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Watabera Miscellaneous Notes

人生やめてません

【イキリオタク】実録!こうして私は医キリオタクになった!【マウンティング】

 

 

 医学部系の記事はウケがいいので、味をしめた。
 
 という訳で、医キリオタクについて書きたいと思う。
 

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医キリオタクって?


 『医キリオタク』はTwitterで使われてワードで、元ネタのイキりオタク医学生verである。

イキりオタク

 イキりオタクとは、「イキがるオタク」の意のネットミームである。

 

「俺オタクだけど彼女いるし」「俺キレたら記憶なくなって、DQNとかボコボコにしちゃうんだよね」

 

 異性関係や自分の外見など、様々なステータスを鼻にかけてイキがるオタクのことを、イキりオタクと言う訳である。

 

 (本当にそのステータスや自信があるなら、そんなことをわざわざ主張する必要もない。にも関わらず、自分から主張しているところに自信のなさが現れているのが、面白みである)

 

 イキりオタクツイート参考記事。イキリオタク構文作って遊んでたらさっそく本物のイキリオタク見つかって爆笑してる

 

医キリオタク

 その医学生版が、医キリオタクである。

 

 医学生という看板を振り回し、ネットでマウンティングをする人たちの総称である。

 

 医学生は、ただ受験に合格しただけである。別に人のために働いている訳でもない。将来人を救うために勉強している途中なのである。だから、なにも他の学生にたいして優位性はない。

 

 それなのに、(受験の成功からか)医学生の立場が偉いような勘違いをして暗に医学生であることを匂わせるようなツイートなどをして、周囲にマウンティングするのが医キリオタクである。

 

 医学生の名札を使って、不特定多数に対して、自分の優位性を主張して自尊心を満たそうとしているのである。

 

〇〇医はマウンティングなのか

 例えば、Twitterのハンネを、「◯◯医」(こわ医とかきも医みたいなゴロあわせ)にする人たちは結構いる。

 

 他の医学生と絡むのに便利だからとか、単に何も考えてないとか、そういう理由は理解できる。

 

 しかし、わざとらしく医学生ということを強調してるのだったら、しょうもないと思う。(個人の感想ね)

 

どうして医キっちゃうのか

 現実では、医学生の周りには医学生が大量にいる。そこでは、医学生の名札はなんのマウンティングにもならない。

 

 だから、そうではないネットで、医学生という看板を掲げてイキってるのだろう。

 

 しかし、現実で不足している人間関係や承認を医学生の看板を使ってネットで手早く手に入れようとしても、ろくな結果にならないと思う。

 

 現に、医キリオタクは痛いと思われているのだし。

 

 Twitter医学生の人、あなたはどうだろうか。医キリオタクではないだろうか。

 

医キリオタクが生まれるまで

 

 なんでこんなことを書いたかって、それはもちろん、僕自身が医キリオタクだからだ。

 

医学部ではみんな医学生だった

 高校時代、勉強がそこそこできることが、アイデンディティの一部だった。『勉強ができる自分』が、ある意味僕を支えていた。

 

 そして受験生時代、努力の甲斐あって希望の大学に合格できた。合格ときは、それだけでなんて全能感って思いだった。

 

 しかし、大学に入ってみると、当然周りには医学生しかいない。『医学部に入れる頭』は周囲の人間との比較で、なんの自尊心も満たしてくれなくなった。

 

 さらに、勉強だけなく、色々な部分で秀でた部分を持っている人が大勢いた。スポーツ、楽器、コミュニケーション、色々だ。

 

 一方、僕はなにか誇れるものもなかった。むしろ苦手なことばかりであった。そして別段人と上手くやっていける訳でもなかった。

 

 自信を失った。

 

 その時に自分に残った成功体験は、受験を乗り越えたことだけだった。

 

 だから、バイトも家庭教師とか塾講とか受験関連のものにした。年下相手に受験の経験でイキってるときは気分がよかった。

 

"医学生"になれるTwitterに逃げた

 自分の協調性や自信のなさから、現実では色々上手くいかなくなった。

 

 承認不足を覚えた僕は、Twitterに新しいアカウントを作った。プロフィールを医学生とわかるようにして。

 

 今で言う医クラ(医学クラスタ)になった訳である。

 

 他の大学の医学生や色々な大学生と関わってみたいという目的もあった。しかし、今思えば、医学生の立場でそれ以外の人と絡みたい』という醜い願望も底にはあったように思う。

 

