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Watabera Miscellaneous Notes

人生やめてません

食堂の冷水器、水だけ入れるか、氷も入れるか

 

 

冷水器について、悩みがある。

 

 

冷水器、水派?氷水派?

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冷水器とは、食堂やうどん屋にある、客がセルフでコップに水を汲む、あの機械である。
あの機械には、大体3つのボタンと、それによって設定されるモードがある。「氷」「氷水」「水」である。どれかのボタンを選んだ状態で給水部分のバーを押したら、コップに水やら氷やらが入る。そういう仕掛けである。
一部、ボタンを押しただけで水が汲めるタイプのやつもある。まぁ、それは今回の話には関係ない。

 僕が水を組もうとするとき、あの機械は大体「氷水」モードに設定されている。大体どころか、十中九九九ぐらいで「氷水」である。つまり、冷水機では氷水を汲むのが世の中のメジャーらしい。

では僕はというと、「水」派である。
氷がなくても十分に水は冷たいし、氷の分だけすぐ飲める水の量が減るし、氷水は冷たすぎて歯に沁みる。
だから、僕は毎回必ずボタンを「水」にしてから、コップに水を注いでいる。
まぁこれは個人の自由だ。水を注ごうと、氷水に決めていようと、どうでもいい。

 

 

「氷水」に直すべき??

 

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 悩みは、このあとである。

 僕がコップに水を注いだので、冷水機のモードは、「水」が選択されてある。
しかし、僕の前に「氷水」が選択されてあったように、どうやら世の中では、「氷水」が選択された状態が普通らしい。

そこでだ。
果たして僕は、「氷水」のボタンを押してから冷水器の前を去るべきなのだろうか?
これで毎回、給水のたびに悩んでいる。

どういうことか、以下に説明する。
 世間のメジャーが「氷水」である。しかし、僕が冷水器を使ったことあと、モードは「水」になっている。
つまり、その次の人は、僕のせいで、給水するのに「氷水」のボタンを押すという手間が増えてしまう。
そう思うと、「氷水」に直す義務が僕にはあるように思える。

しかし、「氷水」も「水」も、はてには「氷」でさえも、平等に提示された選択肢の一部である。差異は支持者の数だけであり、それ以外に差は存在しない。
よって、「氷水」支持者も、「水」支持者も、「氷」支持者も元々は平等な存在である。
なので、別に僕は「氷水」勢に気を使ってわボタンを押し直す必要がないようにも考えられる

 

 

「氷水」と「水」、マジョリティとマイノリティ

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この僕の悩みは、かなりしょうもない。
誰に話しても一笑に付されること間違いなしだ。好きにすればいいじゃん、と。
しかし、この問題を、「マジョリティ社会で、マイノリティとして生きていくことの難しさ」という拡大解釈をしてみる。
すると、この悩みは、いろいろな大きな問題と本質を同じにしているのだ。

 

 

マイノリティは二重苦を背負わなければならないのか?

 

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マイノリティはマジョリティに配慮して生活していかなければならないのか?
 「水」ボタン支持者は、食物アレルギーもちの人は、発達障害者は、あとLGBTの人たちなどは、マジョリティに気を使って生きていかなければならないのか。その選択や素質で他人に迷惑をかけてはいないのにもかかわらず、だ。
 世の中はマジョリティが生きやすいように設定されてある。
それは別に仕方ない。現実的な問題として、そうじゃないと社会の数字が回らない。

マイノリティは基本的にその不便を受容して生きている。
そのうえで、マイノリティとして生活するこが、マジョリティに迷惑をかける、もしくは不快にさせるなら、
マイノリティは、それに注意しながら生きていかなければならないのか?
そこまでする義務が、マイノリティには必要なのか?


 例えば、LGBTの人が自分の本来の性質を隠して生活を送るのは、決してその人にとってプラスではないはずだ。
かといって、カミングアウトしたら、それに対して「気持ち悪い」と考える人物がいるのも、今の社会においては事実だ。
では、そういう人たちに気を使って、カミングアウトせずに生活していく義務があるのだろうか。そこまでマジョリティ側に気を使うべきなのだろうか。

 他人への「思いやり」、もちろんそれをマジョリティに対する配慮を行う理理由にしてもよいかもしれない。
しかし、それだけで、マイノリティ側が、さらなる負担を強いられない理由になるだろうか。いや、そんなことはないはずだ。


マイノリティは、普段からマジョリティ社会で生きる負担を背負っている。
だったら、マイノリティとして堂々と生きる権利があってもよいのではないか。

 僕は、「氷水」ボタンを押しなおさないといけないのだろうか。分からないままだ。

 

 

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ホラーSS小説投稿「はじめから」

 

1

 

 その頃の私は、念願の一人暮らしを手に入れ、そろそろ半年といったところでした。


 それまでは、実家から大学まで自転車で通っていたので、それが毎日の運動になっていました。しかし、大学の近くに下宿を構えて取ると、当然運動量は減り、両親の目もないので食事も含めた生活リズムもぼろぼろになってしまいました。


 おかげで、身体に余分な肉がついてしまい、気づけば顔もお腹もすこし丸くなっていました。友達たちと海で遊ぶ予定があるのに、これでは恥ずかしくて行けません。


いえ、決して身体のラインが出るような水着を着るつもりはなかったのです。それでもやはり、元より太った状態で水着姿を晒すというのは、女子たる私にとって、耐えがたいものでした。


