slowly

ワタベラ雑記帳

メンヘラ雑記。生きづらさ考察、創作、本、映画、音楽。

Watabera Miscellaneous Notes

さよなら、鈍い感受性

側頭葉「行き止まりの世界です」

 

 最近、睡眠のコントロールができない。

 

 実習が早めに終わる日もある。そんな日は有意義な一日にしようと、足取りも軽く、コンビニにもよらず自室に帰る。

 

 リュックを投げ出して、本棚から前から積んでいる一冊を取り出す、ねじの回転。もしくは、弾けないギターをチューニングしはじめる。

 

 僕の部屋にはカーペットがない。だから、ベッドに腰かけて、種々の物事を済ます。

 

 布団にのって、ページをめくる。もしくは、ギターの基礎練習に取り掛かる。30分もしないまに、頭の左隅がぼんやりしてきたことに気づく。覚醒時は、たどたどしくも球形の脳のすべての範囲にアクセスできる。しかし、眠気が訪れると、まず頭の左隅がアクセス不能になる。(おそらくは本当に)電気が通じなくなって、脳のその部分から返事がなくなる。

 

f:id:watabera:20171115212228p:plain

(ちょうどこんな感じ)

 

 物語が進むたびに、あるいはピッキングするたびに脳のなかのアクセス不可領域が増える。行き止まりが進行すると、頭の中全体がのぼんやりしてくる。こうなってくるともう座るのすら面倒になって、ベッドに横になりながらページをめくる。あるいは、する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突然、電源がはいる。身体をベッドから起こす。首から下はまだ眠気を引きずっているが、頭だけが妙に冴えている。スマホを開く。Twitterで最後にみたツイートの時間表示が2時間前である。また寝過ごしてしまった。時計はもう18時になっていて、予約していた整体の時間は過ぎていた。

 

 整体の先生に電話する。スマホの向こう側の先生は怒ることもなく(客商売だからね)、新しい予約を入れてくれた。ベッドに座ったまま、一呼吸つく。また時間を無駄にしてしまった。さらに人との予定をないがしろにした。明日もまたすぐ実習だから空き時間はとても貴重なのに。もうすぐ本腰を入れて国試の勉強をしないといけないから自由時間は無駄にしたくなかったのに。そういってしばらく、だれでもある自己嫌悪に沈む。

 

 そうやって生まれた、「1日の遅れ」を取り戻すべく、夜更かししてまた次の日に睡魔に負ける。

 

 こうみると原因は明白なのかもしれない。一度はぜんぶ忘れて10時頃から寝ようかと思う(きっと4時が覚める)。

 

f:id:watabera:20171115214508j:plain

【書評】非道に生きる/園子温

 

 

 

 園子温さんの『非道に生きる』を読んだ。

 

 園子温さんは僕が好きな映画監督で、『ヒミズ』『愛のむきだし』『冷たい熱帯魚』などの作品を世に出されている。

 

 園さんの映画は、従来の日本映画とは違った手法で撮られることが多く(『地獄でなぜ悪い』『TOKYO TRIBE』)、最初は戸惑ってしまう。けれど、その思い切った演出のなかに、人間の「むきだしの部分」が切実に描き出されている。それが、僕が園さんの作品を好きな点だ。

 

 この『非道に生きる』は、園さんの自叙伝的エッセイである。園さんの幼少時の奔放ぶりから語られ、いかにして監督に道になったかが示されている。最近(2012年当時)の映画の内容について、園さん本人の言葉で解説に近いものも為されている。園子温ファンなら必読の一冊だ。

 

 『非道に生きる』では、いかにして園さんが今のような映画監督になったか、どのような思いで作品を作っているのかが、園さんありのままの言葉で書かれている。それはちょうど園子温映画と同じメッセージの伝え方なので、ファンなら楽しく読めるはずだ。

 

 詳しくは書かないが、園さんのことを詳しく知らなかった僕は、その苛烈な経歴に驚いた。また、園さんの人生に貫かれている『非道に生きる』ポリシーに、僕は胸をうった。同じ生き方はできないけれど、『非道に生きる』気持ちを持とうと思った。

 

 というわけで、園子温の『非道に生きる』は、ファンなら確実にワクワクしながら読める本である。さらに園さんのメッセージだけとしても多いに読む価値があった。

 

 当然、園さんの映画を観ていればこの本は何倍にも楽しめる。ぜひ、『ヒミズ』『希望の国』『恋の罪』(『紀子の食卓』『冷たい熱帯魚』)あたりを観て、読んで欲しい。

 

 ていうか、みんなTSUTAYA行って、『ヒミズ』借りて、観よう!!ラストが最高なんだ!!!!

