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Watabera Miscellaneous Notes

人生やめてません

【夜更かし】午後28時、スマホ弄って朝になる【脱出】

 

 『夜更かししたのに結局なにもせず、ただ寝不足になっただけ』現象について考えたい。

 

 僕はこの現象(を起こす自分)のせいで、生活リズムが崩壊するだけ崩壊して、得たものもなく、肉体的にも精神的にも疲労した1日を送る、そんな羽目によくなっている。

 

 なんとかその機序を解明して、事前に予防してやろうではないか。

 

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『無為な夜更かし』なぜ起こるのか

 

 今日は時間もあって、するべき用事もあったのに、ずっとダラダラしてしまった。ベッドでスマホばっか弄ってないで、用事を済ませておけば、もっと有意義な1日になったはずなのに……。

 

 そう思う日が、あなたにはあるだろうか?

 

 僕はよくある。いや、ありすぎる。

 

 用事があると分かっているのに、どうしてもやる気が起こらない。頭を使わなくていい娯楽ばかりに時間を割いてしまう。そして、いつの間にか窓の外は真っ暗になっている。

 

 僕の場合、こういう日こそ、『無為な夜更かし』現象は発生する。

  

 そんな日の夜25時には、1日を無為に過ごした後悔と、なんとか有意義な1日にしようという焦りで、頭がごちゃごちゃになる。

 

 後悔による気分の落ち込みは、更なるやる気の低下を引き起こす。頭がぼんやりして、身体がぐだーっとなって、なにもしたくなくなる。特に自分から腰をあげて取り組まないといけない用事をこなす気にはなれない。せいぜいネットサーフィンが関の山である。

 

 一方で焦りは寝るまでになんとか活動しなければいけない、と心臓をたきつけて自分をむやみに不安にさせる。無為に過ごして終わる今日の1日を、あとで後悔するのが怖い。だから、どうしても生産性のあることをさせようと危機感ばかりを煽るのだ。

 

 まったく別のベクトルに働く2つの気持ちによって、僕の身体は混乱してしまう。

 

 タスクをこなす必要があり、寝る気にはならない。けれど、能動的になにかやり遂げる気分でもない。

 

 結果、28時までダラダラとニコニコ動画鑑賞して終わるなんて事態を引き起こす。挙句の果てには、次の日に寝坊し惰眠を貪りつづけ、更なる無為な1日を生んでしまう。

 

 つまり、土台として『なにもしなかった1日』が存在し、そこから『後悔によるやる気や思考力の低下』『焦りによる不安感の増長』が発生する。そしてその2つの感情が、”うまく嚙み合って”、『無為な夜更かし』が起こる。

 

 

予防法2つ

 

 となると、『無為な夜更かし』を予防するには、2つ方法があることがわかる。

 

 1つは、土台である『なにもしなかった1日』を発生させない方法。

 

 もう1つは、『後悔』と『焦り』を発生させない方法。

 

『なにもしなかった1日』をなくす

 

 『なにもしなかった1日』が起こる過程はこうだ。

 

 やるべきことがあるけれど、その事実に目を向けるのが怖い。だから、手軽に没入できる娯楽や睡眠に興じることで一時的に義務から逃れようとする。そして、そのまま時間が経っている。

 

 面倒から逃げた結果、『なにもしなかった1日』は生まれる。

 

 逆に言えば、手軽な娯楽に逃げにくくし、かつ面倒と向き合わないといけない状況を作るさすれば、『なにもしなかった1日』は生まれないはずだ。

 

 そのためには、パソコンのお気に入り登録から娯楽サイトを消すソシャゲやTwitterのアイコンをスマホですぐアクセスできる位置に置かないto doリストを作り用事ごとに自分の中で締め切りを設定する、などの手段が考えられるだろう。

 

 これで『なにもしなかった1日』は絶対起こらない、とは言えないが、頻度は下がるのではないだろうか。

 

『後悔』と『焦り』を消す

 

 つぎは『後悔』と『焦り』を発生させない方法だ。

 

 起こってしまった『なにもしなかった1日』を受け止めて、未来に向けてもっとも建設的な手段を取るのだ。

 

 まず、『後悔』はしてもしょうがない。後悔しても用事が勝手に進む訳ではないそして、先に書いたように、後悔することで余計に無為な時間を生み出す可能性がある。後悔したくなければ、後悔はしないほうがよい。

 

 つぎに、『焦り』に関して。この焦りは、「このまま1日を終えると後悔するだろう」という恐れからきている。まずは、後悔は無意味だから後悔を恐れて焦らなくてもよい自分に言い聞かす。さらに、現在するべき用事について整理する。どうしても今日中にやらなくちゃいけないのなら、睡眠時間を削る価値がある。そうでなくて、あとまわしにしても他のタスクに支障が出ないと判断した場合はさっさと寝る。

 

 合理的判断によって、『後悔』と『焦り』を封じ込めるのだ。

 

 

まとめ

 

 『無為な夜更かし』は、1日なにもしなかったことに後悔と焦りを抱くと起こってしまう。

 