 そこで、私はダイエットを敢行しました。食事制限はもちろんのこと、大学から帰宅するときには、自室のあるマンションの5階まで階段で歩くことにしました。たかだか5階といえども、荷物を持って歩いて登っていくとなると、一段ずつ登れば、結構な運動になるのです。初日の疲労感に未来の成果を実感した私は、絶対に続けてやせてやると意気込みました。


 やがて、私はこの決意のせいで恐ろしい目にあうのですが、そんなことは当時の私には分かるはずもありませんでした。


 この話は、ダイエット開始1週間後だったあの日から始まります。

 

 

2

 

 なにごとに関しても三日坊主を成し遂げていきた私が、1週間も耐えてダイエットを続けているのは、驚異的な事実でした。その事実に自信をつけられた私は、今日もエレベーターを無視して、横の扉から階段へと向かいました。


 私のマンションの階段は、室内型ではなく、壁はお腹のあたりまでで、低層階にはフェンスがついています。なので、外の景色が見渡せるようになっていました。


 その日、友達と遅くまで談笑していた結果、帰ってくると時刻は午後8時ごろになってしまいました。階段は暗く、マンション周囲の街灯を頼りに、私は登っていきました。


 ちょうど3階を過ぎたところでした。


 パチッ。突然、景色が白く鮮明になりました。エッ、と間抜けな声を出した私でしたが、すぐに状況に気づきました。階段の照明が点いたのです。


 このマンションでは、階段の照明はスイッチ式になっています。誰かが押さないと夜になってもつきません。そのことを、そもそも照明の存在を、私はすっかり忘れていたのです。スイッチは各階の踊り場にひとつずつ設置されており、どの階でスイッチを押しても全ての階の照明が点き、また全ての階の照明が消えるのでした。


 ということは、マンション住人の誰かが、今1階から階段に入ってスイッチを押したのでしょう。私は、「照明も点けずに階段を登っていた人」と思われるのが嫌で、少し駆け足でマンション最上階である5階まで辿りつきました。階段から5階の廊下に入るときは、スイッチを押した人のことを考えて、照明は消しませんでした。


 それを気遣う余裕はあったのに、下からのドアの音や足音がなかったことには、まったく気づけませんでした。

 

3


 階段に入った私は、数日前の反省を活かし、早速スイッチを押して照明を点けました。蛍光灯のやたらに白い光が広がって、ずいぶんと周囲が見えやすくなりました。


 私は登りながら、蛍光灯に照らされた階段をぼんやりと眺めていました。ふと、一人暮らしを始めた頃を思い出しました。


 一人暮らしの出費を渋っていた両親へお願いにお願いを重ねてやっと許可を取りました。そのぶんあまり高い家賃の下宿は、選べませんでした。安い家賃となると、どうしても古い建物に絞られます。一人娘ということも考慮して、最終的に選ばれたのが、オートロックでセキュリティもしっかりしているが、いかんせん古いこのマンションでした。


 それを念頭に置くと、どうしても古さが目立ちます。壁の塗装は所々剥げていたし、踊り場の四隅のどこかには必ずクモの巣が張っていました。砂やホコリに混じって、小さい虫の死骸が散らばっていて、たまにカナブンぐらいの大きさの虫も落ちていました。


 私は若干ゲンナリしながらも、実家暮らし時代よりはどれだけよくなったか、と自分を慰めました。実家が大学から絶妙な距離にあったせいで、自転車で学校まで通えてしまい、毎日しんどい思いをしました。

 

 体力的な問題だけでなく、その距離や親の監視のせいで、友達の集まりに参加できなかったりしました。一応、私も華の女子大生として、友人たちとの交流は欠かせない部分がありました。実家暮らしによる制限は、周囲と比較しても、なかなか厳しいもので、両親に対して苛立つこともあったのです。


 それらを思えば、こうやって一人暮らしの自由を謳歌できている時点でなんと幸福なことでしょう。私は、そうやって私を納得させました。


 遅くなって疲れていたので時間はかかりましたが、やがて5階につきました。私はドアを開け、照明を消そうと、指をドア横のスイッチへと近づけました。そのとき、


 パチン。


 目の前が暗転しました。私は視界を奪われ、立ち尽くしました。ドタン。私の手から離れたドアが閉まる音がして、えっなに?私の口から、言葉が漏れました。


 ひとつ呼吸をしてから、私は照明が消えたのだ、と理解しました。まだ混乱しつつも、私はスイッチがあるであろう場所を指で押しました。


 パチン。


 もう一度同じ音がなって、視界が戻りました。照明が点きました。ドアが閉まっている以外、視界はなにも変わっていませんでした。


 そして、少し落ち着いてから、私はにわかに恐ろしくなりました。


 スイッチを押して電気が点いたということは、蛍光灯自体が切れたのではありません。現に今も蛍光灯は、絶え間なく光り続けています。つまり、誰かがスイッチを押して、照明を消したのです。


 では、誰がスイッチを押したのでしょうか?


