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Watabera Miscellaneous Notes

人生やめてません

お月見旅行記

 

  こんにちは、ワタベラマナです。昨日書きました

 

 十五夜がどうの、中秋の名月がどうの、という情報をネットで手に入れた。今日は、月が綺麗らしい。そこで、僕は、月見をすべく、コンビニにビールを買いにいくことにした。

 

 コンビニについた。しかし、家を出てすぐのコンビニには、アサヒとかサッポロとか定番のビールしかなかった。なので、僕は、遠くのコンビニまで、オシャレビールを探して歩くことにした。水曜日のエール?とかそういう名前の、常時発売ではないやつが飲みたかった。普段と違う気分に浸りたかったのだ。

 

 秋の夜は、さすがに部屋着では寒かった。半ズボンの隙間から風が侵入してくる。ベガス(バンド)のパーカーを着てこなければ、確実に戦略的撤退におちいっていた。空気自体がすべて冷え切っているのだ。この温度だと、どうせすぐ冬になるのだろう。

  

 歩いていると、二階の部屋から盛大に音漏れさせている家があった。低音が回りやすいのか、道路でまでブンブンいっている。なんの曲だろうと、しばらくその家の前で立ち止まっていた。

 

 結局なんの曲か分からないままにその家の前を去った。なぜなら、その家の住人の高校生が自転車に乗って帰ってきたからだ。自転車が角を曲がってきて、もしやと思ったら、案の定、彼がその家の横に自転車を止めた。彼は、明らかに不審な人を見る目で、僕を見つめた。とりあえず、僕は下手なステップを少しかましてごまかしてみた。どうやら効き目がなかったので、そそくさと早足で去った。そしてそのまま、二軒目のコンビニに逃げ込んだ。

 

 めでたいことに、二軒目のコンビニでお目当てのお洒落ビールはあった。2種類のお洒落ビールを取り出して満足した僕は、つまみも買わずにレジに向かった。金がないのだ。

 

 ビニール袋を左手で握ったまま、コンビニから出た。そして、そのまま1つ目のビールの封を開けた。帰り道すがら飲んでやろうとしたのである。中島らもとかのアル中系アーティスト、そういうのになりきってみたかったからだ。それでも、他の人に飲み歩き(まさに言葉通り)を見られるのは、恥ずかしかった。イキってると思われたくなかった。なので、コンビニの明かりが届かなくなってから、ビール瓶(最近のお洒落ビールは小さい瓶に入っているのだ)に口をつけた。

 

 苦い!!口に液を入れた瞬間、舌から鼻腔までぜんぶが苦くなる。僕は思わず、渋い顔になった。いや、こいつを嫌いになるのは、まだ早い。もう一口飲んでみよう。うぇっ、やっぱり苦い。これがお洒落ビールなのか?お洒落は、まだ僕には早かったのか?いや、お洒落ビールのお洒落とは、世間では苦みを指すのかもしれない。……言い訳しようと、どう考えても苦いもんは苦い。

 

 そこまで考えて気づいた。これでは台無しではないか!!ほんとは、アル中アーティストよろしく、一杯ひっかけながらご機嫌で、自宅まで戻る予定だったのだ。それが、今の僕はどうだ。似合わないビールを掴んだオタクが、渋い顔してとぼとぼ歩いてるだけではないか。もはやイキれてすらない。これは違う!断じて僕の計画と違う!僕が思い描いていたのは、もっとかっこいい……あぁ……。

 

 自分だか、このまずいビールだか分からないが、腹が立った。腹が立ったので、その場で残りをイッキした。くそう、やっぱり苦い。不味いぞコレは!!そして、家まで走って帰った。これ以上、今の自分の状態を維持したくなかった。はやく自分の部屋に戻りたかった。飲んで走ったら、当たり前のように気持ち悪くなった。くそ、いつも俺はコレだ。理想から、斜めに転げ落ちていく。いつも……。

 

 そうして、家に戻って、憂さ晴らしに、と今これを書いているわけである。月を見るためにビールを買ったが、今僕の部屋のカーテンは閉まっている。月は見えない。見ない。なにもかも本末転倒だ。なにをしに、僕は家を出たのか。

 

 ところで、前読んだ文章のハウツー本に、『飲んだら書くな 書くなら飲むな』、とどこかの標語をオマージュした言葉が載せてあった。要は、酔った状態で文章を書くのはやめろ、ということだ。理由は忘れたが、とにかくろくなことにならないらしい。今まさに僕はその標語を無視している。飲酒執筆である。

 

 いや、しかし、飲んで書くのは本当によくないのだろうか。先の故中島らもは、酔っ払って寝て起きたら、原稿が出来上がってたなんてことが、たまにあったらしい。中島らもだけじゃなくて、外国の作家でも同じような話はある。クスリをキメて記憶がないあいだに、一作書きあげたことがあるとかないとか……。やっぱり飲んでも書ける人には書けるのだろう、書ける人には。

 

 僕個人としても、飲酒執筆は悪い点ばかりではないと思う。普段は社会的理性に押さえつけられていた、自分も知らない本音がぽろんと出てきたりするからだ。

 

 よいとかわるいとかの前に、キーボード操作がおぼつかなくなってきた。2本目のせいか。この辺でやめにする。

 

 ちなみに、2本目のお洒落ビールは美味かった。お洒落ビールも捨てたものじゃない。

 

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ハタチは過ぎた、いつになったら大人になれるの?