 そこで、面倒に向き合いやすくする工夫や、娯楽に逃げにくくする工夫をすることで、『なにもしなかった1日』の発生を防ぐことができる。それが、そのまま『無為な夜更かし』の予防になる。

 

 また、この場合の『後悔』や『焦り』は、合理的判断を下せば、自分にまったく得のない感情である。それを自分に理解させることで、『後悔』と『焦り』を抱かないようにする。その結果、『無為な夜更かし』をせずに済む。

 

 以上2つの方法をもちいることで、『無為な夜更かし』で体力気力ともに使い果たすこともなくなるのではないだろうか。

 

 

 

 いやそんなに簡単にいくかなぁ……(今日1日なにもせずにスマホ弄りながら)

 

 

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Fishmans あの娘が眠ってる그 소녀가 자고 있어

【大学受験】苦手科目を克服するたったひとつの冴えたやり方【勉強法】

 

  少しばかりお下品な記事です。苦手な方はブラウザ☆BACK!

 今日は、僕が大学受験のときにやっていた勉強法を紹介したいと思う。


 この勉強法の何処が素晴らしいって、苦手な科目であっても、たちまちにやる気をゲットできる点である。

 そんな夢の勉強法を、僕は受験期に開発してしまったのである。


 話は×年前に遡る……

 

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夢の勉強法誕生秘話

 

理系なのにアレができない

 
  高校3年生の僕は困っていた。ある科目の点数が全然足りていないのに、やる気がまったく出ないのである。

 その科目とは、数学である。

 僕は理系に進んでいた。本当は数3なんてまっぴらゴメンだった。しかし、受験の科目の都合で仕方なかったのだ。

 自分の秘められた数学的才能に期待して、進路希望で理系にマルをした。

 しかし、いつまで経っても、眠っているはずの才能が目を覚ます兆しはなかった。

 それどころか、微分やら積分やらで頭の中は混乱するばかり。いつも模試の足を引っ張るのであった。

 数学は、まさに苦手科目の最たるモノだった。

 

 

だって面倒じゃん

 
 その日も、僕は数3の問題集とノートに向き合い、自室の机のまえで硬直していた。

 さっきから、いやもっと長い時間だ。待てども待てども、やる気が湧いてこないのだ。やる気の泉は枯れてしまったのか。

 そもそも、僕にとって数学は面倒のかたまりだった。

 一問解くのに、まずはウンウン唸って解法を考えなくてはいけない。解法を導き出しても、答えに辿りつくまでには、大量の面倒な計算が待っている。そして、やっとの思いで一問解き終わると、解くべき問題がまだまだ残っていることに気づくのだ。めのまえがまっしろになる!!

 今思い出すだけでも恐ろしい。よくあんな試練を乗り越えられたものである。

 ともかく、勉強する必要があるのに、数学に対するモチベーションが全然上がらなかった。

 

 

作戦を練る

 
 これではヤバい、僕は思った。なんとかしてやる気を出さねば、と。

 とは言っても、嫌なモノは嫌面倒なモノは面倒、である。

 Twitterやネットサーフィンなら無限にできる。しかし、数学にはそんなこと起こるはずもなかった。

 そこで、ネットと勉強を同時並行することで、やる気を数学に回せばよいのではないか、と考えてみた。

 (今思うと意味わからん)

 しかし、そう上手くはいかなかった。

 ネットは能動的に関わらないといけないコンテンツだ。ネットと数学、能動的なタスクを同時に2つはこなせない。

 

 

そして時は来た

 

 この作戦は、失敗したかに思えた。

 ……ん、能動的だからダメ?

 じゃあ、受動的なコンテンツで、なおかつやる気が出るモノならよいのでは?

 つまり……

 AV観ながら勉強したらいんじゃね?

 『AV勉強法』が誕生日した瞬間である。

 

 

なぜAVなのか

 

  AVは非常に気分をアゲてくれるアイテムであり、さらに放っておいても勝手に進行する受動的コンテンツである。

 「やる気」「受動性」2つのポイントを満たしている。

 つまり、AVを流しながら勉強をしたら、そのやる気を数学に持ち込めるのではないだろうか?

 早速、お気に入りのAVdvdを再生しながら、ディスプレイの前で数学に取り組んでみた。

 すると、捗る捗るめちゃくちゃ捗る。

 まずお気に入りのAVだからどんな展開か分かっているよって、いちいち画面に意識を奪われなくてもよい。音声が聴こえて、たまにエロい絵面が視界に入れば、それで十分だ。

 脳に入る情報を、数学とAVだけに集中させれば、逆に集中できた。

 次にAVによるワクワク感が、数学を面倒と思う気持ちを打ち消してくれる。

 問題の難易度は変化しなくても、解き始めるための抵抗感がかなり薄れるひとつの問題を始めるにしろ、問題中の長い計算を始めるにしろ、それに対して二の足を踏もうとする感情を消してくれるのだ。

