slowly

Watabera Miscellaneous Notes

人生やめてません

雑記 感情ルール

 
 最近、幾つか成功体験があった。

 

 兼ねてからの目標を達成することができた。

 

 数年越しの念願も叶った。 

 

 

 メンヘラ.jpに記事を載せていただいたのも、その一つだ。

menhera.jp

 

 さすがに数年越しの願いではないが、それでも時間をかけて自分なりに文を書いた。

 

 結果、思っていたよりも多くの人に読んでもらえて、嬉しかった。なかには、リプやDMで、共感したと感想を送ってくださる方もいた。

 

 まとまりない自分の文章でも、読み物として誰かの心を動かせたと思うと、幸せだ。

 

 

 ……
 …………と思うはずなのに、

 

 意外と自分自身の心が動かなくて、それにガッカリしてしまった。

 

 滲みるような幸福感はある。

 

 しかし、「もっと喜ばなきゃいけないはずだ」という考えが、それを超えて強く主張してくる。

 

 「喜ぶべき状況で喜べないダメな自分」という認識が、少しずつ膨らんでいく。

 

 

 昔、高校の学祭でも似たようなことがあった。

 

 「あんなに努力したから、この瞬間もっと俺は感動してなきゃダメなんだ」

 

 クライマックスで泣けなかった自分に、失望していた。

 

 事実に感情が追い付かないことが、凄くもったいないと思えて、悲しかった。

 

 そして、今もそうだ。

 

 

 

 いったい何に強迫されているのだろう?

 自分から自由になりたい。


↓↓よければクリックお願いします↓↓
にほんブログ村
人気ブログランキング

『数学文章作法 基礎編』 紹介

 

 

 自分の文章に読みにくさを感じたこと、あなたはないだろうか。 

 

「ゴチャゴチャして読みにくいし、なにが言いたいのか分からない……」

 

 僕のことだが、よくある話でもあるだろう。

 

 

 読みにくい文章しか書けないと、困ることは多い。

 文章を書く行為が、我々の日常生活に浸透しているからだ。

 社会人は、業務用の書類やメールを書かなければならない。

 大学生は、レポートやプレゼン用のパワーポイントで文章を書く。

 プライベートでも、メールやLINE、TwitterfacebookなどのSNSに文字を打ち込む。

 好むと好まざるに関わらず、我々は文章を書かなければ生活できない。

 それゆえ、読みにくい文章しか書けないと、様々なひっかかりが生じる。  

 

 

 f:id:watabera:20170623222040p:plain

 

「毎日文章を書くのに、読みやすい文章を書く技術がない」

「分かりやすい文章が書けたら、色んな部分で楽になるのに……」

 

 そんな方にオススメしたいのが、今回紹介する『数学文章作法 基礎編』である。

 作者は、『数学ガール』シリーズの結城浩だ。  

 

数学文章作法 基礎編 (ちくま学芸文庫)
 

 

 

本の概要    

 

f:id:watabera:20170623222817j:plain

 

「数学?」

「別に数学の論文を書く気はサラサラないですけど……」

「数学が出てくると分かりにくそう……」

 

 のように思う人もいると思う。

 しかし、心配しないでほしい。

 この本は、別に数学科の学生の教科書ではないのだ。  

 

 

 では、一体なんの本なのか。

 この本は、正確で読みやすい文章を書くための原則を紹介する本である。

 そのために、数式まじりの文章を題材として用いている。

 この本では、数式まじりの文章を読みやすくするためのポイントを、一冊かけて紹介していく。

 そのポイントは、数学系の文章だけでなく、全ての文章に通じるものだ。

 数式は具体例というだけである。 

 実際は、普遍的に使用出来る文章作法を教えてくれる本なのだ。

 

 また、数学が出てくると分かりにくいのでは、という心配も杞憂である。  

 この本は、数学が苦手な読者のことも考えた説明がされている。  

 積分が解けなくても、方程式が解けなくても、この本の内容は理解できる。    

 

 

内容の例    

 

f:id:watabera:20170623224005p:plain

 

 ひとつ、文中の内容の例として、「例についての解説」を一部要約しよう。

 

 

 さて、以下の2つの文章のうち、どちらが分かりやすいだろうか。

 詳しく言えば、どちらが自然数を理解するのに良い例示だろうか。  

 

「1,2,3,…のような,1以上の整数を自然数と呼びます.」  

 