(昔からTwitterで関わってくれている人、不快にしてしまったらすみません。今は、ネットを通じてではあっても、知りあえてよかったと思える関係ができたことに感謝しています)

 

 僕は受験の合格を、『努力の結果、大きな壁を乗り越えた』ではなく、『努力の結果、偏差値の高い学部に入った』と捉えていた。

 

 つまり、受験で人より優位性を得たことを、自己肯定感の糧にしていた。

 

 同じ条件をすでにもっている学部の人のなかでは、その自己肯定感は生まれない。

 

 だから、その自己肯定を実感するために、医学生じゃない人もいるコミュニティに自分を突っ込んだのである。愚かな所業だ。

 

 立派な医キリオタクの誕生である。

 

眠れる医キリオタク

 でも、なにか売りにできるもない僕が、ネット上とはいえ、承認ほしさに医学生の看板を振り回したところで、空回りするばかりだった。

 

 何度か痛い目をみて、または他人が同じことをしているのをみて、自らの行為のしょっぱさ、短絡さ、無意味さに気づいて、医キリオタク卒業を決意した。

 

 今ではそんなに恥ずかしい医キリはしていない、と(自分では)思う。

 

 しかし、なにが怖いって。まだ自分のなかに医キリオタクが眠っていることである。

 

 再度繰り返すが、医学生はまだ人の役にたつ働きをしている訳でもなく、ただ受験に通っただけでなにも偉くない(かと言って医者が他の職種より偉い訳ではない、聖職者ではあると思うけど)。

 

 だから、受験時代の成功を、しかも自分の優位性を主張するような形で、アピールしてマウンティングするのは、恥ずかしい行為である。

 

 そのようなことはやめようと思っている。

 

 なのに、どこか自分のなかに『受験で人より優位性をとったこと』で自己肯定感を得ようとする部分があるのだ。また、その優位性を他人に振りかざそうとする自分がいるのだ。

 

 その意識は簡単には消えてはくれない。

 

医キリそうになったらどうすれば

 

 自信がない医学生は医キリオタク予備軍だ。

 

 僕の考えでは、自信のない医学生は、過去の受験に置ける成功を『他人よりいい順位をとって合格を手にいれた』ではなく、『自分の力で成功を手にいれた』と捉えて、自己肯定感の糧にするべきである。

 

 受験の成功を、他人との比較で喜ぶのではなく自分の力として自分のなかで完結する成功体験として認識するのだ。

 

 そうすると、受験の経験は他人に振りかざして優位性を主張するものではなく、自分のなかからじんわりと力を与えてくれるものになるはずだ。

 

まとめ

 

 医学生の名札に優位性があると勘違いして、不特定多数にマウンティングする人医キリオタクという。

 

 医キリオタクは、受験を他人の上に立った経験としかみていない(医者の卵とかいうアカウントあったな)。

 

 だから、いざ入学して周りが医学生だらけになると、自尊心が保てなくなる。

 

 そうして、Twitter等で、医学生の立場を鼻にかけて、だれかに優位性を示そうとする。

 

 しかし、医キリ行為は他人からすれば痛いだけで、結局彼の欲しい承認は手に入れられない。

 

 医キリは誰も幸せになれないので、やめるべきだ。

 

 とは言いつつも、やはりまだ僕のなかにも医キリオタクが眠っている。

 

 そう簡単に消すことは出来ないので、少しずつ薄めて消していきたい。

 

 まぁ、こんな記事自体が医キリ記事になっている説はあるけどね。

 

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朝のおはようメンヘラポエム


 今日は疲れているので、さっさとメンヘラポエムでも書いてブログを終わりにしたい。

 

 と思って、ネタ探しにスマホのメモ帳探ってたら、数年前に書いた歌詞が出てきた。

 

 読んでみたところ、凝縮した自意識みたいな歌詞ですごい気持ち悪い。

 

 このとき既に、愛情と依存を履き違えてることに気づいていたのに、結局それを治さずにここまできたと思うと悲しくなる。

 

 今日は本当に眠いからさっさとこれ貼ってねます(am 2:32)。

 

 って思ってたらそのまま寝落ちしてました(am6:24)。

 

 

君がいなくなってから253日
僕はまだ何もせず生きてるよ
去り際にさよならの一つでも
言ってくれたらマシだったかもな


君がいなくなってから308日
そろそろ何かした方がいいかな
去り際にさよならの一つでも
言ってくれたら諦めもついてたよ

 

僕のなかにある全てのモノが
君にまつわるモノになってて
君がいなくなった今は
僕は何で僕を作ればいい
君のなかにある全てのモノから
僕にまつわるモノが消える
それが憎くて仕方ない僕は
君を愛してさえいないのだろう