 

 2chのまとめで『俺23だけど周りの奴らが車に興味なさすぎて泣ける』という記事タイトルを見つけた。

 

 23かぁ……。その数字は、僕にとってかなり上の年齢に聞こえた。しかし、冷静に自分の年齢を考えてみれば、かなり上でもなんでもない。6年制大学の高学年という時点で、20を超えてから幾年が過ぎている。

 

 にも関わらず、その23という数字は圧倒的な上の年齢の雰囲気を醸し出したままである。僕のなかで、23歳は若いけれど自立した大人のイメージだ。それが僕には非常に遠い。僕の実年齢はほぼ変わらないのに。

 

 23歳がもつ自立のイメージから僕は遠いところにいる。いまだに上手く部屋の片付けができないし、金銭的な部分は親に頼っているし、自分という個人を確立してもいない(或いは、そんな日は来ないのかもしれない)。僕は、僕自身をまだ幼いと思っている。だから、23歳が遥かな年上に見えるのだ。

 

 年齢が重なるスピードに、僕が成長するスピードが追いつかない。時間ばかりが経って、僕は同じ場所で足踏みしている。僕が幼さを捨て去ろうとする日が見えない。僕が23歳になったとき、僕の年齢としての23歳と想像上の23歳は一致するだろうか。いや、しないのだろう。

 

 普通に生きていけば、大人になれると思っていた。

 

 しかし、それがどうだ。同級生たちはもう社会に出て、労働し、自分の力で生活しているというのに、僕は親の金で暮らし、実習が終われば家でだらける日々だ。僕のなかの大人とは似ても似つかない状態である。

 

 時間だけをこなせば、能力と人格が身についた、大人という成虫になれると思っていた。しかし、待てども、羽化どころか蛹になる兆候すらない。こどもと大人が、連続する線上にあることに気づいたのは、ついこないだである。

 

 いや、わからない。もしかしたら、ある日突然背中に蝶の羽が生えて、僕は大人になれるのかもしれない。大人になった僕は、そのご自慢の羽とともに、自信たっぷりに生きていくのだ。そうなれば、僕はもう23歳になれるだろう。

 

 蝶よ、蝶の羽よ、はやく僕の背中に。

 

 

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【試験】落ちない!取り敢えず受かる!医学科CBT勉強法【QB】

 

 こんにちは、ワタベラマナです。

 

 せっかく医学生ブログなのだし、医学科4年生が臨床実習前に受ける試験、CBTの勉強法でも書こうと思う。一応、僕も臨床実習に出ている、つまりはCBTに合格したので、そのくらい記事にしてアクセス稼ぎしても罰は当たらないだろう。

  

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勉強を始めるまえに

出題範囲

 まずは、なにを勉強したらいいか、である。CBTの出題範囲は、「4年生までの全ての範囲」と膨大な範囲になっている。

 

 しかし、以下の表を見れば分かるように、臨床医学(D,E)がそのうち6割を占めているため、主にそこを重点的に勉強すればよい。そのつぎに、『医師の基本・倫理』『公衆衛生』『診療の方法』(A,B,F)を勉強する。基礎医学(C)は、膨大すぎる範囲のわりに2割しか出ないので、後まわしでいい。

 

  コアカリキュラム大項目 内容
A 基本事項 医師の基本・倫理 4%
B 医学・医療と社会 公衆衛生 8%
C 医学一般 基礎医学生化学生理学薬理学 20
D 人体各器官の正常構造と機能
病態、診断、治療
各臓器疾患
循環器消化器呼吸器神経婦人科
40%
E 全身におよぶ生理的変化
病態、診断、治療
全身に及ぶ疾患
救急膠原病血液感染症など
20%
F 診療の基本 診療の方法 8%

 (CBTの基礎知識 | 医学生の教科書より)

この勉強法の対象者

 この勉強法の対象者は、医学科の成績中〜下位層である。

 

 「CBT落ちたくないけど、部活やバイトで忙しいし、早めに勉強始められる気がしない!」

 

 そういう、勉強(に取り組むの)があまり得意でない医学生取り敢えずCBTに合格だけはするための効率的な勉強法である。そもそも、成績上位層の人はこんなブログ見ずにきちんと準備しているだろう。

 

 ちなみに、今回は基礎医学臨床医学もほとんど覚えていない医学生がCBTの勉強をする、という設定にする。要は超最低ラインの医学生がなんとか合格するための勉強計画だ。

 

勉強期間

・1ヶ月


 1ヶ月あれば、CBTは合格できる。と、僕は思う。もちろん、その期間内は必死に勉強しなくてはいけないが。さすがにそれができなければ落ちるしかない。

 