 誰かが階段から廊下に出てスイッチを押した、のでしょうか。だとすると、その人は、私が5階に辿りついたときに、それより下で、階から階への移動を済ませたことになります。もちろん、それ自体は別におかしくありません。誰か階段にいるのは分かっていたうえで、習慣でスイッチを押してしまったのかもしれません。


 しかし、私はその人の立てる物音を一切聞いていないのです。


 よほどその人がこっそりとしない限り、この古マンションの階段で、他に人がいることに気付かないはずがないのです。なにがやましくてそんなに音を立てずにいなければならなかったのでしょうか。


 そして、なにより、タイミングです。照明が消えたのは、私がスイッチに指をのばしたその瞬間だったのです。余程の偶然でもない限り、私を見ていないとあり得ないタイミングでした。そして、階段で、私の行動が確認できる場所にはスイッチは設置されていません。


 そういえば、3日前も同じように突然スイッチが押された、と思い出しました。そのときもスイッチを押した人の物音を聞いていないことも。


 私はさらに恐ろしくなって、急いで自室に駆け込みました。そして、廊下と部屋の電気を点けました。肩で息をしてから、呼吸をお腹に移して、少し落ち着きました。


 私はとりあえず荷物を放り投げて、ベッドに倒れこみました。


 きっと偶然、偶然。シーツとの小さな空間に、何度もそう呟きました。偶然、悪い偶然に当たってしまっただけ。私は自分に言い聞かせ続けました。


 その一方で、やはりあの階段が恐ろしく、もう二度と階段を使うまいと、自分の言葉と矛盾した決意を固めていました。

 

 

4


 結局、ダイエット継続記録は、その日以来途絶えてしまいました。階段ではなく、外に出てランニングでもしようかと思いました。しかし、下手に階段を使うかもしれない機会を増やすのも嫌でやめました。

 

 運動をやめてしまうと、中途半端になったダイエットになんだかやる気を失ってしまい、食事制限もやめてしまいました。そうやって、私は贅肉を削ぐことを諦めました。   

 

 それよりも、もう二度と"悪い偶然"に遭遇したくなかったのです。


 たしか、それから1週間後ぐらいだったと思います。学部の同級生から、地元から届く桃が余るだろうから貰ってほしい、と頼まれました。高級な果物としてなかなか食べられなかった桃をもらえるとなって、私は二つ返事で引き受けました。

 

 今思えば、その判断を後悔しています。譲ってもらおうとしなければ、あんな目に遭わなくて済んだのですから。

 

 

 

5


 数日後の10時ごろ、同級生から連絡がきました。遅くに申し訳ないが今から桃を持っていってもよいか、ということでした。私は、大丈夫!と気前のいい返事をして待っていました。


 しばらくして、部屋のチャイムが鳴りました。モニターを見ると件の同級生でした。1階のオートロックの前から私の部屋へ、インターホンがきたのでした。


「遅くにごめん!!桃持ってきたから、開けてもらってもいい?」


 自分が譲ってもらうのに、同級生に5階まで上がってもらうのが、私は急に申し訳なくなりました。自分が1階まで降りていくことにしました。


「いや私が降りるよ!!すぐ行くからちょっと待ってて!!」


 急いで靴を履き、玄関を開けました。私の部屋は、エレベーターを出てすぐ右手にあるので、玄関を開けた際に階数表示が確認できます。そして、そのときの表示は、ちょうど都合よく5階になっていました。私がエレベーターのボタンを押そうとした、そのときでした。


 ヴィン、と硬い音がしてエレベーターが下へと降りていきました。横のモニターが非情にも下矢印を映しています。おそらくエレベーターは1階まで降りることでしょう。


 私は焦りました。同級生にすぐ降りると言った手前、のんびりエレベーターを待っているのは、悪い気がしました。がしかし、エレベーターを使わないとなると、階段で1階まで降りなければなりません。それはそれで、またあの出来事が思い出され、二の足を踏むのでした。


 結局私は、しばし立ち止まってから、階段のドアを開けました。たかだか偶然に怯えていた自分が急に馬鹿馬鹿しくなったのです。こんなことで立ち止まっていてもしょうがない、とそのときは思われました。


 しかし、やはりドアを開けてみると、あのときのことが恐ろしくなりました。照明を点けずに早足で階段を駆け下り始めました。街灯や他のマンションの照明のおかげで、注意しておけばスイッチを押さなくてもこけることはなさそうでした。


 足下を見やりながら駆け足で降りていくと、徐々に胃を締めつけるような恐怖が私のなかに渦巻きました。私は階段を選んだことを後悔し始めました。抑え込んでいただけで、あの出来事は私の心に結構な傷痕を残していたのでした。


 壁の暗い陰からなにか恐ろしいものが出てこないか、ありもしない恐怖が頭のなかに湧きました。私は現実で頭を振って、その恐怖をどこかに吹き飛ばそうとしました。しかし、それは粘っこく私の脳に張りついていました。


 私は何も考えないよう、何も考えないよう、ただ足下だけをみて降りていきました。


 そして、ようやく1階に辿りつきました。途中なにか起こったわけでもないのに、私の心臓は急な運動以上の拍動をしていました。とりあえず何事もなかったことに安心し、ドアを開けて階段を出ました。