君がいなくなってから330日
出来る限りのことはしているよ
去り際にさよならの一つでも
何回同じことを言ってるのだろう


君がいなくてなってから今日で1年
どうやら僕はもうダメみたい
去り際にさよならの一つでも
そんなとこが嫌いって言われたな

 

僕のなかにある全てのモノが
君にまつわるモノになってて
君がいなくなった今は
僕は何で僕を作ればいい
君のなかにある全てのモノから
僕にまつわるモノが消える
それが憎くて仕方ない僕は
君を愛してさえいないのだろう

 

僕の声を聴いてくれよ
さよなら一つを言わせてくれ
僕の声を聴いてくれよ
そうさ僕はいつも自分勝手さ
僕の声を聴いてくれよ
僕は僕の為に君を探している

 

僕のなかにある全てのモノが
君にまつわるモノになってて
君がいなくなった今は
僕は何で僕を作ればいい
君のなかにある全てのモノから
僕にまつわるモノが消える
それが憎くて仕方ない僕は
君を愛してさえいないのだろう

 

 

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【夜更かし】午後28時、スマホ弄って朝になる【脱出】

 

 『夜更かししたのに結局なにもせず、ただ寝不足になっただけ』現象について考えたい。

 

 僕はこの現象(を起こす自分)のせいで、生活リズムが崩壊するだけ崩壊して、得たものもなく、肉体的にも精神的にも疲労した1日を送る、そんな羽目によくなっている。

 

 なんとかその機序を解明して、事前に予防してやろうではないか。

 

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『無為な夜更かし』なぜ起こるのか

 

 今日は時間もあって、するべき用事もあったのに、ずっとダラダラしてしまった。ベッドでスマホばっか弄ってないで、用事を済ませておけば、もっと有意義な1日になったはずなのに……。

 

 そう思う日が、あなたにはあるだろうか?

 

 僕はよくある。いや、ありすぎる。

 

 用事があると分かっているのに、どうしてもやる気が起こらない。頭を使わなくていい娯楽ばかりに時間を割いてしまう。そして、いつの間にか窓の外は真っ暗になっている。

 

 僕の場合、こういう日こそ、『無為な夜更かし』現象は発生する。

  

 そんな日の夜25時には、1日を無為に過ごした後悔と、なんとか有意義な1日にしようという焦りで、頭がごちゃごちゃになる。

 

 後悔による気分の落ち込みは、更なるやる気の低下を引き起こす。頭がぼんやりして、身体がぐだーっとなって、なにもしたくなくなる。特に自分から腰をあげて取り組まないといけない用事をこなす気にはなれない。せいぜいネットサーフィンが関の山である。

 

 一方で焦りは寝るまでになんとか活動しなければいけない、と心臓をたきつけて自分をむやみに不安にさせる。無為に過ごして終わる今日の1日を、あとで後悔するのが怖い。だから、どうしても生産性のあることをさせようと危機感ばかりを煽るのだ。

 

 まったく別のベクトルに働く2つの気持ちによって、僕の身体は混乱してしまう。

 

 タスクをこなす必要があり、寝る気にはならない。けれど、能動的になにかやり遂げる気分でもない。

 

 結果、28時までダラダラとニコニコ動画鑑賞して終わるなんて事態を引き起こす。挙句の果てには、次の日に寝坊し惰眠を貪りつづけ、更なる無為な1日を生んでしまう。

 

 つまり、土台として『なにもしなかった1日』が存在し、そこから『後悔によるやる気や思考力の低下』『焦りによる不安感の増長』が発生する。そしてその2つの感情が、”うまく嚙み合って”、『無為な夜更かし』が起こる。

 

 

予防法2つ

 

 となると、『無為な夜更かし』を予防するには、2つ方法があることがわかる。

 

 1つは、土台である『なにもしなかった1日』を発生させない方法。

 

 もう1つは、『後悔』と『焦り』を発生させない方法。

 

『なにもしなかった1日』をなくす

 

 『なにもしなかった1日』が起こる過程はこうだ。

 

 やるべきことがあるけれど、その事実に目を向けるのが怖い。だから、手軽に没入できる娯楽や睡眠に興じることで一時的に義務から逃れようとする。そして、そのまま時間が経っている。

 

 面倒から逃げた結果、『なにもしなかった1日』は生まれる。

 