 僕自身、部活が忙しいCBT前の1ヶ月のなかで勉強して合格したので、やはり1ヶ月あればいいと考えている。不安な人は1ヶ月半〜2ヶ月くらい用意しよう。それだけあれば、QBを勉強する期間として十分だ。

 

 ただ、あまりにも前から始めると、逆に一度勉強したことを忘れてしまい、効率がよくないと思われる。もちろん、コツコツ勉強できて、今までも結果を出してきた人は、その限りではない。

 

用意するもの

クエッションバンクvol.1〜4 

 

 CBT問題集といえば、『クエッションバンク』(QB)ですな。QBとは、CBTの(復元)過去問がまとめられている問題集である。これさえやっとけばCBTは受かる、必需品である(個人的には模試は要らない)。取り敢えず買っておこう。できたら最新版がいいが、先輩が譲ってくれるなら昨年のQBでもいいだろう。

 

 vol.1は上の表のA~Cの範囲、vol.2-3はD~Fの範囲、vol.4は多選択肢問や4連問をカバーしている(Fはvol.1だったかもしれない)。ちなみに、vol.5は最新復元問題集である。知識を詰めるのにはvol.1~3で十分だし、実践にはvol.4があるので、時間に余裕があって高得点を狙いたい人が買えばよい。つまり、この勉強法を試す人は、vol.5は買わなくてよい、ということだ。

 

 QBオンラインというサイトに登録すれば、出先のスマホやパソコンでQBが解けるので是非登録しよう。あとでまた書くが、QBオンラインでは主にvo.l4を解く。

 

病気がみえる、など教科書

 教科書は、『病気がみえる』が一式あれば、ほぼまかなえる。ただし、基礎医学や病みえが出ていない科などは、カバーしきれないので、図書館やネットを活用する。必要があれば、買ってもよいかと思う。しかし、医学生の皆はご存知のように、医学の教科書は、平気な顔して4桁を超えてくるので、買わなくて済むに越したことはない。

 

勉強計画

 さて、肝心の勉強計画/勉強法である。

 

 基礎も臨床もボロボロな医学生が1ヶ月でCBTに合格する方法を、1週間ごとにまとめた。

 

1週間目

vol.2-3を1周〜2周

 

 上で書いたように、出題割合の関係から、なによりも重要なのは、臨床医学を勉強する、つまりvol.2-3の内容を頭に詰めることである。それゆえ、最初はvol.2-3から解いていく。vol.1は後回しでいい。

 

 ここが一番しんどい。なにもわかってないのでほとんど解けないからだ。この段階ですでにある程度解けたなら、先はかなり明るい。

 

 間違った問題には、正の字等でチェックを入れておこう。今後にむけて、間違った回数をカウントするためだ。

 

 また、1~2周目は間違っても全然かまわないが、間違った問題の解答やその関連事項を、その都度理解・暗記しよう。つぎ解くときに忘れていていいので、頭のなかで暗唱できるようにするかノートに雑にでも書き込むなどして、1度は頭のなかに入れることが重要だ。これが必要なので、やはり1番しんどい時期である。

 

 1週間目に2周目に突入できたら先が楽なので、気合を入れて進めよう。2周目は1周目に間違った問題だけを解けばよい。そして、2周目も間違った問題にはチェックを入れて、何回間違ったか分かるようにしておこう。1周目に覚えたはずの知識がことごとく抜けていて悲しくなるが、だいたいそんなものなので、頑張ってもう一度頭に入れなおそう。

 

2週間目

vol.2-3を2~4周

 vol.2-3について。3周目は2周目に間違った問題だけを解く。そして、3周目では、間違えた問題ついて、つまりよくわかっていない部分に関して、その関連範囲をノートにまとめておく。ここでまとめておくことで、隙間時間や試験前に自分の苦手分野をすぐに復習できる。また、当たり前だが、自分で書いてまとめる作業は、暗記の大きな助けになる。そこを意識して、ノートにまとめよう。

 

 また、2週間目に4周目に入れると安定する。4周目になると、解く問題も少なくなってきて楽になる。そして、ここで合格のために、重要な小技が実施する。vol.2-3の4周目には、解いた問題の範囲について、他にもプチ問題を自分で作って、問題用紙に横にメモしておくのだ。5周目以降にそれを解くことで、臨床医学の範囲を抜けなく勉強することができる。

 

 たとえば、以下の画像を見てほしい(字が汚いのはゆるして)。

 

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 クエッション・バンク CBT 2017 vol.2より引用

 

 これは骨組織の細胞の名前を当てる問題である。しかし、すべての細胞について、聞かれているわけではない。③が『骨吸収を担う』破骨細胞とだけ分かれば、問題には正解できる。しかし、CBT本番に骨組織の問題が出たとして、破骨細胞だけ分かっていても解けないかもしれない。そこで、問題の横に「①②③はそれぞれ何(という名前)」と書いたわけである。こうすることで、破骨細胞だけでなく、骨芽細胞も骨細胞も覚えられる。

 

vol.4をネットで1周

 vol.4について。vol.2-3をテキストで解くと同時に、vol.4をスマホなどで空き時間に進めていく。vol.2-3により臨床医学の知識がついているので、vol.4にも多少は対応できるはずだ。