 オートロックの自動ドアの向こうに同級生が見えます。部活帰りとみえて、大学名の入ったジャージを着ていました。友人の姿は、私をずっと落ち着けました。


 私は自動ドアを開けて挨拶とお礼を言い、紙袋に入った桃を受け取りました。


「ナオコちゃん住んでるの5階だったよね。階段で降りてきたんだ」


「うん、玄関出たときにちょうどエレベーターが降りちゃって……」


「エレベーター?」


「うん」


「あ、そうなんだ」


 彼女は不思議そうな顔をしていました。つられて私もつい首を傾げました。


「……?」


「いや、エレベーター降りてきてなかったから」


「えっ」


「……ていうか!遅くにごめんね。しかも、わざわざ降りてきてくれて。ありがとね!!」


 彼女は急に会話を切り上げて、私に手を振り、帰っていきました。


 私はなにか引っかかるものを感じながら、部屋に戻ろうとして後ろを振り返りました。エレベーター横のモニターには、「5」と出ていました。


 5?彼女は、エレベーターは降りてこなかったと言います。エレベーターは元より5階から動いてなかったのでしょうか。


 いいえ、たしかに、私の目の前でエレベーターは5階から降りていったのです。アレは見間違いではありません。


 つまり、エレベーターは5階から2階のどこかを往復したことになります。しかし、それはあまり現実的ではない。また、"悪い偶然"に出会ってしまってのではないか。そう私のなかで不安がむくりと起き上がってきました。


 一回階段でなにも起こらなかったからか、そのときの私は急に心細くなりました。また、なにかがおかしいのです。かと言って階段を使うのも嫌です。私はとりあえずエレベーターのボタンを押しました。


 少し遠いところで鈍い音がして、モニターに下矢印が表示されました。そしてモニターが5から4に変わり、やがて1に変わり、明るい箱が私の前に降りてきました。


 私は早く部屋に戻りたい一心で、エレベーターに乗り込み、5の数字を押しました。2度、3度と押しているあいだに扉は閉まりました。エレベーター特有のにおいが鼻に満ちました。


 私はひたすらフェルト地のような床を見つめていました。早く5階へ、早く5階へと着いて欲しかったのです。そして、身体にかかる力が消えるとともに、扉が開きました。
私は降りませんでした。


 目の前の景色は、自室の前とそう変わりません。しかし、モニターの表示は、「3」でした。ここは私がボタンを押した階ではありません。そして、目の前にもこの階にエレベーターを呼んだらしい人も見えません。


 また、またです。また"悪い偶然"なのです。


 偶然にも、私が押してもいない、誰もいない3階にエレベーターが止まったのです。最初に階段の照明がついたのも3階だったのを思い出しました。


「んんん!!」


 私は必死になって、「閉」を連打しました。カタカタカタカタ。手の甲が痺れても、それでも私は右手の人差し指を意識を集中させました。カタカタカタカタ。そうでもしないと、叫んでしまいそうでした。


 ようやくエレベーターの扉が閉まりきったとき、5分もかかったように私には思えました。ブゥン、私の身体はまた少しずつ上階へと運ばれました。


 きっと10秒もかからなかったのでしょう。にもかかわらず、やはり、5階で扉が開くまでの時間は、私には果てしなく長く、そして恐ろしい時間に思えました。いつ何時、正体の知れないなにかがワッと私を捕らえてしまうのではないか、と思いました。私は人生のなかで最大の恐怖と混乱に陥っていました。


 5階でエレベーターが開くと、私はすぐに駆け出し、鍵を開けたままにしていた玄関から自室に飛び込みました。そして、せっかくの桃を袋ごと投げ出すと、ベッドで布団を被りました。


 視界になにかが映るのが恐ろしく、布団のなかに閉じこもり、目をぴたりとつぶっていました。頭のなかで先ほどの出来事の"あり得なさ"を検証してしまうと、もう私の頭はどうにかなりそうでした。ただひたすらに、アーと、アーー!!と頭のなかで叫んでいました。

 

 

6


 いつの間に眠たのか、気づけば朝の7時でした。ベッドから身を起こしたときに、昨日の出来事が去来しかけたので、私はまた頭のなかでアッ!!と叫びました。
気づけば、喉が渇いていました。


 キッチンで水を3杯飲みました。朝の光、太陽の光というものが、私を幾分落ちつかせてくれました。


 昨日のことを検証しようとすると、やはり胸のなかに恐怖の種が投げ込ました。けれど、少なくとも昨晩よりは"現実的"なものの考え方ができるようになりました。


 やはり、ここ一連の出来事は、偶然ではないか、と思えました。機械の故障、それはすべての出来事を擦りつけることが可能な原因でした。それ以外ない、私はそう考えることにしました。


 それ以上は、もうなにかを考えたくはなかったのです。しかし、また同じことが起こってはかないません。私は管理会社に苦情を言うことにしました。本当に故障があったのなら直してくれることでしょう。


 私はクローゼットの奥から、入居時の資料を取り出しました。ほとんど読んでいなかったそのファイルの、2ページ目に管理会社の電話番号が書いてありました。


 管理会社に電話をかけようとして、私の手は止まりました。資料によると、10時からしか会社は開いていないようなのでした。


 しかし、電話をかけないままに、自室から出て大学へ向かう気にはなりませんでした。少なくとも自分のなかでは、電話をかけないと、あの一連の出来事が故障ではなかったように思えるのでした。