 逆に言えば、手軽な娯楽に逃げにくくし、かつ面倒と向き合わないといけない状況を作るさすれば、『なにもしなかった1日』は生まれないはずだ。

 

 そのためには、パソコンのお気に入り登録から娯楽サイトを消すソシャゲやTwitterのアイコンをスマホですぐアクセスできる位置に置かないto doリストを作り用事ごとに自分の中で締め切りを設定する、などの手段が考えられるだろう。

 

 これで『なにもしなかった1日』は絶対起こらない、とは言えないが、頻度は下がるのではないだろうか。

 

『後悔』と『焦り』を消す

 

 つぎは『後悔』と『焦り』を発生させない方法だ。

 

 起こってしまった『なにもしなかった1日』を受け止めて、未来に向けてもっとも建設的な手段を取るのだ。

 

 まず、『後悔』はしてもしょうがない。後悔しても用事が勝手に進む訳ではないそして、先に書いたように、後悔することで余計に無為な時間を生み出す可能性がある。後悔したくなければ、後悔はしないほうがよい。

 

 つぎに、『焦り』に関して。この焦りは、「このまま1日を終えると後悔するだろう」という恐れからきている。まずは、後悔は無意味だから後悔を恐れて焦らなくてもよい自分に言い聞かす。さらに、現在するべき用事について整理する。どうしても今日中にやらなくちゃいけないのなら、睡眠時間を削る価値がある。そうでなくて、あとまわしにしても他のタスクに支障が出ないと判断した場合はさっさと寝る。

 

 合理的判断によって、『後悔』と『焦り』を封じ込めるのだ。

 

 

まとめ

 

 『無為な夜更かし』は、1日なにもしなかったことに後悔と焦りを抱くと起こってしまう。

 

 そこで、面倒に向き合いやすくする工夫や、娯楽に逃げにくくする工夫をすることで、『なにもしなかった1日』の発生を防ぐことができる。それが、そのまま『無為な夜更かし』の予防になる。

 

 また、この場合の『後悔』や『焦り』は、合理的判断を下せば、自分にまったく得のない感情である。それを自分に理解させることで、『後悔』と『焦り』を抱かないようにする。その結果、『無為な夜更かし』をせずに済む。

 

 以上2つの方法をもちいることで、『無為な夜更かし』で体力気力ともに使い果たすこともなくなるのではないだろうか。

 

 

 

 いやそんなに簡単にいくかなぁ……(今日1日なにもせずにスマホ弄りながら)

 

 

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Fishmans あの娘が眠ってる그 소녀가 자고 있어

【大学受験】苦手科目を克服するたったひとつの冴えたやり方【勉強法】

 

  少しばかりお下品な記事です。苦手な方はブラウザ☆BACK!

 今日は、僕が大学受験のときにやっていた勉強法を紹介したいと思う。


 この勉強法の何処が素晴らしいって、苦手な科目であっても、たちまちにやる気をゲットできる点である。

 そんな夢の勉強法を、僕は受験期に開発してしまったのである。


 話は×年前に遡る……

 

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夢の勉強法誕生秘話

 

理系なのにアレができない

 
  高校3年生の僕は困っていた。ある科目の点数が全然足りていないのに、やる気がまったく出ないのである。

 その科目とは、数学である。

 僕は理系に進んでいた。本当は数3なんてまっぴらゴメンだった。しかし、受験の科目の都合で仕方なかったのだ。

 自分の秘められた数学的才能に期待して、進路希望で理系にマルをした。

 しかし、いつまで経っても、眠っているはずの才能が目を覚ます兆しはなかった。

 それどころか、微分やら積分やらで頭の中は混乱するばかり。いつも模試の足を引っ張るのであった。

 数学は、まさに苦手科目の最たるモノだった。

 

 

だって面倒じゃん

 
 その日も、僕は数3の問題集とノートに向き合い、自室の机のまえで硬直していた。

 さっきから、いやもっと長い時間だ。待てども待てども、やる気が湧いてこないのだ。やる気の泉は枯れてしまったのか。

 そもそも、僕にとって数学は面倒のかたまりだった。

 一問解くのに、まずはウンウン唸って解法を考えなくてはいけない。解法を導き出しても、答えに辿りつくまでには、大量の面倒な計算が待っている。そして、やっとの思いで一問解き終わると、解くべき問題がまだまだ残っていることに気づくのだ。めのまえがまっしろになる!!