「1,2,3,…のような,1以上の整数を自然数と呼びます. 0や-1は自然数ではありません.」  

 

 当然後者である。  

 0や-1という当てはまらない例を提示することで、自然数の概念の輪郭をハッキリ捉えることができる。

  以上の例を用いて、

「文章中の例示では、典型例だけでなく、当てはまらない例も導入すると、より分かりやすい」

 ということを示している。

 

 

 このような調子で、数式まじりの説明文を用いて、文章を書くのに必要な原則を教えてくれる。    

 

 

お勧めポイント    

 

f:id:watabera:20170623223014j:plain

 

 これだけではこの本の魅力が伝わらないと思う。

 そこで、お勧めポイントを挙げていく。

 以下の4つである。  

 

・読者の重要性を叩きこまれる

・具体的なルールを紹介してある

・単純に分かりやすい

・この本自体が壮大な一つの例である

 

 

読者の重要性を叩き込まれる

 

 この本では、終始一貫「読者のことを考える」をメインテーマとして主張している。

 これが、『数学文章作法 基礎編』の最大の特長、売りである。

 ではなぜ、読者を重視していることが、この本の長所となるのか。

 以下に説明する。

 我々は、読みやすい文章を書くために、この本を読む。

 では、読みやすい文章とは、「誰にとって」読みやすいのだろうか。

 当然、読者である。読みやすいかどうかを決める人は、読者だ。

 すなわち、「読みやすい文章を書く」という目的において、読者は最重要ポイントなのだ。

 よって、「読者のことを考える」ことは、読みやすい文章への最短ルートとなる。

 それを徹底的に主張しているから、この本は優れているのだ。

 

 

具体的なルールを説明してある

 

 この本では、読みやすい文章のための原則を、具体的に示してある。

 たとえば、二重否定を使わない、列挙には個数も併記する、など。

 よって、自分が文章を書くときに、そのまま流用できる。内容を自分で噛み砕く手間が必要ない。

 文章教則本のなかには、観念や意識的な教えが多いものがある。

 そういう本を一通り読んで分かったつもりになっても、いざ書くとなると、手助けにはならない場合も多い。

 しかし、この本では、具体的な指示のみが載っている。

 一度読めば、書きながらそのまま適用できる。

 また、推敲時のチェックリストとして用いることもできる。

 

 

単純に分かりやすい

 

 当たり前だが、この本自体が読みやすい。

 読者が理解という壁を越えやすいように、図、例、まとめを順序よく配置してある。ちょうど階段を作るような具合だ。

 そのため、読者が内容に置いていかれることはない。

 また、ページが視覚的に整理されている。そのため、内容が頭に入ってきやすい。

 難しすぎて本を放り投げることはないだろう。  

 

 

この本自体が壮大な例示である。

 

 また当たり前であるが、この本自体が「数学的文章作法」に基づいて書かれている。    

 よって、2回、3回と読んでいくと、「読みやすい文章のための技術」が、文章の随所に使われていることが分かる。

 語句、形式、順序と階層など、作者が自分で教えている通りに文章が整えられている。

 つまり、この本自体が一つの大きな例なのである。

 注意深く読むことで、我々はさらに理解を深めることができるのだ。

 

 

 以上の4つが、僕がこの本をおすすめするポイントだ。

 

 

まとめ

 

 日常で文章を書くことは多い。

 しかし、読みやすい文が書けなくて困っている。

 そんな人は、是非一度読んでみてほしい。

 また、どうやって数学を用いて文章術を教えるのだろうと、興味がある人にも読んでみてほしい。

 どちらだとしても、十分に満足することができるだろう。

 

数学文章作法 基礎編 (ちくま学芸文庫)
 

 

 最後に、僕はこの本を以下の動画で知った。

 観ると、数式まじりの文章作法に、より興味を持てると思う。

 別に、出てくるキャラクターを知らなくても平気なので、チェックしてみてほしい。

 

 

 

watabera.hatenablog.com

 

 


↓↓よければクリックお願いします↓↓
にほんブログ村
人気ブログランキング

ラピスラズリ、紹介

 

 山尾悠子さん(以下敬称略)のラピスラズリという小説を読んだ。今まで読んだことのない種類の小説で、なおかつ読み応えがあったので、紹介したいと思う。

 

ラピスラズリ (ちくま文庫)

ラピスラズリ (ちくま文庫)

 

 

 