 それだけでも、数学を解くのがかなり楽になった。

 さらに、普通AVを観るときには、全編通して観ない。「使える部分」をザッピング再生することが多い(たぶん、多くの男性に共通して)。

 しかし、AV勉強法の場合は流しっぱなしになるので、普段とは違った感触で満喫できる。勉強だけでなくAV観賞面にもメリットがあった。

 

 

素晴らしきその効果

 

 というわけで、その日僕はAVを流しながら数学に取り組んだ。いつもよりも明らかに、解くスピードが上がっていた

 さらに、驚くべきことに、正答率まで上がっていたのである多分、無駄なことに気を取られずに集中できたために、ケアレスミスが減ったのだろう。

 もう、AV様々である。

 

 

思い出とまとめ

 

 かくして僕は、あまりにもやる気が出ないとき、このAV勉強法で数学に取り組んだ。

 受験期といえども、どうしても勉強する気分にならないときがあるそんなときにAV勉強法が僕の背中を押してくれた。

 AV勉強法は、長くて苦しい受験期で、僕の心の杖だったのである……。

 あのAVたちには感謝してもしきれない。


  今、苦手科目に悩んでいる受験生がいたら、ぜひAV勉強法に挑戦してみてほしい。

 

注意点

 
多分暗記系の科目には向いてない(だから医学の勉強には……)

・少なくとも解き終わるまでは自分の欲望に勝ち続ける必要がある

 

 

追記とお礼

 

 大学に入ってこの話をしたら、同じことをやっていた奴がいた。案外、知る人ぞ知る勉強法なのかもしれない。

 汚い記事なのに最後まで読んでくれて、本当にありがとうございました。またよろしくお願いします。

 

 

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【医学部】童貞医学生がOSCEに落ちるワケ【試験】


 ランキングに医学生ブログで登録しているので、たまには医学生っぽいことも書こうと思う。


 女性経験の少ない医学生は、実習中の診察業務に向いていないのではないか、と最近思った。

 

 

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病院実習と身体診察


 医療関係以外の人もいるはずなので、まずは医学科の実習と診察について説明したい。

 医学生は、高学年になり病院実習が始まると、患者さんの診察を自分ですることになる。

 例えば、問診で話を聞いたり視診で肌の様子を見たり聴診で心臓や肺の音を聴いたり触診でリンパ節の腫れ具合を確認したりする。

 もちろん、診察は本職の医者も行なう。そして、診断や治療法の決定、施行は、医者によって行われる。

 学生は、診療方針の決定とは別にして、勉強のために、診察の練習をする。将来1人でできるように、患者のベッドに向かい、患者と1対1で診察するのである。

 ではなぜ、女性経験の少ない医学生はその診察に向いてないのだろうか。

 

 

データに個人性は不要だが、データのもとは個人


 診察では、患者さんの身体から色々な情報を取ってこないといけない。心雑音なしとか、橈骨動脈触知良好とか。その情報をもとにして診断を行うので、データは他の要素によって影響を受けてはいけない。

 つまり、診察では患者さんの身体の状態を、データにして取り出している。そして、そのデータというものは、人間性とはまったく別の情報である。脚に浮腫があるとか、目の結膜が赤いとか、酸素飽和度が低いとかは、その人の人となりと隔絶した事実である。

 

 すると、どうしても、患者さんの身体の一部を、データを取り出すためのモノとして扱ってしまいがちである。

 

 我々が必要なのは、身体の状態という部分の純粋なデータである。そして、そのデータを提示しているのは、患者さんの身体である。純粋なデータの収集にこだわるあまり、一人の人間である患者さんの身体を、データを提示するモノとして錯覚してしまう可能性がある。

 

 患者さんの人格を考慮せず、データだけを取る診察をしたらどうなるだろうか。それは例えば、患者の不安感を受け入れず必要事項だけを言わせる問診であり、無言で不気味に視診することであり聴診器を冷たいまま肌に押しつけることであり身体の扱いが粗暴な触診である。そのような診察は、患者さんを不安もしくは不快にさせることだろう。

 

 診察での医療者は、必要なデータを確実に取りながら、同時に相手の人間性を最大限に尊重することが求められているのである。

 

 つまり、色々な所見を取りながらも、患者さんの身体や精神を丁寧に扱うことが必要なのである。

 

 さて、それが女性経験の少ない男に可能なのだろうか。

 

診察と恋愛の共通点

 

 恋愛(果ては性行為)では、相手の尊重や相手の喜びを前提にして、目的や行為を達成しなくてはいけない(はず、多分)。女性経験の少ない男の大多数は、それができないから女性経験が少ないのだろう。偏見だが、そういう男は相手の尊重よりも自分の目的達成しか頭にない。だから、モテないのである。

 

 診察と恋愛は、〈相手の尊重〉と〈自分の目的〉の2点を両方達成しなければならない、という点で同じである。

 

 恋愛において自分ばかりを優先してしまうような非モテ医学生が、慣れない患者診察で相手のことを尊重しながら所見がとれるだろうか。いや、きっとデータをとることばかりで頭がいっぱいで、患者への気遣いはろくにできないに違いない。