 今思い出すだけでも恐ろしい。よくあんな試練を乗り越えられたものである。

 ともかく、勉強する必要があるのに、数学に対するモチベーションが全然上がらなかった。

 

 

作戦を練る

 
 これではヤバい、僕は思った。なんとかしてやる気を出さねば、と。

 とは言っても、嫌なモノは嫌面倒なモノは面倒、である。

 Twitterやネットサーフィンなら無限にできる。しかし、数学にはそんなこと起こるはずもなかった。

 そこで、ネットと勉強を同時並行することで、やる気を数学に回せばよいのではないか、と考えてみた。

 (今思うと意味わからん)

 しかし、そう上手くはいかなかった。

 ネットは能動的に関わらないといけないコンテンツだ。ネットと数学、能動的なタスクを同時に2つはこなせない。

 

 

そして時は来た

 

 この作戦は、失敗したかに思えた。

 ……ん、能動的だからダメ?

 じゃあ、受動的なコンテンツで、なおかつやる気が出るモノならよいのでは?

 つまり……

 AV観ながら勉強したらいんじゃね?

 『AV勉強法』が誕生日した瞬間である。

 

 

なぜAVなのか

 

  AVは非常に気分をアゲてくれるアイテムであり、さらに放っておいても勝手に進行する受動的コンテンツである。

 「やる気」「受動性」2つのポイントを満たしている。

 つまり、AVを流しながら勉強をしたら、そのやる気を数学に持ち込めるのではないだろうか?

 早速、お気に入りのAVdvdを再生しながら、ディスプレイの前で数学に取り組んでみた。

 すると、捗る捗るめちゃくちゃ捗る。

 まずお気に入りのAVだからどんな展開か分かっているよって、いちいち画面に意識を奪われなくてもよい。音声が聴こえて、たまにエロい絵面が視界に入れば、それで十分だ。

 脳に入る情報を、数学とAVだけに集中させれば、逆に集中できた。

 次にAVによるワクワク感が、数学を面倒と思う気持ちを打ち消してくれる。

 問題の難易度は変化しなくても、解き始めるための抵抗感がかなり薄れるひとつの問題を始めるにしろ、問題中の長い計算を始めるにしろ、それに対して二の足を踏もうとする感情を消してくれるのだ。

 それだけでも、数学を解くのがかなり楽になった。

 さらに、普通AVを観るときには、全編通して観ない。「使える部分」をザッピング再生することが多い(たぶん、多くの男性に共通して)。

 しかし、AV勉強法の場合は流しっぱなしになるので、普段とは違った感触で満喫できる。勉強だけでなくAV観賞面にもメリットがあった。

 

 

素晴らしきその効果

 

 というわけで、その日僕はAVを流しながら数学に取り組んだ。いつもよりも明らかに、解くスピードが上がっていた

 さらに、驚くべきことに、正答率まで上がっていたのである多分、無駄なことに気を取られずに集中できたために、ケアレスミスが減ったのだろう。

 もう、AV様々である。

 

 

思い出とまとめ

 

 かくして僕は、あまりにもやる気が出ないとき、このAV勉強法で数学に取り組んだ。

 受験期といえども、どうしても勉強する気分にならないときがあるそんなときにAV勉強法が僕の背中を押してくれた。

 AV勉強法は、長くて苦しい受験期で、僕の心の杖だったのである……。

 あのAVたちには感謝してもしきれない。


  今、苦手科目に悩んでいる受験生がいたら、ぜひAV勉強法に挑戦してみてほしい。

 

注意点

 
多分暗記系の科目には向いてない(だから医学の勉強には……)

・少なくとも解き終わるまでは自分の欲望に勝ち続ける必要がある

 

 

追記とお礼

 

 大学に入ってこの話をしたら、同じことをやっていた奴がいた。案外、知る人ぞ知る勉強法なのかもしれない。

 汚い記事なのに最後まで読んでくれて、本当にありがとうございました。またよろしくお願いします。

 

 

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【医学部】童貞医学生がOSCEに落ちるワケ【試験】


 ランキングに医学生ブログで登録しているので、たまには医学生っぽいことも書こうと思う。


 女性経験の少ない医学生は、実習中の診察業務に向いていないのではないか、と最近思った。

 

 

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病院実習と身体診察


 医療関係以外の人もいるはずなので、まずは医学科の実習と診察について説明したい。

 医学生は、高学年になり病院実習が始まると、患者さんの診察を自分ですることになる。

 例えば、問診で話を聞いたり視診で肌の様子を見たり聴診で心臓や肺の音を聴いたり触診でリンパ節の腫れ具合を確認したりする。

 もちろん、診察は本職の医者も行なう。そして、診断や治療法の決定、施行は、医者によって行われる。

 学生は、診療方針の決定とは別にして、勉強のために、診察の練習をする。将来1人でできるように、患者のベッドに向かい、患者と1対1で診察するのである。

 ではなぜ、女性経験の少ない医学生はその診察に向いてないのだろうか。

 

