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ワタベラ雑記帳

メンヘラ雑記。生きづらさ考察、創作、本、映画、音楽。

Watabera Miscellaneous Notes

さよなら、鈍い感受性

雑記 ダメ人間フィルター

 人間、良いか悪いかの二元論が好きである。善悪、プラスマイナスの分かりやすいラベルを貼ってしまえば、理解しやすい。無駄に悩まなくてもよいからだ。

 

 政治家、政党とかよく二元論で片付けられやすい。ある人は安倍総理を地獄の魔物のように扱い、ある人は民進党を諸悪の根源として扱う。実際どうなのかはここでは問題ではない。

 

 放射線放射能?)も、別にそれ自体は悪でもなんでもない。ご存知のように放射線治療という、人間に対してプラスの側面が存在する。それなのに、放射線を絶対悪として拒絶する人が散見される。理性的な判断とは言えない。

 

 同じことが人間関係にも言えると思う。どうしても、ある人物をプラスかマイナスの評価で捉えがちだ。この人は、あの欠点があるけれどこの点では素晴らしい。こういう人物評価をするのは意外と難しい。

 ある人に対するプラスマイナスのイメージが先だってしまい、その人の長所、もしくは短所に気づけない。自分が人間の屑だと思っている人に対しても、別の人が長所を褒めたりする。

 もちろん、逆も然りだ。自分が非のない完璧な人物だと捉えていたある人も、他人からすると重大な欠点が見えているものだ。

 他人をいい人かわるい人かで大まかに評価してしまうのは考えなくてよいので楽だ。しかし、その捉え方は実際が見えている訳ではない。だから、その人物評価は間違っているし、それで自分が損をすることもあるかもしれない。

 

 さらに突き詰めれば、自己評価に関しても同様の話ができる。自分はダメな人間だ、という自虐的評価。自分は間違っていない人間だ、という尊大な評価。これらに捕えられてしまうと、伸ばすべき長所や改めるべき欠点が見えない。

 ダメ人間というフィルターに全てを遮断されると、自尊感情の低下や必要ない精神の負担に襲われる。出来る人間だというフィルターに全てを遮断されると、途轍もないミスを犯したり誰かを傷つけてしまう。

 自分をよいところのない人間だと切って捨ててしまえば、本当の欠点を見ずに済むので楽だ。さらにある種の愉悦を得ることができる。

 自分の欠点を全て無視する姿勢も当然楽だし、簡単な自己肯定感がついてくる(ただ無条件の自己肯定感は別に悪いものではない)。自分自身を振り返るときに、先入観は必要ない。むしろ害悪だ。

 

 我々は理性的な判断をするため、自分の得のため、二元論に頼らずに物事を評価するべきなのではないか。とくにメンヘラ諸兄は自己評価に関してフィルターをかけるのをやめるべきだ(そう何より僕が……)。

 物事を、人物をしっかり見つめて、そののちに評価する姿勢は労力が必要だ。しかし、そこから生じる理性的な判断は、最後に手に取れる形のメリットを生み出すのだ。まずは僕も自分の判断の仕方について、先入観なしで、長所と短所をしっかり見つめることにしよう。


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