 分かる(wikipediaの)範囲で作家を紹介したい。

 山尾悠子幻想文学作家で、硬派で緻密な表現で幻想世界を描いた、難解かつ詩的な作品が評価されている(らしい)。

 

 もともとSF畑でデビューし、結婚子育てで十数年休業したのちに、99年から創作活動を再開した。ラピスラズリは2003年の作品である。

 

 

 このラピスラズリのあらすじだが……、

 

冬のあいだ眠り続ける宿命を持つ〈冬眠者〉たち。一人眠りから目覚めてしまった少女が出会ったのは、「定め」を忘れたゴーストで――『閑日』

秋、冬眠者の冬の館の棟開きの日。人形を届けにきた荷運びと使用人、冬眠者、ゴーストが絡み合い、引き起こされた騒動の顛末――『竈の秋』(裏表紙より引用)

 

 個人的には「冬眠者」「目覚めてしまった少女」「人形を届けにきた荷運び」など幻想的なワードが散らばっていてワクワクする。

 

 

 しかし、正直これではどういう話なのか全然掴めない。一、二章については、つぎにまとめてみたので、読んでほしい。

 

 一章「銅板」は、”わたし”が深夜営業の画廊で三枚の腐食銅版画を眺めているシーンから始まる。

 

 銅版画には冬眠者のものがたりが描かれていると、“睡眠不足で赤い目をした画廊の店主”は言った。

 

 特権階級の冬眠者、使用人の反乱、人形、落ち葉枯れ葉。

 

 わたしと画廊の店主は、銅版画の世界について考察を交わしていく……。

 

 二章「閑日」、三章「竈の秋」は、一章の銅版画の世界での物語である。

 

 二章「閑日」。冬眠者の少女が年の終わりに目を覚ましてしまう。

 

 少女はいま、冬眠者が冬を越すための搭にいて、一切の食べ物もなく暖をとる手段もない。搭の出入り口は施錠され、少女は結果的に閉じ込められていた。

 

 危機的な状況になりながらも、はじめての〈冬〉を眺めていた少女は、窓のむこうに朧げに光るゴーストを見つける……。

 

 三章以降は、説明が非常に難しいのでまとめきれなかった……おにいさんゆるして。

 

 

 物語は五章構成である。

 それぞれ、「銅板」「閑日」「竈の秋」「トビアス」「青金石」というタイトルを与えられている。

 

 全ての章が、冬眠者(冬になると眠り、春まで起きずに過ごす。その間の食事は必要なく、成長も老化もしない)の存在する世界の幻想物語だ。

 

 

 特徴的なのは、五つの章は連続しておらず、物語は一章ずつ完結することだ。

 さらに舞台が一、二章ずつ転々と変わってしまう。

 

 冬眠者、人形などのワードが共通する、時代も場所も違うお話が展開される(例えば、先に書いた”わたし”と”冬眠者の少女”は別人である)。

 

 「銅板」と「トビアス」は、人口減少によって社会崩壊間近の近未来日本。

 「閑日」と「竈の秋」は、冬眠者が貴族である中世ヨーロッパのシャトー。

 「青金石」は、十三世紀のイタリア、聖フランチェスコという実在の人物の晩年。

 

 中世ヨーロッパの物語が終わったら近未来日本へ、近未来日本が終われば別の中世ヨーロッパへ、景色、時代、使われる名詞も突然様変わりする。

 

 基本的には一章ずつ独立して、表面上関係ない話が完結するので、章ごとの意味や全体としてどういう物語なのかは語られない。自分で理解、想像するしかないのだ。

 

 

 ここまででなんとなく察せられると思う。この本は非常に内容が難しい。

 先に書いたように、物語の全体像をつかみ取るのも一筋縄ではいかない。

 

 また、単純に読みにくい。硬派な文体での充実した情景描写は、逆手にとれば初心者お断りの雰囲気もなくはないのだ。

 

 三章には広く複雑なお屋敷が登場するが、どういう構造で、どこで事件が起こっているかは、初見ではわからなかった。

 

 ほかにも人、時、場所が章のなかですら転々とするので、どういうストーリーが進行しているか読み取りにくい。だれが、いつ、どこで、なにをしているか分からないのだ。

 

 一回読むだけで物語を理解するのは、なかなか難しい。自分は三回読んだが、正直まだこの物を理解しきっていない……。

 

 

 しかし、それを踏まえても、この本を読む価値あるものにしている点が二つある。

 

 一つは、この物語が超高級スルメ本である点である。

 