 

サークラWiFiをほろぼせ

 

 部屋のまえでスマホをみた。電波が4Gだった。WiFiじゃなかった。いつもならスマホが勝手に嗅ぎつけて、家の前くらいから自室のWiFiに繋いでくれる。

 

 設定をみた。案の定、自分の手でWiFi接続がオフにしてあった。

 

 やつのせいである。サークラWiFiである。

 

 説明しよう!!サークラWiFiとは、モールとかで勝手に繋げてくるWiFiのことである。この種のWifiはだいたい電波が悪い。だからサークラWiFiにつながると、TwitterやLINEが全然更新しなくなる。WiFiの種類によっては、専用ページで会員登録しないと使えないものもある。勝手に接続してくるくせに、そのままだと全然ネットが使えなくなるのだ。まったく、ボディタッチだけ激しくて、結局やらせてくれないサークラサークルクラッシャー)そのものではないか。しかも、このサークルWiFi、苦労して手続きしても勝手に切れやがる。まさに、こっちが近づいたらすぐ逃げるサークラまんまである。

 

 さっきの外出でサークラWiFiに捕まってうっとおしかったので、自分でWiFiに繋がらないように設定していたのだ。だから、自室のWiFiに近づいても、4Gのままだったわけである。これに気づかずにスマホyoutube観て、通信制限でよく泣きをみる。これもどれも、サークラWiFiのせいである。

 

 ショッピングモールの運営者諸先生、勝手に繋がるWiFiを設定するのをやめてほしい。それともアレか、サークラWiFiを設定することで通信制限を引き起こし、携帯会社と癒着しているのか。とにかく、サークラWiFiをほろぼせ。サークラWiFiをほろぼせ。サークラWiFiをほろぼせ。ポアだ!ポアだ!ポアだ!ポア!ポアだ!ポアだ!ポアだ!ポア!ポアだ!ポアだ!ポアだ!ポア!ポアだ!ポアだ!ポアだ!ポア!ポアだ!ポアだ!ポアだ!ポア!ポアだ!ポアだ!ポアだ!ポア!ポアだ!ポアだ!ポアだ!ポア!ポアだ!ポアだ!ポアだ!ポア!(不老不死求め ナ〇ック星移動 宣戦布告 民に血担う……)

 


【MAD】「F」マキシマム ザ ホルモン × DRAGON BALL Z 【再アップ】

 

 

大人は立派だとモラトリアム人間に教えてくれ

 

 僕はモラトリアム人間だ。大人になりきれていない。もちろん年齢でいえば、とうに成人している。だが、僕の精神性や表出する言動は明らかに大人のそれでない。どちからというと小3に近い。自分勝手な行動で他人を困らせる。他人のことを自分と同じ人間だと理解していても実感しているか怪しい。

 

 僕は立派な大人になりたい。自分が未熟なモラトリアム人間だからだ。立派な大人に……と思っているのだが、しばしばその気持ちは削がれる。身近でも、世間でも大人たちの行動に、がっかりさせられるからだ。大人たちのエゴ丸出しの醜い言動が目につくたびに、大人になる気が削がれる。

 

 いい歳して毎日人前で部下をいびることが趣味の人(本当にいるんだなこれが)。この人の存在が大きかった。人間は歳をとるだけでは愚かさから脱却できなのだと証明してしまった。

 

 他にも、自分の理想を押しつけ、そこに元からそぐわない人たちは視界にすら入れない人。自分の思考が他人にとっても正義だと疑わない人。年や立場が上だからと言って、自分が人間存在として上だと勘違いした言動をとる体育会系の人。自分の利益のために過労自殺で若者を殺す人。disるだけでなにひとつ生産的なことが言えない政治家の人。

 

 大体この人らはエゴに捉われているくせに、自分がエゴに捉われていると気づいていない。自分を疑うことをしらない。最悪だ。正義をまき散らそうとする。他人に自分の正義を押しつけるのは、多分ハシカンとセックスするより気持ちいいんだろう(いやハシカンだったら怪しいか)。