 

 なぜvol.4はスマホで解くかというと、vol4の範囲が連問なところに原因がある。

 

 連問は、たとえば本番の4連問では、患者の情報を与えられて1問ずつ解いていく、後戻りができない形式である。この形式では、しばしば、次の問題の問題文から前の問題の答えが推測できる事態が発生する。これのせいで、先の問題がどうしても目に入ってしまうvol.4の問題をテキストでやることは、おススメできない。

 

 たとえば、1問目が「この患者に行うべき検査でもっとも重要度が高いのはどれか」という出題で、2問目に「患者に○○テストを施行して結果は以下の通りだった」と書いてあれば、その○○テストが1問目の答えだと分かってしまうのだ。

 

 vol.4は隙間時間にスマホで解いていくことで、vol.2-3でつけた知識のアウトプットとして利用しよう。

 

3週間目

vol.1を部分的に2周

 

  vol.1について。上に書いたように、vol.1では基礎医学の部分はとりあえず後回しにしていい。なので、基礎医学以外の部分をvol.2-3と同じように2周する。ただし、どうしても間に合わない人はvol.1自体を後回し、もしくは最後まで放置してもよい。

 

 基礎医学をなぜ後回しにしていいかというと、あまりにも勉強のコストパフォーマンスが悪いからである。皆さんご存知のように、基礎医学の範囲はあまりにも広大で、なおかつそれぞれの分野で高度な理解や大量の暗記を必要とするものばかりである。なのに、CBT本番で2割しかでないとなると、割に合わない。基礎医学の知識がまったく残っていないなら、なおさらである。

 

 僕の場合、基礎医学の多少勉強した範囲の問題が難しすぎて解けなかったのに、全然勉強しなかった範囲が問題みただけで解けてしまったりした。やはり基礎医学の勉強は

CBTにおいては割に合わない。

 

 逆に基礎医学以外の範囲は、覚えることがある程度決まっているので、QBだけ勉強しておけば、わずかだが確実に点に変わる。

 

vol.2-3を4~5周

 vol.2-3について。5周目を解く。ただし、4周目に間違った問題だけではなく、サラッとでいいので、すべての問題に目を通そう。意外と2.3周目で解けた問題を間違えたりするからである。また、このとき、4周目に作った自分のプチ問題も解くようにすること。それだけで効率があがる。

 

vol.4を適宜

 vol.4は、QBオンラインのシステムでランダム出題にできるので、どの範囲の問題なのか自分で分からないようにしてから取り組もう。

 

4週間目

vol.2-3を5周目〜

 

  vol.2-3について。6周目は、5周目に間違った問題をサラッと解く。何回やっても覚えられない問題はここでがっつり覚えるしかない。自分のノートや語呂合わせでも使って、なんとか頭に詰め込むのだ。それ以降は時間的余裕のある限り、間違えやすい問題だけを解いたり、全体をさらっと流すなどする。もうここまできたらvol.2-3の問題はすべて馴染み深い問題になっていて、勉強の成果を実感できるはずだ。

 

vol.1を部分的に3周~

 

 vol.1について。vol.1もvol.2-3と同じように、可能な限り周回して内容を頭に詰め込もう。

 

vol.4を適宜

 vol.4は、時間があるときにランダム出題で解く。

 

(・基礎医学のさらに基礎を少しかじる)

 さらに時間があれば、vol.1の基礎医学の部分を流し読みして、「ちょっと勉強したら解けそうな問題」だけ、図書館にでもいって教科書をつかいつつ勉強するといい。ちなみに僕はこれをやったが、既に述べたように、あまり効果はなかった。

 

CBT本番

 頑張ってね、意外と解けます。

 

僕の成績

 資料がないので記憶頼りだが、得点の分布は以下のランクで『4』で、得点は80点付近だった。感触として、臨床問題はおおよそ分かった(分からない問題は不適切問題と思いこんだ)けれど、基礎問題は難易度の区別すらつかなったのに、一部推測だけで解けたりした。

 

ランク 範囲
1 2.5%未満
2 2.5~15%
3 16~49%
4 50~84%
5 85~97.5%
6 97.5%以上

(CBTの基礎知識 | 医学生の教科書より)


 先に書いたように、CBT直前の部活がかなり忙しかったので、その割には1ヶ月でそこそこ頑張ったと思う。逆にいえば、1ヶ月使って、きちんと勉強してクエバンの内容を頭に入れたら受かるということだろう。

 

まとめ

 CBTは、QBvol.2-3を繰り返して内容を頭に叩き込み、あとvol.1の必要範囲を覚えてvol.4で連問の練習したら受かる。ただし、それをやるのに1ヶ月くらいは必要である。

 

 当時の周囲を振り返ってみると、僕より少ない勉強量で普通に合格したとか、vol.2-3だけで合格したとかいうやつもいた。なので、切り詰めようと思えば、もっと勉強量を減らせるのだろう。しかし、確実に合格するためには、これくらいの勉強量は必要だと思う。もしも仮に落ちたとしても、ここまで勉強しとけば再試験は余裕でとけるはずだ。

 

 これからCBTがある医学生の皆さんは、部活にバイトに励みつつも、この記事でも参考にして頑張ってください。

 

 ワタベラマナでした。

 

 追記

 大学受験用の記事だけど、CBTとかの大学の試験の考え方にも使えるので読んでみてください。

 

 

 

 

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【趣味】「単に◇◇が好き」なの?「◇◇が好きな自分」が好きなの?