 10時までテレビをぼんやりと眺めて過ごしました。そして、デジタルの表示が「10:00」になったその瞬間に、携帯に表示させていた番号へ電話をかけました。


 5コール半で音がきれ、疲れた声のおじさんが電話に出ました。私は、マンション名と部屋番号、自分の名前を言ったあと、階段の照明とエレベーターの調子が悪いことを告げました。早く直してほしいとも伝えました。そして、そのまま私は電話を切ろうとしました。

 

 けれど、おじさんの声の感触が予想と違ったので、私は切りそびれました。


「えっ、エレベーターも調子悪いの!?参ったなぁ……」


 おじさんは階段の照明についてなにか知っているようでした。エレベーター"も"、ということは前から階段の照明の調子はおかしかったのでしょう。やはり一連の出来事は、故障によるものだったのです。私は単純にそう思いました。


「やっぱり故障だったんですね……」


「うん、もう3週間前から、蛍光灯が全部切れてたんだよね、あそこの階段」


「え」


「いやー申し訳ない、申し訳ない。階段の電気点かないと不便だよね。ごめんね、早く直しておきますよ」


「…………」


 3週間前から蛍光灯が切れていた。では、あの日点いていた照明はいったいなんだったのでしょう。なにが光っていたのでしょう。

 

 私は、なにを照明だと思っていたのでしょうか。

 

 

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創作 「はいる」

 
 「入ろうとしたな!!!!お前、俺のなかにはいろうとしたな!!!!」 

 四ッ谷くんが突然叫びました。木箱を持ったまま、それをじっと睨みながら、叫びました。 
 
「入ろうとしたな!!お前、入ろうとしたな!!!俺のなかに、入ろうとしたな!!」
 
 四ッ谷くんは、身動きもせずに、叫んでいます。
 埃だらけの部屋には、すりガラスの小窓がひとつだけあって、そこから、ボヤけた灰色の光が入ってきます。
 私は、彼の姿に驚いてしまって、ただ見つめていました。
  
「入ろうとしたな、俺の、入ろうと、お前入ろうと、したな!!」
 
 しばらくの間、視界が全て古い写真のように、私には思えました。
 薄暗い和室、埃を被った箪笥、シミだらけの襖、固まったままの四ッ谷君、木箱、あと、私。
 それらをひとつずつ確認してから、ようやく、今の状態になった経緯を、紐解いていけるようになりました。
 
「おお、俺の、俺のなかに、入ろうと、俺のなか、お前!!お前!!!!」
 
 
 最初から、私は嫌だと言ったのです。昼だからとか大丈夫とかではなく、そんなところには行きたくない、と強く言ったのです。
 しかし、四ッ谷くんは調子のよいことばかり言って、私は結局されるがままに、この家へと連れてこられました。
 
 
「お、お前、お、お、お前、、おおお前!!おおお前!!!!」
 
 
 玄関の扉は古びいていましたが、鍵は閉まっていました。四ッ谷くんが押しても引いても、開きません。
 これで、恐ろしいところに入らなくても済むのだ、と私は安心しました。
 しかし、四ッ谷君は諦めませんでした。
 生い茂る雑草を掻き分けて、四ッ谷くんは裏口を見つけました。裏口の扉は鍵が壊れていて、引っ張るだけで開いてしまいました。開くとき、とても嫌な音がしました。
 裏口の向こうには、先の見えない廊下が奥まで続いていて、そこには、なかへと向かう足跡がいくつかありました。すでに誰かが下足でこの家に侵入したのでしょう。
 
 私の身体は、この空間に入ることを拒絶しました。しかし、四ッ谷くんが私を引っ張ったので、私はとうとう、なかに入ってしまいました。
 
 
「おお!!、お、お前、お俺俺、おま、俺俺、おま俺俺俺、俺俺俺お、おま、俺俺俺俺俺俺、お、俺俺」
 
 
 家のなかは暗く、近くのものしか見えませんでした。私は、懐中電灯をもった四ッ谷君から離れないようにしていました。彼は、少し嬉しそうでした。
 私たちは一階のすべての部屋を開け、見てまわりました、しかし、廃墟だからか、家具の類はほとんど残っていませんでした。四ッ谷くんを満足させるものはありませんでした。私は、もう十分怖い思いはしたから帰ろう、とお願いしました。彼は、渋々頷きました。
 しかし、裏口まで来て彼は立ち止まりました。二階建てなのに階段がなかった、と呟きました。私は言わないでおいたのに、気づいてしまいました。
 私は、また家のなかに連れ戻されました。そして、四ッ谷くんは見つけました。玄関横の細い扉と、その裏にある階段を。
 