 

 何年生きてきてそんな精神状態なんだ。今までの年月でなにも学んだんだ。権力にあぐらをぁいて、他人を乏して得た承認欲求で腹を満たしてきたのか。ガッカリさせないでくれ!!大人は立派だと証明してくれ。大人になりたいと思わせてくれ。大人がこれなんじゃ、小3のままのほうがまだマシだ。

 

 もしかして、

 

 世の中に大人なんていないのではないか。全員モラトリアム人間なのではないか。だったら彼らのエゴに捉われた言動にも説明がつく。

 

 どいつもこいつも肉体年齢だけとって、精神は大人と子どものはざまなのだ。だから、エゴに捉われた行動をしてしまうし、自分がエゴに捉われていることすら気づけないのだ。子どもに近いから。子どもはお腹減ったら泣く。モラトリアム年増は自己効力感が減ったら他人を貶す。そうやって自分を相対的に高い位置において自己肯定する。子どもも年増も大差ない。自分のことしか頭にない。

 

 地球にはモラトリアム人間しかいない。みんな大人になれないまま死んでいくのだ。

行為が善なら、動機がどうであれ、自分を責めたてる必要はない


  最近、自分の行動の動機が、善だか偽善だかわからないことが多い。

 

  大学の部活で色々後輩に教えることが多い。自分で言うのは恥ずかしいが、僕はそれを積極的にやっている方だと思う。後輩が上手くなってくれればいいと考えてやっている。

 

  しかし、本当にそうなのだろうかと思うときがある。初心者だった後輩を上手にさせて一緒に結果を出したという実績を手に入れたいだけではないか。そんな疑いが生まれるのである。

 

  僕の自己評価はアテにならないが、よく考えると、僕が部活の後輩を色々と教えているのはその後輩本人のことを思っているのではなくて、後輩を上手にした自分になりたいだけではないか、という気がしてきた。

 

  となると、僕の行為は偽善である。やらない善よりやる偽善、なのかは置いといて、心理的にはあまり美しくない状態である。自分のなかでは後輩のためだと思っているのなら、なおさら醜い。

 

  自分の行動の動機が、善なのか偽善なのかわからなくなっている。偽善ならば、それは褒められたことでないのでは、改めるべきなのではないか、と思って混乱している。

 

  ところで、本来、物の感じ方は個人の自由であるはずだ。というよりコントロールできない。なにかに対して嫌悪感を覚えてそれを所構わず主張するのは間違っている。だが、嫌悪感を覚えること自体は制御できないし、禁止されてよいことではない。

 

  それを踏まえると、自分の行動が固定されている状態だと、その行動に至るための動機は自由であってもいいのではないだろうか。この場合、後輩になにかを教える行為を続けるならば、その行為の動機自体はなんでもよい、ということだ。

 

  もちろん、その行為が誰かに対しての押しつけであったり、自分が善を成していると主張するのであれば、話は別だ。そうでなければ、自分の行為が善だと誰かに言わなければ、行為の動機自体は別になんでもよいのだ。なぜなら、動機は自分のなかから湧き出てくるとので、コントロール不可能であるからだ。

 

  なので、相手に対して押しつけにならない程度に、深く考えずに部活をやっていこうと思う。

 

  ただ、どこまでが押しつけにならないのか、向こうが押しつけに思ってなくても自分の行為が相手の成長を妨げてないか(僕の母が僕に過干渉だったように)など、問題は尽きないのだが……

 

  ワタベラマナでした、ありがとうございました。

臨床実技が怖い。失敗が怖い。失敗して人に嫌われるのが怖い。

 

 実習が怖い。実習の実技が怖い。上手くいかないかもしれない。相手に嫌な思いをさせるかもしれない。相手にダメなやつだと思われるかもしれない。それを考えてキョドってしまうかもしれない。キョドったのを見られてキモいと思われるかもしれない。実習の実技が怖い。

 

 昔から手先が不器用だった。折り紙はどう完成させてもシワがついていた。プラモデルは作ってる最中にパーツが折れた。ラップは取り出した瞬間に勝手にくっついた。手先を使う作業のたびに失敗が頭をチラつくようになった。

 

 だから、医学科に入って高学年になったときすでに、採血とかの手技に苦手意識が生あった。実際、そんなに失敗した経験があるわけでもないのに。今までの人生の失敗が身体に染み付いていて、どうせまた失敗すると僕に言うのだった。