 

 本が積み重なっている。

 

 僕の部屋の本棚には、買ったはいいが手もつけていない本が、どの段にも積まれている。もともと、未読の本を入れる段が用意してあった。しかし、買う量に読む量が追いつかず、その段だけでは足りなくなって、本棚中に適当に積み重ねている。いわゆる積読というやつである。

 

 ここ最近本をまったく読んでいないのに、たまに目についた本を買ってしまうので、賽の河原の石のごとく本が積まれていく。金は減るが、読書量は増えない。このまえ買ったサブカルやオタクに関する分析本にいたっては、まえがきだけ読んで、(難しすぎて)そっと本棚に戻した。

 

 本屋で手に取ったときには、「これおもしろそうやな!」と思っているのに、いざ家に帰ると、なかなかページをめくる手が進まない、もしくは、そもそも開くのがおっくうになって積んでしまう。

 

 そうして、自分のやる気や集中力のなさに嫌になり、自分に発破をかけて読書に取り組もうとする。しかし、そもそも読書ってそんな無理やりするものなのか?など考え始めてしまい、頭がゴチャゴチャして、結局まとめサイトを読んで時間がつぶれる。積まれた本は積まれたままである。

 

 なんだか積まれた本たちが、自分の怠惰性を象徴しているように思えて、しんどくなるまでなってしまった。

 

 果たして、ここまでくると自分は、「本が好き」なのか「本好きな自分が好き」なのか、分からなくなってきた。

 

 「本が好き」なら別に深く考えなくていいと思う。けれど、「本好きな自分が好き」なら別に自分を偽ってまでしんどい思いをしなくていいし、本当に「本が好き」な人からしたらそういう人の自己アピールは鬱陶しい。よって、行動を再考する必要がある。

 

 僕自身について、小説を読み始めて集中すると止まらないところや、面白いエッセイで共感しうんうん言ってるところや、暇だとなんらかの情報を頭にいれたがるところ(しばしばTwitterで代用される)から考えると、「本が好き」なのだと思う。

 

 しかし、本棚に既読本をならべて悦に浸っているところや、病院実習の合間に同期の横で本を読んだり、本に関してのツイートをしたり、こういう記事を書いたり、「本が好き」だと暗に他人に主張しがちなところから考えると、「本好きな自分が好き」なだけの部分も大いにある。

 

 「本が好き」ならあんまり気負わずに、気になるものは買って、読める範囲で読んでいけばいい。逆に、「本好きな自分が好き」ならいい恰好して無駄に本を買うのをやめればいい。しかし、今考えたところ、どうも自分は複合型のようだ。

 

 だから、下手に気合入れずに適当に読んで面白い本ならそれでよし、面白くなければ気軽に一度放っておくことにする、と同時に、周りに対する「本好き」アピールで無駄に買い物したり不必要な自己主張をしてないか、を気を付けることにする。

 

 この、「趣味自体が好き」か「趣味が好きな自分が好き」かという議論は、ほぼすべての趣味領域に及ぶ話だろう。そうして、大概の場合、後者の「趣味が好きな自分が好き」な人はろくなことにならない。前者からは煙たがられ、実際はそこまで興味のない趣味が彼の負担になってくるなど、周りにも本人にも悪影響がでる。

 

 たとえば、音楽に関して、色々な音楽を聴いている人がいるとしよう。その人が「単に音楽が好きで、好きなものにたくさん手を伸ばしていたら、いつの間にか量が増えていた」のか、「『音楽に詳しい』と思われたいからたくさん音楽を聴いた」のか、一見分からない。

 

 しかし、その人と音楽について話してみると、また違ってくる。前者は単純に自分の好きなものについて話す喜びで話しているのが分かるが、後者は「よく思われたい」という願望が大元にあるので、会話がどうしても知識自慢やマウンティングに傾いてくる。そして後者は、音楽に興味ない人からはともかく、前者からしたら不快で迷惑でしかない。

 

 このように、「趣味が好きな自分が好き」な人は、趣味の根本的な部分への興味や努力よりも、体裁的な部分や周囲の視線を重視するので、趣味が上達しなかったり、同じ趣味コミュニティの人に迷惑をかけたり、その趣味に通じていない人にマウンティングをとるなどしがちである。要は、このタイプの人は、他人から不快や滑稽に思われる存在なのである。

 

 趣味に対していまいちハマりこめない、趣味仲間のなかで自分だけ疎外感がある人は、自分が本当に「その趣味が好き」なのか、「それを趣味にしている自分が好き」なのか、考えてみるといい。おのずと、その趣味への自分の本当の思いが見えてくるだろう。

 