 

データに個人性は不要だが、データのもとは個人


 診察では、患者さんの身体から色々な情報を取ってこないといけない。心雑音なしとか、橈骨動脈触知良好とか。その情報をもとにして診断を行うので、データは他の要素によって影響を受けてはいけない。

 つまり、診察では患者さんの身体の状態を、データにして取り出している。そして、そのデータというものは、人間性とはまったく別の情報である。脚に浮腫があるとか、目の結膜が赤いとか、酸素飽和度が低いとかは、その人の人となりと隔絶した事実である。

 

 すると、どうしても、患者さんの身体の一部を、データを取り出すためのモノとして扱ってしまいがちである。

 

 我々が必要なのは、身体の状態という部分の純粋なデータである。そして、そのデータを提示しているのは、患者さんの身体である。純粋なデータの収集にこだわるあまり、一人の人間である患者さんの身体を、データを提示するモノとして錯覚してしまう可能性がある。

 

 患者さんの人格を考慮せず、データだけを取る診察をしたらどうなるだろうか。それは例えば、患者の不安感を受け入れず必要事項だけを言わせる問診であり、無言で不気味に視診することであり聴診器を冷たいまま肌に押しつけることであり身体の扱いが粗暴な触診である。そのような診察は、患者さんを不安もしくは不快にさせることだろう。

 

 診察での医療者は、必要なデータを確実に取りながら、同時に相手の人間性を最大限に尊重することが求められているのである。

 

 つまり、色々な所見を取りながらも、患者さんの身体や精神を丁寧に扱うことが必要なのである。

 

 さて、それが女性経験の少ない男に可能なのだろうか。

 

診察と恋愛の共通点

 

 恋愛(果ては性行為)では、相手の尊重や相手の喜びを前提にして、目的や行為を達成しなくてはいけない(はず、多分)。女性経験の少ない男の大多数は、それができないから女性経験が少ないのだろう。偏見だが、そういう男は相手の尊重よりも自分の目的達成しか頭にない。だから、モテないのである。

 

 診察と恋愛は、〈相手の尊重〉と〈自分の目的〉の2点を両方達成しなければならない、という点で同じである。

 

 恋愛において自分ばかりを優先してしまうような非モテ医学生が、慣れない患者診察で相手のことを尊重しながら所見がとれるだろうか。いや、きっとデータをとることばかりで頭がいっぱいで、患者への気遣いはろくにできないに違いない。

 

 女性経験の少ない医学生の大半は相手への気遣いが足りてないと思われる。そして、臨床実習の診察では、相手を気遣いつつ自分の業務をこなすことが必要なのである。なので、女性経験の少ない医学生は診察業務に向いていない。
 

 

診察されるのも人間

 

 なぜ、突然こんなことを思いついたかというと、原因が2つある。

 

 まずひとつ、なにより僕自身が、データを取るのに必死で、診察時に患者さんの身体や精神を気遣えてなかったからだ。さすがに最近はそうでもないが、臨床実習が始まった直後の患者診察では、緊張してデータを取ることしか頭になかった。

 

 他人の診察を見ているうちに、自分の診察には「診察される側の人間」が存在していないことに気づいた。そうやって、自分は思いやりや気遣いのない診察をしていたのだ、と思い知った。

 

 最近では、上手くいっているかは分からないが、下手なりに患者さんが不快にならないように診察しようとしている。

 

 

OSCEで女性経験がバレる

 

 そしてもうひとつは、あるエピソードが原因になっている。

 

 医学生が高学年で受ける試験にOSCE(オスキー)というものがある。これは、座学の試験ではなく、実技試験である。病院実習を行うのに足りるだけの、診察や処置技能があるかを評価する試験なのである。

 

 診察の実技試験となると、このOSCEには当然模擬患者役が要る。ある日僕は、上の学年のOSCEの模擬患者役として、試験会場で待機していた。僕の役割は、身体診察の患者役で、受験生から聴診や触診を受けることであった。

 

 大体10人ぐらいの先輩が、僕を模擬患者にして身体診察を行った。お腹に聴診器を当てたり、お腹を押したりした訳である。

 

 10人もいれば、診察の仕方もまさに十人十色である。何人かの人は非常に患者役の身体の扱いが粗暴だった。まるで所見を出すためのモノのような扱いだった。そして、そういう人たちは、概してモテなそうだった(見た感じね)

