slowly

Watabera Miscellaneous Notes

人生やめてません

暴投する奴とキャッチボールはしたくない

  乾燥のボタンを押したら機械がゴロゴロと音を立てたので、とりあえず火急の家事は終わった。

 

 

  僕は人に物事を伝えるのが下手だ。例えば最近あった面白い話を誰かに伝えたり、例えばオススメの小説の面白さをプロデュースしたり、例えば部活の練習中に部員に要望を伝えたり、他にはこうやってブログを書いてみたりすることが中々上手く出来ない。

 

  人に何かを伝えることはまさにコミュニケーションの片側であり、生活の至るところで必要とされる。出来なければそれはそのまま毎日を送る支障になる。

 

  だからと言って「私はお話をするのが下手」なんて看板掲げて歩く訳にもいないし、「最低限の意思疎通は可能」なつもりになって僕は毎朝家を出る。

 

  つもりになったところで能力がつく訳ではない。僕は会話の最中に(愚かだと思うけれど)正解の台詞を探そうと頭を必死に回転するし、周りの人は何となくそれを察するはめになる。

 

  それでも24時間経てば日は変わるし、学校に行って帰ってくれば授業に出たことになる。会話のキャッチボールは暴投しても何とか相手が拾いにいってからまた投げ返してくれる。なぁなぁの状態を続けた結果、僕は足りない言語能力を抱えて現在を迎えてしまった。

 

  これで誰が困るかといってやはり自分が困る、そして勿論他人にも迷惑をかける。この能力の有無が大多数の人と僕の生活との間にひと目では分かりにくい、だけれども致命的な違いを生んでいるような気までするのだ。

 

  では具体的に何が足りないのだろうか。

 

  語彙力?あり得る。しょうもないSNSにのめり込んでる間に本でも読めばよかったのだ。語彙が少なければ少ないほど、全く違う感情や意味合いをたった一つの言葉で表現する羽目になる。逆に言えば一つの言葉の示す意味が広がりすぎて、示したいことの輪郭が見えなくなってしまうのだ。それではあの小説の何処がどういった風に何故面白かったかなんて伝えられるはずはない。

 

  会話や他人との交流の経験が少ないこと、他人の目を見るのが怖いこと、過度に自分の言動による他人の反応に不安を持つこと。先の展開を考えずに言葉を始めてしまうこと。挙げようと思えばいくらでも適当に並べれるような気がする。

 

  しかし、あまり確信はないけれど一つ大きな原因があるような気がする。「想像力の欠如」と言えるような何かだ。最近読んだ朝井リョウの何者に出てきたワードで、作中と大体同じ意味な気がする。

 

  想像力だけで言えば僕は空想するのが好きなタイプの少年だったので足りてないことはなさそうだが、先ほどの言葉を正確に言い換えると「他人に対する想像力の欠如」となりこの定義だと僕は途端に赤点になって単位を落としてしまう。

  

  自分の言動が他人にどう受け止められるか、どういう印象をもたらすかを考えない立ち振る舞いはまさにキャッチボールでひたすら暴投し取りに行かせるような所業である。

 

  想像力、言い換えて思いやりの欠如が具体的にどういう機序で僕のトーク下手や説明下手を引き起こしているのかまさに今僕は上手に説明出来ないが、これの解決は僕の何かを変えてくれるような気がする。解決すれば。

 

  困っているからには治したい。誰にでもとはいかなくても日常に支障がないくらいにはマトモに話せるようになりたい。だから多少は努力しようと思う。

 

 

  取り敢えず、明日は早く起きてゴミ出しをして朝食を食べてから一日を始めよう。

  

  


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