 
「俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺」
 
 
 二階は、細い廊下が裏口の方向へ走っていて、廊下に沿って扉が左右にいくつか並んでいました。
 四ッ谷くんは、扉を開けては懐中電灯を振りかざし、なかを明かしていきました。しかし、二階の部屋も家具はほとんどなく、ただボロボロの畳が敷いてあるだけでした。一番奥の部屋、以外は。
 その部屋には、ひとつだけ、とても古びた箪笥が置いてありました。この家が捨てさられた年代よりも、さらに古い年代のものに見えました。
 私は、嫌な予感がしました。一方で、四ッ谷くんは大よろこびで、私を置いて箪笥に飛びつき、一段一段、開けては閉め、開けては閉めを繰り返しました。
 しかし、結局、箪笥のどの引き出しも、空でした。四ッ谷君は、大きな手ぶりで残念がりました。逆に、私は安心しました。四ッ谷くんも、私から見れば少しだけ安心していたように思います。
 とにかく、私はもうこの部屋にいるのが嫌でした。なので、帰るよ、と一言告げて、部屋を出ようとしました。
 とうとう諦めたのか、四ッ谷くんも私のあとをついて来ようしました。ついて来ようとして、あ、と呟きました。
 私が振り向くと、四ッ谷くんは足下を見つめていました。四ッ谷くんの足下にあったのは小さな黒い木箱でした。
 部屋が暗くてよく見えなかったのですが、それは、なんの装飾もなく、蓋らしきものもない、ただの直方体の黒い木の箱でした。
 さっきこの部屋に入ってきたときに、こんなものがあったでしょうか。私は思いました。四ッ谷くんも、同じことを考えているようでした。
 そして、四ッ谷くんが、手を伸ばして、木箱を掴み、顔の近くで見ようと持ち上げて、そして…………
 
 
「……………………………………………………」
 
 
 気がつくと、四ッ谷くんはもう叫んでいませんでした。ただ、手のひらを見つめたままの姿勢は、変わっていませんでした。
 少しだけ落ち着いたらしい私は、彼の名前を呼びました。
 
「…………四ッ谷くん?」
 
「……あ、うん、ごめんね」
 
 間をあけて、少し申し訳なさそうな返事がありました。
 四ッ谷くんの声でした。
 でも、私は、なにかおかしい、と思いました。やさしい声色だったのです。
 四ッ谷くんの声には、いつも少し、暴力を感じさせるものが含まれていました。けれど、今彼から聞こえる声には、それがありません。
 
「帰ろうよ」私が言いました。
 
「うん」
 
 私の声に頷いた四ッ谷くんは、ゆっくりと木箱を置きました。その仕草があまりに丁寧なので、やはり私は違和感を覚えました。
 それから彼は、懐中電灯で廊下を照らすからと、私より先に部屋を出ました。この人はいったい誰なんだろう。私が思いました。
 四ッ谷くんが廊下に消えて、見えなくなりました。
 私が、それを追って部屋を出ようとしています。
 私が扉を閉めたので、もう、私が見えなくなりました。
 今はただ、薄暗い部屋の景色だけが、見えています。
 


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何かを決めるのが怖いこと、そして、本当は自分が一番愛しいこと

 

 自分の判断や決定が怖い。

 

 何か決めようとするたびに、それで後悔しないのか不安になる。不安になるから、余計に判断を先送りにして、さらに不安が継続する。先送りにしたせいで余計状況は悪くなって、絡まって動けなくなって、身動きが取れなくなる。悪くなった状況での判断は余計に恐怖を伴う。

 

 かといって、さっさと判断すればよいわけでもない。酔いの勢いなどで決めてしまうと、本当にそれでよかったのか、とまた不安になる。

 

 判断の結果訪れるイベントが、まだ先にあったりすると、本当にそれでよかったのかずっと不安になる。心窩部がドロドロと詰まったようになって、不安がフツフツと湧き上がってくる。

 

 判断や決定というとのは、大抵それを人に伝えて完成する。だから、判断や決定を撤回するとなると人に迷惑をかけることになる。だから、さらに身動きは取りづらくなるが、本当にそれでよかったのか不安になる。

 

 判断や決定を伝えたのが、自分よりもかなり大きな存在(学校や病院)であれば、不安になっても、もう引き返せないので踏ん切りがつく。

 

 そうではないとき、つまりは判断や決定を伝えたのが自分とそう立場の変わらない人や集団であった場合、彼らの迷惑というリスクを犯してでも決定を撤回したくなる。その撤回を行うかで悩む。結局、彼らを不快にしてまで、自分の決定を撤回することがある。

 

 決定は責任をもって行うべきで、一度決定した(と他人に伝えた)ことはそうそう撤回すべきではない。撤回するのなら正直な事情説明と、誠意ある謝罪が必要だろう。僕には、それができているかどうかですら怪しい。

 

 そういう前提があるから、余計に最初の判断が怖くなる。そして、思い切って決定してみたりして、また後悔して、余計に怖くなる。ループアンドループ。自分の判断に対する不信感と、不安だけが大きくなる。

 

 他人に迷惑をかけてはいけない。

 

 他人に迷惑をかけてはいけないと思うなら、判断の撤回などしなければよい。それでも、判断の撤回をしてしまうのは、心の底では他人より自分を優先しているからだろう。他人に迷惑かけませんよみたいな面をしようとしても、僕はその実とても自分本位な人間である。本当は人間は誰しもそうなのかもしれない。それでも他人に迷惑をかけてはいけないのだ。

 

 だけど、自分の判断の結果、失敗や不安や物理的なダメージを受けて後悔するのは、もっと怖いのだ。他人だから撤回してしまう。僕はあまりできた人間ではない。

 

 人に迷惑をかけたという事実は変化しない。それでも、決定を撤回するならば、自分の我が儘で振り回して申し訳ない、という謝罪は行わないと筋が通らないだろう。それでも、やはり、人を不快にしてまで判断を撤回するのは、よくないことである。

 

