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Watabera Miscellaneous Notes

人生やめてません

カースト色眼鏡〜陽キャラになってみたかった〜

 

カースト色眼鏡

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 僕には、周りにバレたら顰蹙間違いナシの悪癖がある。

 

 初めて会った人物を、自分の中のカーストに当てはめる。そして、その人物がカーストで自分より上か下かを決めてしまうのだ。

 

 顔の美醜や態度から溢れる自信の有無、コミュニケーション能力、体型等々の、その人全体のイメージから、カーストのどこに当てはまるかをもはや無意識に考えている。

 

 平たくいえば、陽キャラか陰キャラか判断している、というところである。

 

 その人が、カーストで自分より上の人なら、僕はどうしようもなくオドオドしてしまう。自分の一挙一動によって、陰キャラだと見なされないか不安になる。劣等感で上手く身体が動かなくなってしまう。緊張でぎこちない動きや喋り、若干吃った聴き取りにくい声。それらのせいで余計に劣等感を覚え、さらに身体はカチコチになる。

 

 逆に、その人が、カーストで自分より下の人だと思えば、若干自信を持った振る舞いができる。 自分より下の人しかいない場合、劣等感がなく、(一時的な)自己肯定感を得るので、行動はスムーズにしやすい。声を出るし、動作の違和感も減る。ただ調子に乗った価値観が動作に漏れている可能性はある。

 

 一応言い訳をしておくと、僕もこの悪癖はなくしたいし、なくそうとしてはいる。いけないことだと思っているし、はやくやめたい。

 

 だから、カーストルールが、頭をよぎっても無視している。遠くに追いやろうとしている。無意識下に湧いた「この人は下」という認識は、その瞬間に頭から吹き飛ばしている。

 

 ただ一瞬でもカーストが頭をよぎる現象は、まだ継続している。また、リア充ぽい相手にキョドるのも、治ってはいない。

 

 

ボケたメガネじゃなんにも見えない

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 他人にそういう判断基準を大雑把に当てはめて評価なんかしているから、自分も同じように評価の対象になってしまい、劣等感に苦しんでいる。自業自得である。 

 

 仮に、今よりも陽キャラ風になったとして、この悩みは解消されるのだろうか。いや、されないだろう。上には上がいるのだ、更に派手な世界に劣等感を抱くだけだろう。

 

 つまり、この価値判断自体が間違っているのだ。コミュニケーション能力の有無は、それ自身がもたらす被害や実益はともかく、それ一つで価値ある人間かどうかなど決めていい判断材料ではないのだ。

 

 自分より劣ってそうな人間を下に見て安心しようとするから、自分より上の存在に勝手にダメージを受けるのだ。

 

 

陽キャラコンプレックスと自分語り

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 少年青年時代の抑圧のせいなのか、僕は、所謂陽キャラ集団に凄まじいコンプレックスがある。カースト癖もそこからきている。陽キャラが嫌いなのではない。むしろ、羨ましくてしょうがないのだ。あの空気を楽しめる才能が。

 

 高校の頃に、その輪の中に入ろうとした。陽キャラ集団と仲良くなろうとした。半分成功し、半分失敗した。

 

 "勉強ができる"というのが個性として取ってもらえたのか、はたまた単純に友達になったのか、陽キャラの人たちと仲良くなった。結構一緒に遊びもした。

 

 しかし、無理をしているな、と自分でも気づくときがあった。もちろん、彼らは良い人で、かつ面白かった。一緒にいる時間の多くは、なにも考えずに楽しめた。ただ、僕だけが無理して楽しんでいるときもあった。「彼らと遊んでいる自分」になりたいだけの瞬間もあった。

 

 陽キャラの人たちと仲良くなることはできたが、陽キャラになることはできなかった。僕のなかの素質がそれを拒んだ。

 

(こう書くと、凄い打算で高校の友達作ったみたいな感じするけど、別にそんなことはないです……単純に仲の良い友達だったと思います)

 

 

パリピパリピ俺も混ぜてくれ酒飲めへんし踊れへんけどf:id:watabera:20170819012352j:plain

 

 そう、混ぜてほしいのだ。酒も強くないし、上手く踊れないし、上手く盛り上がることもできないけど、その場の一員として、盛り上がっている空気を味わいたいのだ。誰かが楽しんでいるのを、傍目から見るのは嫌なのだ。

 

  しかし、こうやって陽キャラ、パリピを自分とは違う生物、遠い存在みたいな扱いをしている間は、カースト癖は抜けないのだと思う。

 

 当然、彼らも血の通った人間だ。平日はちゃんと働かないといけないし、僕らと同じような人間的な弱みもあるはずだ。それを勝手に自らライン引きをして(向こうから引かれもするけど)、隔絶した世界の人としてレッテルを貼る。だから、彼らを理解できないし、自分のことすらも理解できないのだ。

 

 自らを陰キャラだと卑下している点で気づきにくいが、「陽キャラはこうだから凄いよね」みたな距離の取り方は無礼である。褒めているつもりに見えて、『自分は関わりたくないです』とdisっているのとそう変わらない。

 

watabera.hatenablog.com

 

 

 

 

メガネを捨てよ、コンタクトにしよう

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 話がグチャグチャしすぎた。まとめる。

 

 僕には、人間を勝手なカーストに当てはめる悪癖がある。それは、百害あって一利なしである。

 

 だから、陽キャラだの陰キャラだの、と勝手にピンボケしたレッテルを貼るのは、非常によろしくない。

 

 もっと目を凝らして、そしてカーストの色眼鏡を外して、本当の彼らを見つめたほうがよい。

 

 相手を見つめることは、相手が自分と同じ人間だと気づくことに繋がるし、そして自分も相手と同じ人間だと気づくことになる。

 

 自己卑下からの解放のカギは、ここにあるのかもしれない。

 

 

watabera.hatenablog.com

 


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