  一回読むだけでは小説の詳細も全体もぼんやりしている。

 

 しかし、繰り返し読むごとに徐々に霧が晴れて物語が見えてくる。読めば読むほどおもしろくなってくる。まるで噛めば噛むほど味が出るスルメのような本なのだ。

 

 二回目のほうが真に迫ってくる事件の情景。

 

 実は以前に示されていた、ある人物の行動の意図。

 

 明示はされないが、ある人と別の章の人は同一人物であること。独立した各章が、深い部分でどうつながっているのか。

 

 四章までとは雰囲気の違う五章の、ラピスラズリという物語全体における意味とは。

 

 こういうことだったのか!と、いわゆるアハ体験をすることができる。

 

 さらに、これを何度も楽しめる。なんたって難解だから、ちょっとやそっとでは秘密は明らかにならないのだ。

 

 

  次は、なんと言っても、幻想作家の情景描写の美しさである。

 内容はてんでわからなくとも、描かれた情景を読み取る”絵本”として価値があるくらいだ。

 

 一章は、深夜営業の画廊。

 二、三章は、中世のシャトー。

 四章は、滅んでいく日本。

 五章は、また別の中世の、聖人の庵。

 

 全く別の風景を、現実的な感覚に即した言葉で、描写していく。

 

 そういったリアリティある描写で構築された景色が、全体でみれば浮世離れした幻想世界になっているのだから、これはまさに職人芸というしかない。

 

 個人的には四章の情景が好きだ。

 

 四章は日本の話で、割と身近な言葉で描かれている。それでいて、章全体に斜陽感、先に待っている滅びやもう抜け出せない諦めが、漂っている。

 

 世界全体が夕暮れていく雰囲気がたまらない。

 

「その頃わたしは古い運河に潮のにおいが混ざる地方の廃市で暮らしていて」

「備蓄ぶんが残りわずかになっているガソリンを使用できる階級は限られていたのだということすら」

 

 やっぱり四章は神、はっきりわかんだね。

 

 裏表紙にも冬、秋や冬眠者と書いてあるように、季節の描写も多い。それらもまた目前に迫る物がある。

 

 冬の晴れ日の寒いけれど澄み切った空気と景色。

 逆に吹き抜ける雪と風で凍えてしまうような冬の夜。

 食物が豊富で皆が活気付いている秋と、その中に感じる冬の訪れ。

 

 自分自身の肌の感覚とともに、物語の季節を体験できる。

 

 また、一章、三章、四章は物語の要素に”滅び”が入っている。

 

 美しい細工をいくつも精密に組み合わせて、著者が作り上げた世界を、自らの手で崩壊させてしまう。

 

 幼い子が小さな感情の起伏で、目の前のものを薙ぎ払ってしまう、そんな衝動性がこの本から感じ取れる。

 

 緻密な表現のうらの衝動性にまた惹かれる。

 

 山尾悠子本人も「絵画から小説のイメージを得ることが割合多い」らしく、納得の描写力である。ぜひこの小説を手に取って”文を観賞”してほしい。

 

 

 なかなかとっつきにくい作品ではあるが、読み込んでいくとツボにはまってしまう本だったので、紹介させてもらった。

 興味が湧いた方、ぜひ美しい絵の謎を解いていくような読書を味わってほしい。

 

 

 あ、全然関係ないけど、絵の謎を解くといえば、楽園のカンヴァスもおもしろかった。

 

楽園のカンヴァス (新潮文庫)

楽園のカンヴァス (新潮文庫)

 

 


↓↓よければクリックお願いします↓↓
にほんブログ村
人気ブログランキング

病みツイ職人の夜は遅い

 

 Twitterには病みツイート、病みツイが溢れている。

 

 修正キツい自撮り姫が病みツイで囲いの豚どもから承認を徴収している。

 

 哀れな童貞どもはセックス欲しさにリプを送る。自分に都合よく動く豚に姫は満足する。(実際囲ってた姫とオフパコ案件とかあんの?)