 

 女性経験の少ない医学生の大半は相手への気遣いが足りてないと思われる。そして、臨床実習の診察では、相手を気遣いつつ自分の業務をこなすことが必要なのである。なので、女性経験の少ない医学生は診察業務に向いていない。
 

 

診察されるのも人間

 

 なぜ、突然こんなことを思いついたかというと、原因が2つある。

 

 まずひとつ、なにより僕自身が、データを取るのに必死で、診察時に患者さんの身体や精神を気遣えてなかったからだ。さすがに最近はそうでもないが、臨床実習が始まった直後の患者診察では、緊張してデータを取ることしか頭になかった。

 

 他人の診察を見ているうちに、自分の診察には「診察される側の人間」が存在していないことに気づいた。そうやって、自分は思いやりや気遣いのない診察をしていたのだ、と思い知った。

 

 最近では、上手くいっているかは分からないが、下手なりに患者さんが不快にならないように診察しようとしている。

 

 

OSCEで女性経験がバレる

 

 そしてもうひとつは、あるエピソードが原因になっている。

 

 医学生が高学年で受ける試験にOSCE(オスキー)というものがある。これは、座学の試験ではなく、実技試験である。病院実習を行うのに足りるだけの、診察や処置技能があるかを評価する試験なのである。

 

 診察の実技試験となると、このOSCEには当然模擬患者役が要る。ある日僕は、上の学年のOSCEの模擬患者役として、試験会場で待機していた。僕の役割は、身体診察の患者役で、受験生から聴診や触診を受けることであった。

 

 大体10人ぐらいの先輩が、僕を模擬患者にして身体診察を行った。お腹に聴診器を当てたり、お腹を押したりした訳である。

 

 10人もいれば、診察の仕方もまさに十人十色である。何人かの人は非常に患者役の身体の扱いが粗暴だった。まるで所見を出すためのモノのような扱いだった。そして、そういう人たちは、概してモテなそうだった(見た感じね)

 

 先輩に対してこんなこと思うのは失礼である。しかし、触診の圧が強すぎたり体位変換を無理矢理にしてくる人たちは、往々にして、童貞ぽかった。

 

 

まとめ

 

 という訳で、女性経験の少ない医学生は診察の仕方が下手だと思う。ちょうどセックスのときに、相手お構いなしでAVの真似ごとするみたいな感じで。

 

 OSCE落ちたら病院実習に出られないので、OSCEを控えた童貞医学生は風俗行ったほうがいいかもしれない(嘘です、別にOSCEなんて普通にしてれば受かります)

 

 

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GOING STEADY PV/童貞ソーヤング

 

【会話苦手部】コミュ障を克服するための3つのポイント【メンヘラ.JP】

 

 

 

お話苦手部 

 

 おしゃべりが苦手だ!!

 

 なに話したらいいか分からないし、相手から話題を引き出すこともできない。お互い喋ることがなくて沈黙になったら超気まずくて、パニックになってしまう。

 

 逆に、上手くできた会話も、よくよく考えると、自分が一方的に好きなことを話して相手がひたすら聞いてくれていただけだったり。余計なことを言って、誰かを傷つけていたりする。

 

 とにかく、僕はコミュニケーションというものにコンプレックスがある。人生の色々な場面でコミュニケーションに失敗してきたため、苦手意識をもっているのだ。あのとき、上手く喋ったり振舞ったりできていたらなぁ、なんてよく思う。

 

 しかし、周りを見渡してみると、自分と他人では会話が上手くいかなくても、他人同士ではスムーズな会話が行われている。彼らは非常に楽しそうで、その光景を見て歯噛みしたりする。自分をあんな風に他人と触れ合えたらなぁ、と思う。

 

 彼らや彼女らにできて、なぜ僕にはできないんだだろう?

 

 つまり、そこにはなにか差があるはずである。コミュニケーションが上手な人とそうではない人では、なにか明確なポイントにおいて差があるはずだ。会話においてそのポイントが不十分だからこそ、僕は上手くコミュニケーションできないのだ。

 

 会話上手にできて僕にはできない部分を、明確にして改善すれば、会話への苦手意識が消えるのではないか。

 

 そう考えた僕は、改めて自分や他人の日常会話を考察してみた。その結果、会話における大事な3つのコツを見つけたのである。

 

 

 

 っていう記事を書いて、メンヘラ.JPに載せていただきました!!

 

menhera.jp

 

 

 

メンヘラ.JPって?