 こうならないために、なにができるだろうか。

 

 それは、最初の決定の時点で、不安がる前に、よく考えて状況を分析して、十分な土台ができてから判断や決定をすることだ。しっかりとした根拠のある判断にはおそらくそこまで不安は付きまとわないだろう。

 

 やはり僕にはよく考える行為が足りていないのかもしれない。次からはそうしようと思う。

 

 

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カースト色眼鏡〜陽キャラになってみたかった〜

 

カースト色眼鏡

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 僕には、周りにバレたら顰蹙間違いナシの悪癖がある。

 

 初めて会った人物を、自分の中のカーストに当てはめる。そして、その人物がカーストで自分より上か下かを決めてしまうのだ。

 

 顔の美醜や態度から溢れる自信の有無、コミュニケーション能力、体型等々の、その人全体のイメージから、カーストのどこに当てはまるかをもはや無意識に考えている。

 

 平たくいえば、陽キャラか陰キャラか判断している、というところである。

 

 その人が、カーストで自分より上の人なら、僕はどうしようもなくオドオドしてしまう。自分の一挙一動によって、陰キャラだと見なされないか不安になる。劣等感で上手く身体が動かなくなってしまう。緊張でぎこちない動きや喋り、若干吃った聴き取りにくい声。それらのせいで余計に劣等感を覚え、さらに身体はカチコチになる。

 

 逆に、その人が、カーストで自分より下の人だと思えば、若干自信を持った振る舞いができる。 自分より下の人しかいない場合、劣等感がなく、(一時的な)自己肯定感を得るので、行動はスムーズにしやすい。声を出るし、動作の違和感も減る。ただ調子に乗った価値観が動作に漏れている可能性はある。

 

 一応言い訳をしておくと、僕もこの悪癖はなくしたいし、なくそうとしてはいる。いけないことだと思っているし、はやくやめたい。

 

 だから、カーストルールが、頭をよぎっても無視している。遠くに追いやろうとしている。無意識下に湧いた「この人は下」という認識は、その瞬間に頭から吹き飛ばしている。

 

 ただ一瞬でもカーストが頭をよぎる現象は、まだ継続している。また、リア充ぽい相手にキョドるのも、治ってはいない。

 

 

ボケたメガネじゃなんにも見えない

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 他人にそういう判断基準を大雑把に当てはめて評価なんかしているから、自分も同じように評価の対象になってしまい、劣等感に苦しんでいる。自業自得である。 

 

 仮に、今よりも陽キャラ風になったとして、この悩みは解消されるのだろうか。いや、されないだろう。上には上がいるのだ、更に派手な世界に劣等感を抱くだけだろう。

 

 つまり、この価値判断自体が間違っているのだ。コミュニケーション能力の有無は、それ自身がもたらす被害や実益はともかく、それ一つで価値ある人間かどうかなど決めていい判断材料ではないのだ。

 

 自分より劣ってそうな人間を下に見て安心しようとするから、自分より上の存在に勝手にダメージを受けるのだ。

 

 

陽キャラコンプレックスと自分語り

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 少年青年時代の抑圧のせいなのか、僕は、所謂陽キャラ集団に凄まじいコンプレックスがある。カースト癖もそこからきている。陽キャラが嫌いなのではない。むしろ、羨ましくてしょうがないのだ。あの空気を楽しめる才能が。

 

 高校の頃に、その輪の中に入ろうとした。陽キャラ集団と仲良くなろうとした。半分成功し、半分失敗した。

 

 "勉強ができる"というのが個性として取ってもらえたのか、はたまた単純に友達になったのか、陽キャラの人たちと仲良くなった。結構一緒に遊びもした。

 

 しかし、無理をしているな、と自分でも気づくときがあった。もちろん、彼らは良い人で、かつ面白かった。一緒にいる時間の多くは、なにも考えずに楽しめた。ただ、僕だけが無理して楽しんでいるときもあった。「彼らと遊んでいる自分」になりたいだけの瞬間もあった。

 

 陽キャラの人たちと仲良くなることはできたが、陽キャラになることはできなかった。僕のなかの素質がそれを拒んだ。

 

(こう書くと、凄い打算で高校の友達作ったみたいな感じするけど、別にそんなことはないです……単純に仲の良い友達だったと思います)

 

 

パリピパリピ俺も混ぜてくれ酒飲めへんし踊れへんけどf:id:watabera:20170819012352j:plain

 

 そう、混ぜてほしいのだ。酒も強くないし、上手く踊れないし、上手く盛り上がることもできないけど、その場の一員として、盛り上がっている空気を味わいたいのだ。誰かが楽しんでいるのを、傍目から見るのは嫌なのだ。

 

  しかし、こうやって陽キャラ、パリピを自分とは違う生物、遠い存在みたいな扱いをしている間は、カースト癖は抜けないのだと思う。

 

 当然、彼らも血の通った人間だ。平日はちゃんと働かないといけないし、僕らと同じような人間的な弱みもあるはずだ。それを勝手に自らライン引きをして(向こうから引かれもするけど)、隔絶した世界の人としてレッテルを貼る。だから、彼らを理解できないし、自分のことすらも理解できないのだ。

 

 自らを陰キャラだと卑下している点で気づきにくいが、「陽キャラはこうだから凄いよね」みたな距離の取り方は無礼である。褒めているつもりに見えて、『自分は関わりたくないです』とdisっているのとそう変わらない。