 

 
 誰にも相手にされない男メンヘラもまた病みツイをしている。

 

 負った傷を話して癒そうにも相手がいないから、誰かが見てくれているかもしれないネットの海に自分の痛みを放流する。

 

 結局それは誰に拾われることもなく、深く沈んで消えてしまう。

 

 
 僕も病みツイ常習犯である。

 一つ息を吐くたびに、病みツイを生み出すことができる。

 

 毎回似たような内容を、それでいて違う文やネタを用いて作り出す。我ながら職人芸だと思う。

 

 
 しかし、病みツイ職人、僕はある日気づいてしまった。

 病みツイをTLに載せる行為が不特定多数に負担を押し付けている、要はうっとおしいと思われていることに。

 

 よく知らない奴が、生きづらさについていきなり深刻な口調で相談してきた。

 

 自分の悩みを聞いてほしいと言う。普通に考えてウザい。

 

 しかも度々似たような相談を繰り返してくる。

 

 知らねぇよ!となるに決まっている。知り合いだとしても何回も同じ話をされたら面倒だ。

 

 病みツイをTLに流した段階で、見た人たちに相談相手役を押し付けていたのだった。

 

 フォロワー宅の玄関で、「ちょっと僕の悩み聞いてくれない?」と病みツイの押し売りをしていた。なんてウザい野郎なんだ。

 

 

『友情は喜びを二倍にし、悲しみを半分にする』 

 いやちょっと待って。喜びをくれるのはええけど、なんで関係ないのに悲しみの半分受け取らなアカンの。

 

 病みツイを見せられた側の気分はこれである。

 

 さらに都合の悪いことに、ツイートした本人は悲しみを半分にできても、ツイートを見た人の全員が悲しみの半分を受け取るはめになるのだ。

 

『病みツイは、悲しみを半分+半分*フォロワー数にする』

 

 まぁ所詮はインターネットなので、知らない人を不快にしても、現実に影響はない。

 

 しかし、これをまぁリア垢でやり続けてたら、ウザがられてもしょうがないだろう。

 

 リア垢で病まないことを誓った。

 

 

 あと、

 なんでインターネットのメンヘラ系姫の自撮りって、

 いつも白い光り飛ばして、似たようなメイクで、しかも似たような顔ばっかりなの??

 なんかルールでもあるの??

 

 

watabera.hatenablog.com

 


↓↓よければクリックお願いします↓↓
にほんブログ村
人気ブログランキング

ざっき(殺伐!Twitter保育園!)

 

   サイゼでコーヒー飲み過ぎて、眠れなくなった。世間はもう月曜日になって二時間が経過したのにロスタイムが終わらない…。

 

  Twitterで何かを叩いたりイキってみたり、知り合いに異様にLINE送りたくなったりとか全部、結局は不安で不安でしょうがないから安心したい気持ちが色んな形をとっているだけ。かもしれないと今日思った。

 

  つまり、イキりオタクもイキりオタク叩きオタクも、みんな実は不安だから安心させて欲しいだけなのだ。自分は優れているとみんなに喧伝しているのと、それを拡散してこいつは俺より劣っていると安心しているという違いだけだ。どっちも心細いから誰か助けてくれと叫んでいるのだ。実はTwitterは不安に泣き叫ぶ幼児だらけの巨大な保育園だったのである……。

 

  ママがいなくて大泣きしている幼児たちが、優位性を確保したい為に言葉で殴り合う。幼児たちは常に叩ける相手を探している。誰を見下せば少しだけ安心するのだ。それらを止めにくる保母さんはいない。

  Twitter保育園は放任主義……!

  生き残りたければ強くなれ……!!


↓↓よければクリックお願いします↓↓
にほんブログ村
人気ブログランキング

雑記(そのうち考えるのをやめた)

 

 悩み事があるとよく考えてしまう。あーでもない、こーでもないと。暇な時間、授業中、休憩中、電車に乗っている時。考えていないと不安なのだ。考えないせいでとてつもないミスを犯してしまうのではないか。もっとしっかりと対応を練らなくてはいけないのではないか。うんうん……。いつか快刀乱麻の解決策を思い浮かぶと願って思考に耽る。時間がないと、布団に入ってから眠りにつくまでずっと考えている。あまり眠れない。

 

 失敗があるとよく考えてしまう。あーでもない、こーでもないと。どうしてあんな風にしてしまったのだろう、言ってしまったのだろう。次からは同じことを繰り返したくない。何が必要なんだろう。本当に大丈夫なんだろうか。またミスを犯してしまわないだろうか。挙動不審にならないだろうか。グズグズ考えても不安はあまり薄れない。頭はグルグル回っている。やがて回り疲れて寝る。大した解決策もなく朝が来る。学校だ。

 

