぷん2chのスレッドから面白いレスポンスだけを取り出し、文字色やサイズを編集して面白さを強調した一つの記事にしたものだ(NAVERなどのキュレーションサイトも、まとめサイトに入るらしいが割愛)。
掲示板の内容のコピペをするだけで、閲覧者が集まる。広告をつけると収入が入ってくる。今日、まとめブログは幾らでも存在している。
アニメや漫画、ソーシャルゲームの範囲の狭いタイプのまとめブログでさえ、一分野に何種類も存在する。
確かにまとめブログは面白い。没頭して途轍もない時間が経っていた経験は、多くの人にあるだろう。
しかし、気を付けなくてはならない。あまりにも浸り過ぎると、理性と肉体が幽体離脱してしまうのだ。
誰だって自分が嫌になることはある。テストと分かっていて勉強しなかった。調子に乗って余計なことを言ってしまった。酔っぱらってとんでもない失敗をした。
どうしてあんなことをしたのか……。理性で制御出来ない自分を恨めしく思う。自己嫌悪ともどかしさが一度に襲ってくる。
その時の感情が二倍になって、しかもいつも自分にまとわりつく。それが、幽体離脱だ。
仰々しく言ったが、幽体離脱はある特性が備わってなければ起こらない。ちょっとネットの記事を読んだだけで、自己嫌悪に陥ってしまうなら大騒ぎだ。
問題は、まとめブログにのめり込むような人間にこそ、特性が備わりやすいことである。
まとめブログを毎日のようにチェックする人間、と言われてどんな人物像が思い浮かぶだろうか。
少なくとも、あまり陽気な人物ではなさそうだ。パソコンやスマホに、まとめブログのリンクを入れ、更新の有無を度々確認する。ブログから更に他のブログに飛び、様々な記事を漁り続ける。こう書くと、どこか病的な雰囲気さえある。
彼はあまり社会経験が多くなく、他人とかかわるよりも一人でのネット接続を優先するタイプの人間。幽体離脱はこういう人に起きる。貴方はどうだろうか。
ではどのようにして、まとめブログは幽体離脱を引き起こすのか。
大まかな順序はこうだ。まとめブログに汚染されて、ネット民の思考方法が日常になる。匿名ゆえの攻撃や価値判断が、愛読者の彼を他人の欠点に攻撃的にさせる。最終的には、矛先が自分に向くようになり、理性と身体の乖離が起こってしまう。
2chなどの匿名掲示板では、コテハンでもない限り、個人に所属する情報はレスにしかない。匿名性ゆえに、誰もが立場や負い目を気にせずに発言出来る。レスには、情報の信憑性以外にも、一切の責任がない。ネットの壁を介せば、何でも言えてしまう。現実では人間関係を壊さないように抑えていることであっても。
例えば、遅刻常習犯の先輩に、不意のミスでこっぴどく叱られたとしよう。当然、貴方は「いつも遅刻してる癖に!」と思うだろう。でも先輩に対して文句は言えない。けれど、匿名のTwitterでなら、先輩の遅刻癖を詰ることが出来る。
画像は「正直バックレバックレできるやつが羨ましい」という記事にまとめられていたレスだ。基本的には正論だろう。だが、現実の〉〉90が同じことを発言するかは、全く分からない。バックレも何も関係ないニートかもしれない。更に言えば、現実ではバックレの常習犯かもしれない。このレスからでは、当然何も分からない。
しかし、一見しただけでは、普通の若者や会社員が常識的な発言をしている様に見える。
「正体の分からない人物がネットの匿名性の陰に隠れたうえで行った発言や価値判断」を「一般の人物が常識に照らし合わせて行った」と無意識に捉えてしまうことに恐ろしさがある。
勘違いを続けていると、ネットでのみ許される正論や強気が、日常の思考回路まで浸食する。ネット世界が日常の一部なら、現実とネットを切り離せないのも訳はない。
通常、面と向かっての会話では、自分の体が会話の場にある。よって、どんな言葉にも、私が発言しましたという責任がついてまわる。お前がそれを言うのか、と相手が思うような発言、自分の不肖な部分を省みない意見は出せない。誰だって揚げ足を取られるのは嫌なのだ。
また、直接の対話でなくとも、ネットでも個人が特定されるなら同様に、自分を棚に上げた発言は出来ない。
しかし、匿名性の高いネットの掲示板では、話は別だ。現実の姿は、相手には見えない。弱点のない人として誰かを攻撃出来る。酷いニキビ面の青年がハゲを叩いても、でもお前ニキビじゃん、とは中々言われない(ハゲは除く、ネット社会でハゲは致命的な弱点である)。
まとめサイトを見ている彼に話を戻そう。
匿名性のバリアに守られたうえで、2chの住人は意見を交わしている。しかし、彼はそれに気づいていない。スマホやパソコンに表示されている言葉を、日常会話のような一定の責任をともなったものだと、思い込んでしまう。何処の誰ともしれない奴の非難や罵倒であることを忘れるのだ。