 

watabera.hatenablog.com

 

 

 

 

メガネを捨てよ、コンタクトにしよう

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 話がグチャグチャしすぎた。まとめる。

 

 僕には、人間を勝手なカーストに当てはめる悪癖がある。それは、百害あって一利なしである。

 

 だから、陽キャラだの陰キャラだの、と勝手にピンボケしたレッテルを貼るのは、非常によろしくない。

 

 もっと目を凝らして、そしてカーストの色眼鏡を外して、本当の彼らを見つめたほうがよい。

 

 相手を見つめることは、相手が自分と同じ人間だと気づくことに繋がるし、そして自分も相手と同じ人間だと気づくことになる。

 

 自己卑下からの解放のカギは、ここにあるのかもしれない。

 

 

watabera.hatenablog.com

 


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僕らはアルコールで自慰行為に励む

 
 酒を飲んでしまう。
 自分の飲酒環境からして、たくさん飲んだら偉い(いや全くそんなことはない)気がして、褒めてもらいたいのか、酒を飲んでしまう。

 酒を飲んでしまう。
 酒を飲めば飲むほど、社会で粗相をしないため自分の行動を監視する機構(社会性武装)が取り払われていって、気持ちがいい。だから酒を飲んでしまう。

 しかし、酒は毒であり、質量ある液体である。頭の不快感や満腹感が、酔いによる開放感を超えてくれば、飲酒をストップできる。
 ただ、強い酒やその日の調子などで、酒の回りが身体のアラートを無視してしまうと、潰れるまで飲んでしまう。愚かも愚か。

 僕は一人でいるときに酒を飲もうとは思わない。だから、酒を飲んでしまうのは、すべて寂しさからきているようだ。
 社会性武装を取っ払って、もっとダイレクトに誰かと関わりたいらしい。これはもはや、ただセックスしたいのと同じである。

 潰れると(自宅でなければ)他人に迷惑をかける、と分かっているのに、潰れてしまう時点で、僕は酒をコミュニケーションの利器として使えていない一方的に酔っぱらって、エゴを押しつけて、潰れて迷惑をかける。これは逆にオナニーに等しい。
 セックスしようとしてオナニーになってると思えば、甚だ滑稽である。そんなだから………。

 酒との付き合い方を改めたい。改められなくても、せめて考えなおしたい。考えなおせなくても、頭の隅には置いておきたい。頭の隅には……。
 


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人形を捨てるな、死ぬまで愛し続けろ

 

 人形が怖い、嫌い、悲しい。

 

愛玩人形を見たくない

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 愛玩用の人形を見ると、胸の奥、食道のあたりをキリキリと締めつけられるような気分になる。同じ人形でも鑑賞用の人形、美しくあればそれで役割を果たす人形、それは怖くない。愛玩用の人形、人間やペットの代替として愛情を受けるために作られた人形が怖い。彼女ら(愛玩用の人形は大抵女性、もしくは動物ではないだろうか)は、時間の経過、つまりは持ち主の成長や本人の経年劣化で、いつかその愛情を打ち切られてしまう。人形を見るたびに、その事実をギリギリと胸に押しつけられる。それが怖くて辛い。そんな目にあいたくない。

 

愛情の奴隷

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 彼女らは、持ち主の無償の愛を存分に受け始めた瞬間から、いつかそれを剥奪され、(愛情の反対であるところの)無関心のみが与えられることを決定されているのだ。決まっているのだ、失うことが。人間の傲慢だ。まるで奴隷じゃないか。愛情を受け取るという労働をひたすら続け、やがて破棄。そういうかわいそうな被害者が存在することを理解させられるのが、嫌だ。どうしたって助けられない保健所の犬猫の命があることを知ったときと同じ感情。だって可哀想じゃないか、本人は知らないのだ、その愛がいつか必ず消え去ることを。そのくせして、人間は我儘に愛情を注ぐのだ。自分の健全な成長のために。最初は人形を意識あるもの、自分と同等の尊厳をもつ対象として扱うくせに、最期にはただの物体として処理するのだ。人間って傲慢だ。

 

人形はモノ

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 もちろん、人形に意思はないし、感情はない。物体であり、尊厳はない。だから別に存分に愛情を注いだあとにポイと捨ててもなんら問題はない。法律にも倫理にも背かない。それが自分の所有物であれば。幼い子が成長の過程で愛情を与えることを知るために、家の関係でペットを飼えない子のために、子孫と暮らせない老人が自分の価値を認識するために、人形は愛されて、そのあとに用が済めば捨てられる。それで、まったく問題ない。

 

捨てられたくないだけ

 だから、僕がいだいている、このある種の憤りに正当性なんてない。ただ、人形に「愛情を与えてもらえなくなった自分」を投影し、そんな恐怖を覚えさせてくる存在に八つ当たりしているだけなのだ。捨てられたくないという感情を、人形を鏡にして確認しているだけなのだ。僕の心の弱い部分(存在が悪とは思わない)が作り出した偽りの正論だ。

 でも、やっぱり人形が怖い、嫌い、悲しい。

 いつか捨てるのに、愛してくるなんて、卑怯じゃないか。

 

 

watabera.hatenablog.com

 

 


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