 もちろん、考えてみた結果、自分はやっぱりその趣味が好きだが、現在は少し疲れてしまっているので離れたい、という結論になることもあるだろう。しかし、そうでなくて、自分が本当はその趣味自体はそこまで好きでなくて、その趣味の「響き」に憧れていただけだった、と分かったならば、趣味への向き合い方をもう一度考慮する必要があるだろう。

 

 以上、最近自分がサブカルイキりオタクみたくなっているので、自戒を込めて書きました。ワタベラマナでした。 

 

 

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【Twitter】SNSでの幸せ報告が鬱陶しい人へ【マウンティング】

 

 こんにちは、ワタベラマナです。

 

 SNSには、よく「幸せ報告」が転がっている。TwitterからInstgramやFacebookまで、幸せ報告の場所は多岐にわたる。「今日は久々のメンツで飲んだ!!超楽しかった!!(飲み屋の画像付き)」「~~に行ってきました。素晴らしい景色で眼福でした」「この仲間で過ごした時間に感謝!!」などなど。

 

 SNSで幸せ報告する人をみると、僕はそれを斜めに読んで、本当に幸せならわざわざ書かなくていいんじゃない?幸せだと思い込むために書いてない?それともマウンティングすることで幸せになろうとしてるの?とかひねくれたことを、ついつい考えてしまうことがある(自分もSNSで幸せ報告を結構やっている癖、に)。

 

 しかし、昨日ある出来事があったので、幸せ報告」はそう悪いことではないのではないか、と思いはじめた。

 

 昨日の出来事はホントに単純である。働きはじめてからあまり会わなくなった看護師の友人とすれ違って挨拶しただけである。お互いに自転車だったから、邂逅はほんの一瞬だった。すれ違った瞬間に、互いの存在に気づき、ちょっと手を振って、「お疲れ!」とだけ言った。そのあとは、両者とも進行方向へとただ自転車を漕いだ。ただそれだけである。

 

 しかし、この簡単な出来事は、僕にとっては、心象的サイズのある出来事だった。すれ違いざま、友人だとわかったときに、僕はなぜかすごく嬉しくなって、満面の笑み(多分)で挨拶したのだ。そしたら、向こうも笑顔で返してくれた。そのあと、僕の心窩部には、ふかふかした暖かい感触があった。それはなんだろうと、言語化してみた。この暖かい感触はいったいどういう気持ちからきているのか、考えたのである。結果、「こうやって、たまにでも会えてにこやかに挨拶できる友人がいるのは幸せだな」という感情だった。


 曖昧な暖かい気持ちを詳しく言語化することで、より自分の幸せについて具体的に理解できた。その幸せが、自分のなかの一部として、より自然なやり方で精神に組み込まれた。

 

 下の記事に書いたように、僕は、人はたまには自分がもっている幸せを再確認するべきだと思っている。

 

 

 だから、SNSに「〜〜〜〜で楽しかった!!」とか「本当に幸せです!!」とか書く行為は、言語化によってその幸せに対する理解を深められるので、自分の幸せを再確認する手段として非常に健全な行為なのではないかと思う。

 

 「幸せ報告」は、それをSNSに投稿する過程で、自分の幸せの言語化が行われる。そして、幸せの言語化は、自分の幸せへの理解や再認識に役立つ。なので、「幸せ報告」は、幸せの再認識の手段として、そう悪いものではないのだ。

 

 もちろん、「言語化したものをわざわざ他人に見せるためにSNSに載せる必要はあるの?」という意見もあるだろう。しかし、現代日本では、個人用の日記でも書かない限り、他人に見せる体でしか起こった出来事を言語化することはない。だから、積極的な言語化の手段としてのSNS投稿という選択肢は、そう責められるものではないと思う。


 なにが言いたいかって、下手に斜に構えずに、楽しかったら楽しかった、幸せなら幸せ、ってSNSに載せたらいいんじゃないの?てことです。

 

(ただし、マウンティングの目的の幸せ報告は、他人から見たら鬱陶しいだけでよろしくないと思う)

 

 

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自分で自分を論破した話

 

 こんにちは、ワタベラマナです。


 僕はしばしば、他人の気持ちへの配慮が足りず、失礼な言動であったり、我儘な言動を取ってしまう。

 

 だから、なるべく自分の行動を反省して、ブログにまとめてみたりして、"間違った行動"をしないように、意識している。なるべく。

 

 すると、他人が"間違った行動"をするのが、目につくようになった。

 

 僕は、以下の記事で書いたように、「他人への自分の価値観の押しつけ」が嫌いである。"間違った行動"だと思っている。

 

 

 

 

 

 「あなたが間違っているから、正しい方向に導こう」という形で行われるそれは、たしかに正論な場合も多いが、しばしば押しつけている側の支配欲や承認欲求に端を発した行為である。僕はそれを、"間違った行動"だと考える。

 

 だから、自分の目の前で価値観の押しつけが行われるのをみると、「自分の正しさが他の人にとっても正当性があると思わないでくれ!」と考えてしまう。願わくば、それをやめてほしい、と思う。それが目の前で行われているのが、どうしてだか、かなりのストレスである。