 

 多分臨床手技は、何回か失敗してもそこから慣れていけばよいのだ。だから、下手に苦手意識をもつ必要なんてない。なのに、どうせ失敗すると心窩部から声がする。僕は手技ができない、という観念に頭を支配されている。

 

 だから、病院実習の実技が怖い。

 

 明日、実技がある。人に対して針を扱わないといけない。すごい怖い。失敗しそうで、怖い。

 

 今日の午後から明日の実技を考えて、不安定になっている。失敗するかもしれない。失敗したら相手に嫌な思いをさせてしまう。嫌な思いをさせて、相手から嫌われてしまうかもしれない。怖い。

 

 僕自身、ろくでもないと思うのが、この恐怖がひたすらに自分の保身だけ考えていることだ。実技が失敗して誰かに痛い思いをさせるのが怖いんじゃない。痛い思いをさせた誰かから憎まれるのが、怖いのだ。相手のことを思う恐怖ではない。ただのエゴイスティックな恐怖だ。いや、恐怖なんてそんなものか。

 

 手先が不器用でたくさん失敗してきた。だから、手先を使う臨床手技にも苦手意識が生まれた。明日はその臨床手技の実技だ。苦手意識が失敗を予感している。人相手に失敗するのが怖い。失敗したら、その人は僕にマイナスの感情を抱くだろう。それが嫌だ。実技が怖い。誰かの前で失敗したくない。

 

 このブログを書き始めたころより、少しは自信がついてコミュニケーションができるようになった。しかし、相変わらず、他人のまえで自分の不出来が露呈するという事態に対する恐怖や不安が大きい。人前で失敗しそうな予定があると、それで頭がいっぱいになって、不安が継続する。心窩部にドロドロしたなにかがへばりつくようなイメージがある。

 

 誰かの前で失敗したくない。他人に、できないやつだと思われたくない。明日の実技が怖い。明日どうなってしまうんだろう。とりあえず、薬を飲んで気分を安定させて頑張る。

 

 建設的なことを考えよう。薬を飲んでなんとか明日を乗り越えても、本質的な解決はない。人前で失敗することへの恐怖や、他人にマイナスの感情を向けられる恐怖は残ったままだ。

 

 落ち着けば、人前で失敗するのが怖いとか、誰かに嫌われたくないとかはごく当たり前の感情だ。誰でも持っている。そして多分消しきれはしない。それでも、多分僕はその感情が他人よりも重い。重くて生活に支障が出る。重さを改善したい。

 

 これらの感情はエゴイスティックな感情だ。決して他人のためではない。明日の実技に話を戻すが、その実技は僕のためでなく相手のためにするものだ。だから、僕がそんな恐怖にとらわれているのは、ある意味相手に不誠実なのかもしれない。自分の失敗ではなくて、相手のために上手くやることを意識したら恐怖は紛れるのではないだろうか。

 

 このことを普遍的な事項に広げたい。失敗への恐怖や他人からの嫌悪への恐怖はエゴである。エゴであるゆえにその恐怖について考えれば考えるほど、視線は自分の内側に向くことになる。結果的に現実や他人まで意識が回らなくなる。そして、より失敗や他人からの嫌悪を自ら呼んでしまう。つまり、考えないようにすることが恐怖脱却の道なのだ。

 

 しかし、考えないといっても、恐怖を意識の外に放り投げるのは難しい。だから、違うことを考えればよい。自分のなかを見つめるのでなく、他人に目線を移せばよい。他人がどう思うかを尊重しようとすればよい。明日の実技でいえば、失敗したらどうしようと思いに捕らわれるのではなくて、相手がなるべく痛い思いしないように考えを巡らせるのだ。

 

 他人に悪く思われたくない。その恐怖は、他人の存在がなければ起こらない。にも関わらず、自分の内側ばかり見ていては、問題の根本に触れられない。恐怖は解決するはずもない。だから、他人のほうに視線を移す。どうしたら他人が喜ぶか、どうしたら他人が痛い思いをしないか。その考え方こそが、問題の根本を実在的に解決してくれるはずだ。

 

 すこし楽になった。明日の実技は、どうしたら相手がなるべく痛い思いをせずに済むか、意識しようと思う。

 

↓↓クリックよろしくお願いします!↓↓

 

ネットDE暇つぶし!汚文書解読に挑んでアハ体験!!