 

 まず、メンヘラ.JPとはなんぞや?という方もいると思うので、説明したい。

 

 メンヘラ.JPとは、わかり手さん(@ganbare_zinrui)というライターの方が運営されている、生きづらさを抱える人たちが悩みや知識を共有するサイトである。

 

メンヘラ.jpとは、メンタルヘルスに問題を抱える当事者(=メンヘラ)たちがより良い生活を歩むための「つながり作り」を目的としたメディアです。 

 

 メンヘラ.JPという名前からマイナスのイメージを持たれる方もいるだろうが、決してその種の傷を舐めあうだけのサイトではない。

 

 メンヘラ.JPには、ライターによる記事だけでなく、読者による投稿が掲載されている。他人の経験談を聞くことで、自分の状況を再確認して、参考にする。他人が生きてきたなかで得た知識やライフハックを教えてもらい、自分の役に立てる。そういう、「前を向く」ためのサイトなのである。

 

メンヘラ.jpでは「読者投稿」という枠組みで、メンタルヘルスに問題を抱える様々な当事者たちの闘病記や生活記を募集・掲載しています。
彼らの体験談を読むことで『仲間』の存在を知ることができる。
そして体験や、感情や、知識や、想いを共有することができる。 

 

メンヘラ.jpでは「ライフハック」という枠組みで、当事者目線で役に立つ知識を日々紹介しています。

福祉制度について、コミュニケーションのコツについて、考え方や思考法について、恋愛について、独り暮らしの方法について…

メンヘラにとっての生きるハードルは、「普通のひと」たちとはまた少し違います。メンヘラ.jpでは「メンタルヘルスに問題を抱えつつも楽しく生きる」というテーマに沿った、当事者ならではのライフハックをご紹介していきます。

 

 生きづらさを自覚している人は、ぜひ一度訪れて気になった記事を読んでみてほしい。あなたと同じ悩みを抱えている人が他にもいるかもしれない。

 

メンヘラ.jp – メンヘラ.jpはメンヘラの暇つぶしのためのWEBメディアです。死にたい気持ちになった時などに、用法用量を守って正しくお使いください。

 

 という訳で、僕はメンヘラ.JPに、「自分の考えるコミュニケーションのコツ」を投稿した次第である。

 

 

どんなコツ?

 

 上に貼った記事を読んでもらえれば分かるけれど、大雑把に説明すると以下のようになる。

 

 相手の気持ちを重視するという前提のうえで、

 発言する前に一度考え直す、 相手の言動に注意する、 自分の言動を客観視する、 この三点を意識して会話を行う。

 

 これが、僕の考える会話のコツである。三点のなかに、さらに具体的なコツを用意している。例として、ひとつ説明したい。

 

自分語りフィルター

 

 聞かれてもいないのに自分のことを自慢げに話す、ことを「自分語り」というのは、ミームとして多くのネットの住民が知るところだろう。

 

 「自分語りフィルター」とは、自分語りしようとしていないかを話始めるまえに確認しよう、というコツである。

 

 いやそんなの当たり前じゃん?と思う方もいるかもしれない。しかし、それは本当に実行できているだろうか。

 

 自分語りは、聞かされている方には不快でしかない。そんな相手にとって退屈でしかない自分の話を、会話のなかで一方的に押しつけていない、と言い切れるだろうか。僕は案外難しいと思う。自分語りは無意識のうちにやってしまうものだ。

 

 だから、喋り始めるまえに相手にとって自分の話は聞く価値があるか考えよう、というのがこのコツの要点である。

 

 

まとめ

 

 という風に、僕が日常会話を振り返って考えた、「相手の気持ちを重視してスムーズ会話するコツ」をまとめた記事をメンヘラ.JPに載せていただいた。

 

 コミュニケーションの教則本をいくつか読んだことがある。そのなかには、「相手を気遣う」という会話の原則を無視して、小手先だけの会話集を載せているものもあった。僕の記事は、もちろん具体的な会話例も載せているが、コミュニケーションの本質に則って書いてあるので、小手先や付け焼刃のようなものではない。

 

 メンヘラだろうがそうでなかろうが、目を通す価値はあると思う。ぜひ一度読んでみてほしい。

 

menhera.jp

 

 以前に別の記事も掲載していただいたので、それもよければ。

 

menhera.jp

 

 

追記

 

 教則本ではないが、最近読んだ本のなかでコミュニケーションの本質について書いている本があったので軽く紹介したい。また記事にもしようと思う。

 

  

 

 このふたつだ。著者の高石宏輔さんは、昔ナンパをしていた人である。『声をかける』はその時代に関わった女性たちとの私小説、『あなたは、なぜ、つながれないのか』はその経験をもとにコミュニケーションについて考えた本である。

 

 ナンパといっても、恋愛教則本のような相手の心理を利用する方法を書いた本ではない。

 

 『声をかける』では、主人公がナンパで女性と関わっていくなかで、異次元の存在の見えてきた彼女たちが本当は自分と同じ弱さをもつ人間だと気づく。そうやって、彼女たちの心に触れていくなかで、自分自身とも対峙し、他人と関わって生きていくということを考えいく。

 

 『あなたは、なぜ、つながれないのか』は、高石さんの経験や考えをもとに、コミュニケーションについて掘り下げ、それを行うための具体的な方法や訓練が示してある。

 

 自分や他人の心をおざなりにせずに向き合っている点で、そこらの教則本よりよっぽどコミュニケーションの参考になる。よかったら読んでみると面白いと思う。

 