 なかば強迫のように、僕は考える、悩むを日常に取り入れてきた。一つのことを延々と考えた。色んなことを同時に悩んで、思考が行ったり来たりした。ぼーっとしているように見えても、僕は必死に思考に潜り込んでいた。それで、生活が上手く行くように思えた。また、精神の安定も手に入れられると思った。

 

 果たして本当だったか。考えて結論が出ない場合も多い。もしくは差し当たりの案で現実に対処する。悩んで悩んで黄金の解答を引き当てた記憶は実のところない。時間を費やした思考の数々が生活を豊かにしていたかは微妙なところだ。思考に持っていかれて、本当にこなさないといけないdutyを疎かにしたことも多々ある。

 

 思考することによって、精神の落ち着かせられたか。答えはNOだ。思考中には、課題や失敗、将来の不透明さに向き合うことになる。辛い事実、記憶に晒される。心は思い切り揺さぶられるのだ。当然、安息なんてある訳ない。それどころか寧ろ不安を強化されたこともある。強迫思考は自傷行為だったのだ。あ ほ く さ。

 

 僕には現在悩ましい課題がいくつかある。なんとか乗り越えたい。不安で不安でしょうがない。来る日が怖い。どうやったら上手く振舞えるだろう。失敗しないで済むだろう。そんな言葉ばかりが、頭の中にいっぱいに飛び回っている。が、今日は現実が少し忙しかったので、あまり考え込む暇がなかった。アワアワと過ごしていると時間は過ぎていった。そして気づいた。忘れていれば別に不安にならない。考えなければ、針むしろに登るような体験はしなくていい。不安に曝されなくてもいい。僕が悩もうが悩ままいが、時間は勝手に進んでしまう。課題は、放っておいても何らかの結末を勝手に迎えるのだ。考え込んでも大したメリットはないのなら無視しておけばいいのだ。無視。何かに到達した気がした。

 

 勿論、考えることは無駄ではない。難題に無策で臨むよりはアイデアがあったほうがいい。失敗をきちんと反芻し自らに取り込むのは大いに意味がある。問題は、それが考えて意味のある課題なのかどうかである。思考しても自分に結論が出せないような状況なら無駄に深々と考えこんで傷つく意味はない。頭の中を整理したいから思考したいにしても、その思考で更にゴチャゴチャになるだけだ。整理したいなら文に落とした方がいかに効率的だろうか。

 

 考えたって悩んだってしょうがないのだ。無視、無視!!!!

 

 と言ったそばから、寧ろこれを書いたせいか。胸で不安が起きあがって、自分の今後について考え直せ、と騒いでいる。あー、しんどい。

 


↓↓よければクリックお願いします↓↓
にほんブログ村
人気ブログランキング

雑記(コンタクトの度数を変えようと思ったこと)

 

 僕は医療系の学生なので、病院で実習している。数週間ごとに内科や外科、精神科…etc、様々な科を回っていく。俗に言うポリクリクリクラというやつである。ポリクリでは、学生に科ごと指導医がつくことが多い。GW明けの初日、そして科の初日、僕は新しい指導医の先生に会いに行った。パソコンでいそいそと仕事していた指導医は、黒髪を黒いシュシュでまとめた女医さんだった。バリバリの体育会系マンじゃなくて良かったと安堵。その時は見覚えのある指導医の顔をどこで見たのか思い出せなかった。挨拶もそのままに、指導医が採血に行くのについてまわることになった。学生なので病室の患者さんに挨拶して待機している。ぼーっとゴム手袋をつける指導医を見ていた。誰か……誰かに似ている。多分テレビで見たような……。

 

 藤田ニコルだ。藤田ニコルが採血している。アルコール過敏性を確認し、消毒し、大腿から採血している。僕は至って真面目な顔をしたまま、目の前の藤田ニコル先生(仮)の仕事ぶりを見つめていた。たれ目、前に膨らんだ頬、うわ横顔がすごい似ている……。もう完全に目の前の女医さんがカリスマギャルにしか見えなくなっていた。圧迫止血するカリスマギャル、猫背で挨拶して病室を去るカリスマギャル。流石モデル、白衣の着こなしすらオシャレだ。詰所に戻っていくニコル先生を追いながらそう思った。別に藤田ニコルのファンでもないが、心なしか気分が明るくなっていた。

 

 あとで藤田ニコルを画像検索した。正直、あんまり似ていなかった。 

 

 


↓↓よければクリックお願いします↓↓
にほんブログ村
人気ブログランキング