赤木リツコ「キモオタクのジレンマ」
オタクは自分がキモいことを認めるべきなのか。
ここ最近の僕の悩みである。
意味不明な悩みだと思われるかもしれない。
しかし、これがなかなか深刻な悩みなのだ。自分をキモいと認めるも一苦労、認めないもまた一苦労なのである。
そして人生に苦労するオタクたち全てに通じる悩みでもあると思う。
なぜキモさの自認が問題になるのかを書いていきたい。
なぜキモいのか、キモいとどうなるか
まず前提条件として、オタクはキモい。
と言うと、
「俺オタクだけど彼女いるし、キモいとか言われたことないんだがw」
などとイキる輩が出てくる。
なので、ここではオタクを『他人の気持ちを汲み取ることが出来ず、不快にさせる人』と、定義したい。
『何か一つのジャンルに精通してる人』とは、全く別の概念だ。
『他人の気持ちを汲み取ることが出来ず、不快にさせる人』は大体キモい。
不快にさせるというのは、気持ち悪いと思われるのに等しい。
オドオドするオタク。会話が不安なのは結構だが、キョドられる方も面倒だ。自分が何か悪いことでもした気分になる。そこを理解していないであろう。
小汚い身なりをするオタク。自分には見えないからか平気で人前に出る。しかし、会う人全てに不快感を抱かせている。
不潔な身なりでビクビクしてるような奴は、自分が第一で他人にどんな思いをさせようが構わないと主張しているようなものだ。
オタクは、『他人の気持ちを汲み取る』ことができないために、気持ち悪い格好や言動をしてしまうのだ。
オタクはキモい。
つぎに、キモいオタクは人間関係に難を抱えることが予想される。
臭いがキツい人。すぐ不機嫌になる人。自分の都合ばかり優先する人。これらの人種と積極的には仲良くしたい人はいないだろう。
キモいオタクは友人との間に軋轢も予想されるし、そもそも友人などできないかもしれない。
恋人なんて夢のまた夢、異性との距離感が掴めずにトラブルを起こすのが関の山だ。
そして、人間関係の失敗がオタクを更に卑屈にさせる。結果、余計に気持ち悪さが増しさえする。
オタクはそのキモさゆえに、人間関係を上手く築くことができない。
自己認識は諸刃の剣
話をキモさの自己認識に戻す。
対人スキルがなくて苦労しても、それで平気なら自己認識は問題にならない。
自己認識が悩みの種となるのは、自分の気持ち悪さをなくそうとするとき、すなわち『脱オタク』するときである。
脱オタクは以下のように行われる。
自分の欠点を改めて、コミュニケーション能力を向上させ、周りからの評価を改善する。そして、自分の気持ち悪さ、対人関係の問題から抜け出す。
脱オタクできれば、自分と周囲の人ともにいい影響がある。自分は様々な問題が立ち消え生きやすくなるし、周囲の人も不快にされないので済む。
脱オタクが可能ならば、するに越したことはないだろう。
がしかし、その脱オタクの道を厳しく辛いものにしているのが、オタクの自己認識なのだ。
(ここでの自己認識: 自分の気持ち悪さを認めること)
ではなぜ、自己認識が脱オタクの道を厳しくしているのか。
そもそも、自己認識がなければ、脱オタクの道を歩き始めることができない。
脱オタクするには、自分の欠点がトラブルの原因だと、理解する必要がある。
そのためには当然、自分に欠点があるという認識がなければならない。
欠点があることを知らなければ、改善しようという決意すら抱けないのだ。
その点で、自己認識は脱オタクに必要不可欠なのだ。
しかし、自己認識をすることは、それ自体が大いに精神に負担を強いる。
自分をキモいと認めることは、おおいに自尊心を傷つける。メンタル版の自傷行為だ。
更に、脱オタクはすぐには終わらない。つまり、自己認識は相当長い間負担になる。
急に気配りができる人間に変われはしない。振る舞い方は人間関係のなかで失敗しながら学ぶしかないのだ。その期間は決して短くないだろう。
また、身なりも服装だけならすぐ直せる。しかし、体形や体質はそう簡単に変わるものではない。脱オタクの期間中、鏡に映るキモオタクを見るたびにガッカリしなければならない。
脱オタクは時間がかかり、その間中、自己認識によるダメージを受けることになる。
自己認識が脱オタクを辛いものにしているのは、それ自体が精神にダメージを与え、なおかつ長い脱オタク期間に必要不可欠であるからである。
結局キモいと認めるべきなの?
自己認識をしなければいつまでも人間関係でトラブり続ける。
しかし、自己認識をすると長い期間自分を傷つけることになる。
オタクは自分が気持ち悪いことを認めるべきなのか。
それとも自分の欠点から目を逸らして、他人に迷惑をかけ続けるべきか。
キモオタクのジレンマである。
社会で生きるという観点から考えれば、自分の欠点をしっかり認めるべきなのだろう。他人を不快にさせて平気なようでは、社会で相手にされない。
心に傷を負いつつも、何処が悪いのか理解し、欠点と向き合い、改善する努力が必要なのだ。
ニートで一生終えるか、凄腕の株ディーラーにでもならない限り、我々は社会システムのなかで生きていかなければならない。
すなわち、社会に出るオタクは自らをキモいと認めるべきなのだ……。
世のオタク諸兄。
我々の前には茨の道、我々の後ろには底なしの沼。
茨の向こうに何があるかは分からない、しかし沼の底には何にもない。
どうやら、前に進むしかないらしい……。
追記
本質的には似たようなことを書いた記事を以前メンヘラ.jpさんに載せていただきました。
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