 

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SUPER BUTTER DOG - コミュニケーション・ブレイクダンス

One thing I miss at the center of my heart

 

 朝、玄関を開けて、ハッとした。

 夏が終わっていた。

 夏の体温は完全に消えて、空気は冷めきっていた。

 自転車で大学に向かうと嗅ぎなれないにおいがした。いや、1年ぶりのにおいだった。

 夏の死骸のにおいだ。夏が死んで秋が来た、そのにおいだ。

 今年の夏は、いつの間にか来て、いつの間にか帰っていった。

 全然気づいてあげられなかった。

 夏を大切に見送れなかったので、悲しくなった。いつか家への帰り道も分からなくなってしまうのだろうか。

 

 


 夏だと思ってシャツとパンツで寝たら、思いっきり風邪ひきました。

 

 

 


6 The Autumn Song

 

 

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【二次創作】歌詞SS「羽虫と自販機」【KANA-BOON】

www.uta-net.com

 

「世界中に私たち二人だけだったらさ、いいと思わない?」


「え?」

 君の発言は、あまりにも突拍子もなかった。だから、僕は思わず聞き返した。

「だから……世界に私たちだけしかいなかったらいいのに、って」

「……」

 僕は黙っていた。タバコの燃え殻がベランダに落ちた。

「なんとか言ってよ。恥ずかしいじゃん」

「無理だよ」

「え?」
 
 今度は、君が聞き返した。

「世界に二人しかいなかったら生活していけないって。死んじゃうよ」

 僕は笑った。"笑う"ように笑った。

 

 タバコの火を手すりで消して、僕は室内に戻った。

「……」

 タバコを吸ってる訳でもないのに、君はなかなか部屋に戻ってこなかった。

 こんな風に、付き合ってる間、僕はいつだって素直になれなかった。

 




 ある日、僕はTSUTAYAで借りてきた映画を観ていた。

 画面のなかで、サミュエル・L・ジャクソンカート・ラッセルが馬車に乗り合わせていた。

 君が僕の顔を覗き込んできた。

「ねぇ、今度の週末って、バイトもライブも入ってない?」

「…………」

 カート・ラッセルが連れの女の顔を殴った。

「このまえ言ってたドーナツ屋さん、行きたいんだけど」

 

 サミュエル・L・ジャクソンがニヤついた。

「…………」

「ちょっと、ねぇ、聞いてるの?」

 君が僕の肩を掴んで揺らした。あぁ、画面が見づらいじゃないか。

「うるさい」

「え……」


「うるさいって言ってんだろ!!こっちは映画観てんだよ!!話しかけてくんな!!そんくらい分かれよ!!」

 君の瞳孔が一瞬縮んだ。そして、また一瞬で大きく広がった。

「……なによ、そんなに言わなくていいでしょ!!別にリモコンで一時停止だってできるのに!!どれだけ、私のこと無視するの!?」

「俺の金で俺が借りた映画を観てんだよ!!なんで邪魔されなきゃいけないんだ!!」

「なにそれ、信じられない!!有くんがそんな思いやりのない人だなんて、思わなかった!!もう知らない!!」

 君はテーブルのうえのリモコンを掴むと、僕めがけて投げつけてきた。超近距離で放たれたソレは、僕の右後頭部に激突した。普通に、すごく痛かった。

 そして、君はスラッシャーのリュックを掴んで部屋から出て行った。君があまりにも床を鳴らすから、あとで苦情くるかもしれない。なんて、僕はぼんやりと考えていた。

 いつまにか映画のシーンは変わっていて、カート・ラッセルが馬車から雪原に投げ出されていた。

 



 6畳の部屋で、君と僕は別れ話をしていた。

 君と別れるなんて想像もつかなかった。しかし同時に、いつかこの日が来るような気もしていた。

 あの頃、君はよく取り乱してたけど、この日はやけに冷静だった。だから、僕と淡々と君と会話した。

 あっという間に別れ話はまとまった。君は、ほっとしていたように見えた。僕は、あまりの呆気なさにショックを覚えた。というよりも、ショックを受けている自分を発見した。

 君が呟いた。

「喧嘩ばっかりだったね」

 喧嘩。その頃の僕は、もう、なにが喧嘩でなにが会話なのかも、分かっていなかった。日常のすべてが喧嘩だったような気もするし、逆にしばらく喧嘩らしい喧嘩をしていないような気もした。

「そうかな。最後に喧嘩したのっていつだった?」

「…………今」

 あぁ、そこまで僕らはすれ違っていたんだ。

 彼女は桃色のキャリーバッグに、この部屋で彼女を象徴するもの全てを入れて、永遠に出ていった。

 テーブルに置かれた合鍵を見つめていて気づいた。

 

 僕らは世界中に二人だけではなかったのだ。

 