 

 「価値観の押しつけは間違ってるからやめてくれ!」は、僕から見たら、間違っていない主張のように見えた。

 

 しかし、なんと悲しいことか、よくよく考えてみれば、この主張こそが「価値観の押しつけ」ではないか。

 

 僕からすれば、「価値観の押しつけ」は間違った行為である。しかし、それは、僕の価値観に基づいた判断である。その判断に基づいて、他人に「価値観の押しつけをやめろ!」と言うことこそ、まさしく「価値観の押しつけ」である。

 

 だから、いま僕は、「価値観の押しつけは間違っていると思っており、なおかつそれを見せられるのが非常にストレスなので、だからそれをやめてほしいと主張したい。しかし、その主張こそが価値観の押しつけに他ならない」というジレンマに陥っている。そして、そのストレスの回避方法を、思いつかない。

 

 価値観の押しつけをやめてほしい!!

 しかし、それを主張すると自分も同じことになる!!  

 でも、目の前でされたら凄いストレスだ!!逃げられる状況でもない!!

 

 どうしたらいいんだ〜〜〜〜

 

 

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医学部受験に才能でなく努力だけで合格する勉強法①

 

 こんにちは、ワタベラマナです。

 

 今回から何回かに分けて、僕の経験に基づいた、医学部受験の勉強法の記事を書いていこうと思う。

 

 (動機はアクセス欲しさだが)読んだ時間に報いる価値は保証するので、医学科志望の受験生はぜひ目を通してほしい。なんとしても医学科に受からなければならないあなたの役に立てるだろう。

 

 というか別に医学部でなくても、もはや受験でなくても、勉強全体に使えると思えるので、受験生以外も読んでほしい(CBTや国試勉強にも使えるのでは)。

 

 勉強法をまとめるにあたって、才能がなくても努力だけで合格に至れるものを目指した。もちろん、才能はあるに越したことはない。しかし、僕は特出した才能がなくても医学科には合格できると思う。努力から最大限の効率を生み出せば、才能にも勝てるはずだ。だから、その手段として「努力と思考法でなんとかなる」勉強法を考えた。対応範囲は地方国公立医学科レベル~地方旧帝医学科レベルである。

 

 記事の順番として、「毎日の勉強を効率的に進めるための考え方」「勉強計画など全体的な事項」「科目や分野ごとの具体的な勉強法」に分けて書いていこうと思う。というわけで、今回はこの勉強の基本的な方針や考え方について書いていく。

 

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 受験勉強の3要素

 受験勉強というのは、大きく3つの要素に分けられる(医学部受験に限らず)。この3要素を順番にこなすことで問題が解けるようになる。そして、3つの要素を理解し、「自分が今どの要素を鍛えるために勉強しているか」を意識することで、勉強の効率を大いに上げることができる。これが、この勉強法の大きな方針である。以下に3要素を示す。

 

暗記/理解

パターン化

思考/実践

 

 それぞれの要素について説明する。

 

暗記/理解

 暗記は、そのまま、知識を覚えることである。英単語、英文法、古文単語、古文法、周期表、数学の定理など。受験勉強には覚えなければならないことがたくさんある。当然であるが、暗記は非常に重要である。暗記事項を覚えてなければ、問題を解くスタート地点にすら立てないからだ。たとえば、英単語も知らないのに英語の文章の要約するのは不可能だし、数学の定理を覚えておかなければいくら考えても問題は解けない。

 

 また、理解とは、各科目ごとの基礎的な論理や事項を自分なりに納得して覚えることである(多くは理系科目)。たとえば、物理で波の問題を解くには波の性質を理解しる必要がある。また、化学の熱力学で化学反応時に熱がどんな役割をもっているのか理解しなければ、いつまでたっても適当に問題を解くはめになる。それでは安定した点はとれない。

 

 つまり、暗記/理解というのは受験において前提条件であり、頭に入れておかないと受かりようがないのだ。暗記の際はや新しい分野に入る際には、それを頭の隅に置いてほしい。

 

 どう暗記/理解したらいいかは、また各科目ごとに載せる。暗記に関しては、基本的には書いたり口に出して無理やり覚えるしかない(か語呂合わせ)。しかし、ここで一つ効率的な覚え方を紹介しておこう。

 

 それは、「問題との関連づけ」である。人間はただ覚えただけでは忘れやすい。しかし、なにかに関連付けると、覚えやすいし忘れにくい。そこで、問題演習中に暗記不足で間違えたときは、必ずそれをおざなりにするのではなく、その場で覚える時間を取ろう。頭のなかで、暗記事項とその問題を繋げて覚えると忘れにくい。また、覚えるとき、問題に出た暗記事項だけでなく、関連する暗記事項も覚えようとすると効率がよい。

 

 上のようにどんな手を使ってもいいから暗記事項や基礎論理・事項は頭に入れる必要がある。

 

パターン化

 僕の勉強法において最も重要なのは、この「パターン化」である。

 

 パターン化とはなにか。

 