 

 こんにちは、ワタベラマナです。

 

 今日は僕の字が汚いことについて書いていく。せっかくなので、皆が楽しめるように暗号解読形式にした。

 

 まず、僕が手帳に殴り書きした文章が写真で載せてある。皆には、手書きの文章を見て、なにが書いてあるかの読解に挑戦してほしい。僕の字はかなり汚いので、なかなか苦戦すると思う。けれど、文脈などのさまざまな要素を踏まえれば、意味の通る答えが見えてくる。ぜひともそのときのアハ体験を味わってほしい。

 

 また、画像の下に、画像中の文と同じ文章がキーボードで正書されている。それで、自分の読解を答え合わせをして、自分の解読が本当に当たっていたかを確認しよう。もしかしたら、答えは思いも寄らぬものかもしれない。

 

 今回は、あるがまま僕の字の勢いを大事にするために、もとの文からいっさい推敲していない。そのため、文章がめちゃくちゃだが、どうか容赦してほしい

 

 それでは、ぜひとも僕の汚文書解読を楽しんてほしい。

 

 

f:id:watabera:20171024150517j:plain

 

 僕の字は汚い。すごい汚い。小学校から大学までずっと汚い。

 

 硬筆で初段にもなったけど、字が汚い。

 

 大学の友達にもずっと字が汚いと言われ続けている。

 

 なぜ僕の字は汚いのだろう。

 

f:id:watabera:20171024150530j:plain

 

 そこで、自分の字をながめていると、いくつかの傾向があることがわかった。

 

 大体、字の最後が次の字にとりこまれている。

 

 たとえば、ここ画像参照↑「がの゛」を「次」の左側にとらわれている〈「が」の濁点と「次」の部首のにすいとが共有されている

 

 つまり、手ではその文字を買い於ていても、頭はその次の文字にうつっているために、文字の最後らへんが自分でも解読不能になるのである。

 

f:id:watabera:20171024150544j:plain

 

 頭での文章を書くスピードに、手で文字を書くスピードがおいついていないのだ。

 

 手より頭の回転がはやいと言えば、聞こえはいいが、要は動作性IQが言語性IQをはるかにしたまわっているだけである。

 

f:id:watabera:20171024150610j:plain

 

 発達障害の1つである学習障害の症状の1つとして、書字表出障害というのがあり、これは「字が汚い」「誤字脱字が多い」「字の大きさがバラバラ」「位置もズレている」と僕の書く字の〈と〉一致するところが多い。

 

 さらに、DSM-Ⅳ-TR(医療現場で使われている診断基準)には、『書字能力、その人の生活年齢、測定された知能、年齢相応の教育の程度に応じてきたいされるものより十分に低い』とある。まさにその通りではないか……

 

f:id:watabera:20171024150626j:plain

 

 とは言ったものの、その次には『文章を書くことを必要とする学業成績や日常の活動を著名に妨害している』と書いている。

 

 僕も頑張れば、読める字を書けるので、『学業成績や日常の活動を著名に妨害している』とは言えない。

 

f:id:watabera:20171024150641j:plain

 

 やっぱり僕はただ字が汚いだけなのだろう。その原因はやっぱり動作性IQと言語性IQの差だろう。(WAIS-Ⅲでこの2つに差があると言われた)

WAIS-III成人知能検査|日本文化科学社 心理検査専門出版

 

 具体的には、言語性IQの分、頭の中で文章を構成するスピードが早い速い

が、それに対して、文字を書く能力すなわち動作性IQが足りていないのだ。

 

f:id:watabera:20171024150655j:plain

 

 よって、頭の中で文字が並べられる速度に手が追いつかなくて、どうしても字が汚くなってしまうのだろう。

 

 いや、もうこれはなおらない。多分。

 

 だけど、その内に社会人になる身分としては、他人が読めるような字を書くという努力もしなくてはならないだろう。

 

 まあでもできるだけでいいわ。

 

おわり

 悪文への挑戦ありがとうございました。ワタベラマナでした。

 

 解読不能のところ、本当に自分でも読めなかったのでだれか答え教えてください。お願いします……。

 

↓↓クリックよろしくお願いします!↓↓

 

 

watabera.hatenablog.com