 また君のことを考えていた。いつまで引きずるのか、自分でも嫌になる。

 君との思い出脳内テープをループさせて、正しい選択肢探しに耽ってしまう。今更なんの意味もないのに。あの時は正しい選択肢なんて考えもしなかったのに。

 いつの間にか、僕の世界を構成する骨組みが君の存在で出来ていた。僕の生活のすべてに、君は薄くも濃くも存在していた。別れて年月が経った今でもそれは変わらなかったし、変えられなかった。

 君のことは、もう忘れてしまいたい。過去のかけらにしがみついても意味がない、と分かっている。

 だけど、もし君のことを忘れたら、もう歌を歌えなくなる気がする

 

 君を忘れた僕の口から出たそれは、まるで歌のように聴こえる。けれど、本質的には全く歌ではなくて、僕という存在がまったく介入しない波でしかない。

 君を忘れたら、もう歌を歌えなくなる気がする。そんな気がする。

 だから、今日も君を歌おうと思う。

 

 君の実在が生活になくたって構わない。僕は今日も明日も、いつまでも、君を歌うのだ。

 

 微笑まない自販機の光に群がる羽虫のように、夜の帳が降りた生活のなかで僕は歌うのだ。

 

 

 

 

 

 今更言うのアレだけど、世界中に二人だけならばって、僕も思ってたんだよ。 
 
 
 

 

羽虫と自販機

羽虫と自販機

 

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【ビョーク】映画 ダンサー・イン・ザ・ダーク 感想【ミュージカル】

 

 ダンサー・イン・ザ・ダークを観ました。

 


映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」日本版劇場予告

 

 

 

 

3大鬱エンド映画のひとつ

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 『ミスト』や『セブン』と並んで、鬱エンド映画として有名です。

 

 まぁ評判に違わぬ悲しい終幕で、恥ずかしながら涙を流して嗚咽してしまいました。

 

 けれど、ただ悲しいだけではなくて、悲劇のなかにも救いがあります。悲しみも救いもひっくるめてとてもよかったです。

 

 マツコ・デラックスの人生を変えた映画のひとつらしく、ラジオで紹介しています。

 


マツコデラックスと伊集院光のおすすめ映画

 

 

主演はアイスランドの歌姫、ビョーク

 

 この映画の主人公セルマを演じるのは、アイスランドの女性歌手、ビョークです。

 

 僕は全く知らなかったのですが、世界的に有名な方らしく、グラミー賞を何度も獲っているのだとか。

 

1overf-noise.com

 

 

 エモい。

 

 映画本編でも、ビョークの歌唱力は存分に活かされています。

 

 

あらすじ

チェコからの移民でシングルマザーのセルマは、工場で働きながら息子のジーンを養っていた。生活は貧しくても、セルマにはよい友人たちがおり、趣味のミュージカルに取り組みながら、楽しい日々を送っていた。しかし、実はセルマは重大な病気で視力が低下しつつあり、今年中に失明してしまうほど病状が悪かった。さらに、セルマの病気は遺伝性であり、息子のジーンもやがては失明する運命にあった。セルマは、工場と内職で得た賃金を、ジーンの手術代として必死で貯蓄していた。そんななか、彼女の希望を打ち砕く事件が起きてしまう。 

 

 

 ひたすらに続く理不尽のなかで、母親がただ息子のことだけを想い、生きていくストーリーです。

 

 視力の病気というだけで、次から次へとセルマに不幸が襲いかかります。物事がどんどん悪いほうへ転がっていくので、正直観るのがつらいです。

 

 ただ、連続する圧倒的な不幸のなかで息子への愛を抱き続けるセルマの姿があればこそ、この映画を観た人の心は(良くも悪くも)大きく動かされるのです。

 

 ちなみに、人によっては拒否反応が激しく、「最悪の映画だ!!」となる人もいるらしいので、注意が必要です。しかし、人生で観たなかで大きな存在感を示す映画になのは間違いないでしょう。

 

 未視聴の方はぜひ観てみてください。以下、ネタバレ込みの感想です。

 

セルマを襲う理不尽

ある日、低下した視力とミュージカルの空想をする癖のせいで、セルマは事故を起こして工場をクビになってしまう。仕方なく、すでに溜まった費用で息子の手術を依頼しようとするが、帰宅すると隠していた貯金がなくなっていた。セルマは貯蓄のことを唯一教えていた大家のビルのもとへと向かった。しかし、ビルによってセルマは盗人に仕立て上げられ、通報されてしまう。さらに、お金を返さないビルに手をかけざるを得ない状況になり殺してしまう。なんとかお金を医者に預け、手術の予約をしたセルマだったが、結局捕まってしまう。セルマは、息子になんとしてでも手術を受けさせるため、裁判で本当のことが言えない状況にあった(医者に預けた手術費用を取り上げられる可能性があった)。また、ビルが妻に隠し事をしていたことを秘密にするために、ビルの行為についても断片的なことしか言わなかった。そんな状況で、国選弁護士しかついていないセルマは、検察のいいようにされてしまう。そして、最終的にセルマに下った判決は、死刑だった。 

 