 大学受験の出題範囲は、広大だが有限である。つまり、出題される問題も大まかには限られているのだ(東大京大はそう簡単ではないかも)。

 

 よって、各科目ごとの問題の出題パターンを覚えることで、 完全にブラックボックスだった問題の内容が、ある程度明確に見えてくるようになるこの問題は、問題集のあの問題と同じ種類の問題だな。では、~~することで解けるに違いない」と気づくことができれば、おのずと解答も近い。

 

 (特に理系科目で)まったく分からない問題というのは、「見たことがない種類の問題なので、解き方の検討が全然つかない」となることが多い。例題を多く解き、なるべく多くの出題パターンを頭に入れることで、まったく分からない問題を減らし、解答中の思考時間を大いに減らすことができる。

 

 たとえば、数学における軌跡の問題はパターン化の最たるものである。「(式の与えられた)円周上を動く点Pと原点Oとの中点Mの軌跡を求めよ」という問題では、「点Pが円の式を満たす」、「Mの座標を点Pを用いて表す」、「式変形し円の式に代入することで軌跡を求める」というのが問題を解くパターンである。

 

 ほかにも、化学の炭酸ナトリウムの二段階滴定の問題では、炭酸ナトリウムから炭酸水素ナトリウムが発生する第一段階反応と、炭酸水素ナトリウムから二酸化炭素と水が発生する第二段階反応があり、これを利用して問題を解くのがパターンである。

 

 これらのパターンを知らなければ軌跡の問題や二段階滴定の問題は絶対に解けないし、知っておけば悩むことなく問題に取り掛かることができる。このように問題をパターン化して頭に入れておくのは、受験勉強で非常に重要である。

 

 暗記/理解ができたら、次は問題(とくに例題)をいくつか解いて、「それらの問題に共通するパターン」を掴もう。そうやって、パターン化した問題の数を増やすことで、模試や本番で対応できる問題を増やすのだ。

 

 問題を解くときには「この問題はどのようなパターンから出題されているのだろう」という意識を常に持とう。そうすること(パターン化)で、1つの問題を解くだけで他の同じパターンの問題がたくさん解けるようになる。パターン化の意識は勉強の効率を大きく上げる。そうすることで、才能でなく、努力だけで勉強の成果を生み出すのだ。

 

思考/実践

 思考/実践とは、解答に至るための最後に必要な要素である。

 

 暗記/理解で問題を解くのに必要な準備はバッチリ、パターン化によって前解いた問題と似たパターンの問題だと分かった。しかし、それだけでは、問題を解けない可能性がある。

 

 なぜなら、問題ごとに特有の要素があり、それについてはパターン化できず、その都度考えるしかないからだ。また、理系科目の計算など、他にもパターン化だけでは対応しきれない部分もある。(パターン化は本番における思考/実践の負担を減らすために行う)

 

 それらをカバーするための勉強が、思考/実践である。

 

 思考/実践は基本的に、パターン化を終えたあとに、実践練習として問題を解いていくしかない。問題ごとのパターン化できない不透明な部分への対応力をつけるのである。

 

 また、思考/実践は暗記/理解の再確認や、パターン化した問題のアウトプットの練習にもなるので重要である。

 

 思考/実践は、基本的には問題演習をすればよい。しかし、どうも上手くいかないとなった場合は、暗記/理解やパターン化が足りていないのである。一端そちらの復習をしよう。とくにセンター試験の理科は本質的な理解が重要である。解けない場合は教科書まで立ち返ろう。

 

まとめ

 受験勉強に大切なのは、以下の3要素を順々にこなしていくことである。

 

暗記/理解

パターン化

思考/実践

 

 まず、暗記/理解をすることで、問題解くのに必要な要素を覚え、また分野の本質を理解する。

 

 次に、パターン化により、例題などを解き出題パターンを覚えることを繰り返すことで、対応できる問題の種類を増やす。

 

 最後に、実際に問題を解く過程で、パターン化だけでは対応できない部分への思考/実践能力をつける。また、本当に暗記/理解できているのか、覚えたパターンを実際に問題に活用できているか確認する。

 

 この3つの過程を経ることで、入試問題が解けるようになる。

 

 実際のところ、ここまで僕は受験勉強のやり方について当たり前のことしか言っていない。しかし、世の受験生はその当たり前を理解せずに、「とりあえずがむしゃらに勉強しとけば合格する」と思っているのではないだろうか。がむしゃらに勉強することは否定しない。しかし、適当に勉強するだけでは、あまりに効率が悪すぎる。

 

 勉強をしている際には「今自分が3つの要素のどれを目的として勉強しているか」を常に意識しよう「取り敢えず問題を解いてみてるだけ」「問題を通して同じ分野の問題に通じるパターンを覚えよう」とでは、どれだけ効率が違うかは想像に難くない。

 

 医学部医学科受験生は以上の3要素を常に頭の片隅に置いて勉強しよう、というのが今回の記事の要点である。

 

 次は勉強の計画について書こうと思う。それでは、また。

 

 ワタベラマナでした。長文読んでくださりありがとうございました。

 

続きの記事

 

watabera.hatenablog.com

 

 

 

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