勿論、実際に2chでレスをしている人間にも同じ傾向はあるはずだ。しかし、実際に掲示板でやり取りをしているならば、相手の姿が見えないことは常識だ。弱点を突くには、レスを叩くか、相手の実態を想像して馬鹿にするしかない。
ラミネート加工されたまとめブログを見るだけでは、その前提は伝わってこない。
来る日も来る日も暇つぶしにまとめサイトを見ていると、どうなるか。
当然、思考がネットの色眼鏡に影響される。自分のことは棚に上げて、物事を「客観視」するようになる。
こうして、妙に他人に厳しい陰キャラが誕生する。
自分が他人に対して正論を述べている、と彼は認識している。しかし、本当に正論を言うべき場面であるのか、もしくは自分に言う資格があるのかまでは、考えが及ばない。
彼が批判的な思考に釣り合うほど実力のある人間なら、さほど問題はないかもしれない。
しかし、彼自身に抱えている問題がある場合、当然周りは彼をよく思わないだろう。直接か間接か、周りからの自分への厳しい意見に彼はぶつかる。何故怒られなければならないのか。彼は自分自身に向き合う必要に駆られるだろう。
そこで、彼はいつものように自分自身を客観視する。どうだろうか、自分には批難されるような欠点が大量にあるではないか。軽蔑してきた対象と自分は大して変わらなかったのだ。「常識」に照らし合わせると、なんと自分は未熟な存在だろうか。
彼は自分自身を批判の対象をも批判の対象にし始めた。
彼は自分の欠点を「客観視」して、他人にバレないよう注意して生きていく。しかし、現実は簡単ではない。社会経験が足りなければ、考え方を改めても常識はつかない。また、常識では分かっていても、気づかぬうちに彼の身体は勝手な立ち振る舞いをするかもしれない。自らの欠点を再発見するたびに、彼は自分自身の肉体におおいに失望し批判的になる。
やがて彼は、常識的な判断に努める理性と、コントロールの効かない肉体の二つに分裂してしまう。
幽体離脱した理性は自分勝手な肉体を受け入れられず苦しみ、肉体は理性からの的確な批判に苦しむことになる。
制御出来ない肉体も自分の一部分である。それを受け入れたうえで、自分の問題として欠点に取り組めば成長もあるだろう。
しかし、いい子でない肉体を他人のように引き離しては当然言うことを聞いてくれるはずもない。
乖離した理性と肉体は互いに傷つけあう。彼の自己効力感はますます低下し、心的な疲労は溜まり続ける。社会経験をネットだけで済まそうとした若者の病理である。
ネット住民の一見正しい言葉も、現実の経験がなければ、社会ではおもちゃと同じだ。画面ごしの誰かの非常識を嘲笑う暇があるなら、その正論を現実でも言える自信を身につけた方がよい。
とはいえ、2chのまとめは暇つぶしとしては有能だ。時間を忘れて読んでしまう記事が、ネットにはたくさんある。役立つ記事もある。一概に全部を否定は出来ないのは当然だ。
しかし、まとめられた会話が無責任な代物だと忘れてはいけない。注意しなければ、貴方の脳内に間違った「常識」が移植されてしまう。やがてその「常識」は、貴方自身を社会不適合者として攻撃し始めるだろう。
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自傷ツイートには気を付けよう!(ゆうさくのテーマ
TLを見ていると自傷ツイートしている人は多い。僕も結構している。
自傷ツイートとは、自分の欠点を単純に非難したり、ネタにしたりするツイートのことだ。いわゆる病みツイートと被る部分も多い。自分を卑下するツイートのことである。
だが、あまりに自傷ツイートを続けているとろくなことにならない。何故なら、そのうちに他人を見下すのが癖になってしまうからだ。
自傷ツイートと他人を見下すことに何の関連があるのかと思うだろう。
しかし、自傷ツイートばかりしていると、その内に自己評価が下がっていき、それが最終的に他人を見下すことに繋がる。
自傷ツイートをし過ぎると、どんどん自己評価が下がっていくのは分かっていただけるだろう。それは、ある意味自分の欠点の再確認であり、同時にそれを自ら詰っていることに他ならないからだ。
問題は、どうして自己評価が低い奴ほど他人を見下しがちなのか、という部分だ。
一見、自分に自信がある人の方が他人に対して、上から目線でモノを言いそうに思える。見下す為には少なくとも、自分の方が上だと確信しなくてはならないからだ。
しかし、自己評価が高い人間より低い人間の方が他人に対して厳しい態度を取る割合は多いと思う。何故か?