 息子を想い続け、さらに他人にも思いやりを持ってしまったせいで、セルマの状況はどんどん悪くなっていきます。

 

 観ている側としては「もう少し自分勝手になってもいいのに!!」と中盤以降非常にもどかしい思いをします。

 

 セルマの自己犠牲の態度がけっこうかたくななので、この映画が苦手な人はそこがダメなのかも。

 

 息子のために自分を犠牲にして不幸の坂を転がり落ちていくセルマ。なにに対してかも分からない、悲しみとも怒りともつかない感情を覚えました。

 

 

ミュージカル要素 

 

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 そんなセルマの唯一の娯楽がミュージカルでした。

 

 劇団の練習に参加する一方で、日常の雑音からリズムを感じてその場を舞台にしたミュージカルを空想していました。

 

 そのため、この映画ではミュージカルシーンが多数挟まれています。ビョーク自慢の歌声もここで披露されています。

 

 ミュージカルシーンはほとんどがセルマの妄想なので、現実ではありません。最初急に工場の職員たちが踊り始めたときはびっくりしました。

 

 このミュージカルシーン、制作側からしたらかなりの推しポイントみたいなのですが、個人的にはそこまで好きではなかったです。「いいから早く話進めて!!」とか思ってました(よくない癖です)。

 

 ただラスト3つ(”最後から2番目の歌”から前3つ)のミュージカルは、現実の追い詰められた状況と妄想の幸せな様子のギャップがよかったです。ミュージカルシーンが終わった瞬間にどうしようもない現実に引き戻される感覚は、悲痛そのものでした。

 

 

そして、最後から2番目の歌へ

裁判の後、友人のジェフは、セルマがジーンのために貯金していたことをつきとめた。この事実があれば減刑されるはずであった。そこで、親友のキャシーは裁判所に再審請求し、優秀な弁護士をつけようとした。しかし、セルマはその弁護士を雇う費用がジーンの手術費から出ていることに気づき、再審請求をやめて死刑を受け入れてしまう。とうとう絞首台に乗せられたセルマだったが、死への恐怖から取り乱し、ジーンの名前を呼んで泣き叫んでしまう。刑の執行を見届けに来ていたキャシーは、警備を振り切り、セルマにジーンの眼鏡を渡した。ジーンの手術は成功した(眼鏡が不要になった)のだった。それを知ったセルマは落ち着きを取り戻し、"最後から2番目の歌"を歌い始める。しかし、歌の途中で刑が執行されると、床が開く音と同時に身体が投げ出され、セルマの歌声は途切れた。

 

 この、”最後から2番目の歌”というのは、昔セルマがミュージカルを見に行っていたころに、ミュージカルの終わりを見るが嫌で最後から2番目の曲で帰っていた、というエピソードからきています。セルマは、最後の曲を観なければ自分のなかでミュージカルは永遠に続くのだ、と言っていました。

 

 死刑が執行され自分の命は終わってしまうが、この歌は最後の歌ではない。自分が終わらせない限り、私と私の息子のミュージカルは続く。それが最後から2番目の歌でした。

 

 自分の死が目前なのに、ジーンの目を治すことができた喜びでいっぱいで幸せそうに歌うセルマ。ずっと理不尽続きだった彼女へ最後に訪れた幸運に僕もひたすら共感して、よかったよかった……と泣いていました。

 

 だからこそ、ガコン!!と鳴った瞬間、セルマの歌が途切れて沈黙が訪れたあとは、さらに涙が止まらなくなりました。直前まで彼女が幸せそうだったにしろ、実際に彼女の死という現実的を突きつけられると、やはりその理不尽と不幸を再確認して泣く以外にどうしようもなかったです。

 

 最後の彼女は救われていたし、彼女の一途な母性愛は美しい。けれど、やはりこんな理不尽があっていいのだろうか、という悲しさに襲われてしまう。そんなエンディングでした。

 

 

まとめ

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 息子のため、まさに盲目に走り続ける母親が、理不尽にあい、最終的に自分の命を奪われてしまう。しかし、本来の目的を達成した彼女の心は救われていた。

 (けれど、観ている側からしたら全然救われない)

 

 ダンサー・イン・ザ・ダークはそんな映画です。

 

 最後にもうひとつだけ好きな部分を挙げます。

 

 死刑が決まったあとに、捕まっているセルマに友人ジェフが会いにきます。そのやり取りのなかでジェフは、遺伝すると分かっていて何故ジーンを産んだのだ、と聞くシーンがあります。

 

 セルマはすこし微笑みながら、この手に赤ちゃんを抱きたかったの、と答えます。

 

 セルマの人生最大の我が儘は、息子を産んだことだったのでしょう。その代償にセルマは自分の命を落とすことになってしまいました。

 

 けれども、息子と過ごした時間は、その代償以上の幸せを彼女に与えたことでしょう。

 

 プラスな側面から彼女の息子愛が確認できるこのシーンがとても好きです。

 

 (それを踏まえてもあの結末は悲しすぎる……)

 

 

 

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