 

 先輩に対してこんなこと思うのは失礼である。しかし、触診の圧が強すぎたり体位変換を無理矢理にしてくる人たちは、往々にして、童貞ぽかった。

 

 

まとめ

 

 という訳で、女性経験の少ない医学生は診察の仕方が下手だと思う。ちょうどセックスのときに、相手お構いなしでAVの真似ごとするみたいな感じで。

 

 OSCE落ちたら病院実習に出られないので、OSCEを控えた童貞医学生は風俗行ったほうがいいかもしれない(嘘です、別にOSCEなんて普通にしてれば受かります)

 

 

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GOING STEADY PV/童貞ソーヤング

 

【会話苦手部】コミュ障を克服するための3つのポイント【メンヘラ.JP】

 

 

 

お話苦手部 

 

 おしゃべりが苦手だ!!

 

 なに話したらいいか分からないし、相手から話題を引き出すこともできない。お互い喋ることがなくて沈黙になったら超気まずくて、パニックになってしまう。

 

 逆に、上手くできた会話も、よくよく考えると、自分が一方的に好きなことを話して相手がひたすら聞いてくれていただけだったり。余計なことを言って、誰かを傷つけていたりする。

 

 とにかく、僕はコミュニケーションというものにコンプレックスがある。人生の色々な場面でコミュニケーションに失敗してきたため、苦手意識をもっているのだ。あのとき、上手く喋ったり振舞ったりできていたらなぁ、なんてよく思う。

 

 しかし、周りを見渡してみると、自分と他人では会話が上手くいかなくても、他人同士ではスムーズな会話が行われている。彼らは非常に楽しそうで、その光景を見て歯噛みしたりする。自分をあんな風に他人と触れ合えたらなぁ、と思う。

 

 彼らや彼女らにできて、なぜ僕にはできないんだだろう?

 

 つまり、そこにはなにか差があるはずである。コミュニケーションが上手な人とそうではない人では、なにか明確なポイントにおいて差があるはずだ。会話においてそのポイントが不十分だからこそ、僕は上手くコミュニケーションできないのだ。

 

 会話上手にできて僕にはできない部分を、明確にして改善すれば、会話への苦手意識が消えるのではないか。

 

 そう考えた僕は、改めて自分や他人の日常会話を考察してみた。その結果、会話における大事な3つのコツを見つけたのである。

 

 

 

 っていう記事を書いて、メンヘラ.JPに載せていただきました!!

 

menhera.jp

 

 

 

メンヘラ.JPって?

 

 まず、メンヘラ.JPとはなんぞや?という方もいると思うので、説明したい。

 

 メンヘラ.JPとは、わかり手さん(@ganbare_zinrui)というライターの方が運営されている、生きづらさを抱える人たちが悩みや知識を共有するサイトである。

 

メンヘラ.jpとは、メンタルヘルスに問題を抱える当事者(=メンヘラ)たちがより良い生活を歩むための「つながり作り」を目的としたメディアです。 

 

 メンヘラ.JPという名前からマイナスのイメージを持たれる方もいるだろうが、決してその種の傷を舐めあうだけのサイトではない。

 

 メンヘラ.JPには、ライターによる記事だけでなく、読者による投稿が掲載されている。他人の経験談を聞くことで、自分の状況を再確認して、参考にする。他人が生きてきたなかで得た知識やライフハックを教えてもらい、自分の役に立てる。そういう、「前を向く」ためのサイトなのである。

 

メンヘラ.jpでは「読者投稿」という枠組みで、メンタルヘルスに問題を抱える様々な当事者たちの闘病記や生活記を募集・掲載しています。
彼らの体験談を読むことで『仲間』の存在を知ることができる。
そして体験や、感情や、知識や、想いを共有することができる。 

 

メンヘラ.jpでは「ライフハック」という枠組みで、当事者目線で役に立つ知識を日々紹介しています。

福祉制度について、コミュニケーションのコツについて、考え方や思考法について、恋愛について、独り暮らしの方法について…

メンヘラにとっての生きるハードルは、「普通のひと」たちとはまた少し違います。メンヘラ.jpでは「メンタルヘルスに問題を抱えつつも楽しく生きる」というテーマに沿った、当事者ならではのライフハックをご紹介していきます。

 

 生きづらさを自覚している人は、ぜひ一度訪れて気になった記事を読んでみてほしい。あなたと同じ悩みを抱えている人が他にもいるかもしれない。

 

メンヘラ.jp – メンヘラ.jpはメンヘラの暇つぶしのためのWEBメディアです。死にたい気持ちになった時などに、用法用量を守って正しくお使いください。

 

 という訳で、僕はメンヘラ.JPに、「自分の考えるコミュニケーションのコツ」を投稿した次第である。

 

 

どんなコツ?