そもそも、「自己評価の低い人」とはどんな人のことを指すのだろうか。「劣等感が強い」と言えば分かりやすいが、「自分に厳しい人」とも言えるだろう。
ただ、ここでの「自分に厳しい」は、俗に言うストイックとは少々意味が異なる。ストイックとは、禁欲的に自らを律することを指すが、前述の「厳しさ」は、自分の欠点に対して強くあたることを指す。
自分の中のマイナスポイントにこだわって、そればかりを批判しがちなのが「自分に厳しい人」なのである。
そういう人たちは日々自らの欠点を見つけては、その弱点を鞭打っている。心の中で自傷行為を行っているのだ。
そして、彼ら彼女らが、(自分にはない)欠点を持った人に遭遇する。そうすると、いつも自分にやっているように他人の欠点を思わず叩いてしまう。口には出さないとしても、痛烈に批判する。
「〇〇が出来ない?なんてダメな人間なんだ(こんな自分すらも出来るのに)」
普段自らを散々に痛めつけている矛先が思わず他人に向いて、その人物はアッという間に自分と同レベルかそれ以下の存在として記録される。
普段自分の欠点を散々詰って、自分を卑下していると、他人の欠点に対しても寛容になれず、自分の欠点と同じように他人を叩く。
これが、自己評価の低い人間が他人を見下すプロセスである。自分の欠点に対して厳しい人は他人の欠点にも厳しいのだ。
逆に、自信がある人はわざわざ人を見下したりはしない。そもそもそんな必要がないのだ。
人を見下すという行為は、ある人を自分に対して低い位置に置くことである。そうすることで、相対的にではあるが自分が高い位置にいると実感し、安心することが出来る。
見下しは「自分が高い位置にあるか分からない」という不安から発生する行為なのだ。
だから、自己評価が高く十分に自分の価値を感じている人には、わざわざ他人を使ってまで、自分の優位性を確認する必要などないのだ。
(逆に言えば自己評価が低ければ、自分の優位性を確認する為に、他人を見下す必要がある)
自信に満ち溢れてるように見えていても、他人の欠点を必要以上に責め立てる人は、何処かしらで自分に不満を感じているのだろう。
以上が、自己評価の低い人間ほど必然的に他人の欠点を見下し、高い人間ほど他人を見下す行為からは遠ざかる理由である。そして、その自己評価の低下を自傷ツイートが引き起こすのだ。やめようね!
次に、インターネット世代の我々に身近な例をあげたいと思う。
DQNの犯罪自慢ツイートを嬉々として炎上させているオタクたち、などは分かりやすい。
誰かが、犯罪ツイートのスクショとともに面白おかしくDQNを嘲った文章を呟く。そうすると一気に炎上し、彼らの関係者には電話が殺到する。
勿論、犯罪やそれをわざわざツイートすることは擁護するつもりもないが、ここぞとばかりに劣等感を埋めようと、DQNを炎上させるオタクの姿はあまり見れたものではない。
Twitterのオタクは自傷ツイートをしまくり、自己評価の低い人が多く見られる(かく言う僕も勿論)。そういう普段自己を非難するツイートをする人こそ、他人のミスや欠点があればすかさずdisっている。
犯罪自慢ツイートに限らず、オタクたちは自分に正当性が分かるや否や、相手に対して即散々な言い回しをぶつけているように思える。
他の例として、ネットで偶に見る「ぼっち」と「キョロ充」のdisりあいも挙げられる。
ぼっちには「友達がいない」という負い目が、キョロ充には「周りに本当の友達として見られているのか分からない」という負い目がほれぞれある。
その負い目を自ら責める故に、互いの欠点を強く非難し、相手に対してせめてもの優位性を保とうと必死になっている。
あまりに自傷ツイートばかりしていると自己評価が下がり、自分の欠点に強くあたることに慣れてしまった結果、他人の欠点を見下してなんとか自分の優位性を確認することが癖になってしまう。
そんな人間になりたくないし、そんなオタクはツラくて見てられない。
自傷ツイートには気を付けよう!
(ゆうさく)(ゆうさく)(ゆうさく)
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