 

 上に貼った記事を読んでもらえれば分かるけれど、大雑把に説明すると以下のようになる。

 

 相手の気持ちを重視するという前提のうえで、

 発言する前に一度考え直す、 相手の言動に注意する、 自分の言動を客観視する、 この三点を意識して会話を行う。

 

 これが、僕の考える会話のコツである。三点のなかに、さらに具体的なコツを用意している。例として、ひとつ説明したい。

 

自分語りフィルター

 

 聞かれてもいないのに自分のことを自慢げに話す、ことを「自分語り」というのは、ミームとして多くのネットの住民が知るところだろう。

 

 「自分語りフィルター」とは、自分語りしようとしていないかを話始めるまえに確認しよう、というコツである。

 

 いやそんなの当たり前じゃん?と思う方もいるかもしれない。しかし、それは本当に実行できているだろうか。

 

 自分語りは、聞かされている方には不快でしかない。そんな相手にとって退屈でしかない自分の話を、会話のなかで一方的に押しつけていない、と言い切れるだろうか。僕は案外難しいと思う。自分語りは無意識のうちにやってしまうものだ。

 

 だから、喋り始めるまえに相手にとって自分の話は聞く価値があるか考えよう、というのがこのコツの要点である。

 

 

まとめ

 

 という風に、僕が日常会話を振り返って考えた、「相手の気持ちを重視してスムーズ会話するコツ」をまとめた記事をメンヘラ.JPに載せていただいた。

 

 コミュニケーションの教則本をいくつか読んだことがある。そのなかには、「相手を気遣う」という会話の原則を無視して、小手先だけの会話集を載せているものもあった。僕の記事は、もちろん具体的な会話例も載せているが、コミュニケーションの本質に則って書いてあるので、小手先や付け焼刃のようなものではない。

 

 メンヘラだろうがそうでなかろうが、目を通す価値はあると思う。ぜひ一度読んでみてほしい。

 

menhera.jp

 

 以前に別の記事も掲載していただいたので、それもよければ。

 

menhera.jp

 

 

追記

 

 教則本ではないが、最近読んだ本のなかでコミュニケーションの本質について書いている本があったので軽く紹介したい。また記事にもしようと思う。

 

  

 

 このふたつだ。著者の高石宏輔さんは、昔ナンパをしていた人である。『声をかける』はその時代に関わった女性たちとの私小説、『あなたは、なぜ、つながれないのか』はその経験をもとにコミュニケーションについて考えた本である。

 

 ナンパといっても、恋愛教則本のような相手の心理を利用する方法を書いた本ではない。

 

 『声をかける』では、主人公がナンパで女性と関わっていくなかで、異次元の存在の見えてきた彼女たちが本当は自分と同じ弱さをもつ人間だと気づく。そうやって、彼女たちの心に触れていくなかで、自分自身とも対峙し、他人と関わって生きていくということを考えいく。

 

 『あなたは、なぜ、つながれないのか』は、高石さんの経験や考えをもとに、コミュニケーションについて掘り下げ、それを行うための具体的な方法や訓練が示してある。

 

 自分や他人の心をおざなりにせずに向き合っている点で、そこらの教則本よりよっぽどコミュニケーションの参考になる。よかったら読んでみると面白いと思う。

 

 

watabera.hatenablog.com

 

 

 

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SUPER BUTTER DOG - コミュニケーション・ブレイクダンス

One thing I miss at the center of my heart

 

 朝、玄関を開けて、ハッとした。

 夏が終わっていた。

 夏の体温は完全に消えて、空気は冷めきっていた。

 自転車で大学に向かうと嗅ぎなれないにおいがした。いや、1年ぶりのにおいだった。

 夏の死骸のにおいだ。夏が死んで秋が来た、そのにおいだ。

 今年の夏は、いつの間にか来て、いつの間にか帰っていった。

 全然気づいてあげられなかった。

 夏を大切に見送れなかったので、悲しくなった。いつか家への帰り道も分からなくなってしまうのだろうか。

 

 


 夏だと思ってシャツとパンツで寝たら、思いっきり風邪ひきました。

 

 

 


6 The Autumn Song

 

 

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